僕と猫と秋の空
感情ってなんだろう。
僕は昔から感情のない子どもと言われた。
笑いもせず、泣きもせず、怒りもせず。
「無表情で何を考えているかわからない」
近所のおばさんから、そんな陰口をたたかれたこともある。
そっと開いた部屋の窓から聞こえたその言葉も、僕はなんとも思わなかった。
何を考えているかわからない?
当たり前だ。
何も考えていないんだから。
感情欠如症候群。
それが、僕の病名だった。
先天性のもので、治療薬も治療方法も確立されていない、比較的新しい病気だった。
感情なんていらない。
感情なんて邪魔なだけだ。
それは14歳になった今でもそう思っている。
そんな僕のもとに、ある日一匹の猫がやってきた。
いつものように公園のベンチに座って空を眺めていると、ひょこひょこと足を引きずって僕の膝の上に乗ってきたのだ。
ノラ猫のようだった。
なんだか元気がなさそうにも見えた。
猫は僕を見上げて「にゃあ」と鳴いていた。
「………」
やっぱり僕はそれを見てなんとも思わなかった。
猫が鳴いている。ただそれだけのことだ。
僕は何も言わずにまた空を見上げた。
猫は、その日から何度も僕のところにやってきた。
「にゃあ」と鳴きながら、ベンチによじ登って僕の膝の上に乗る。
別にエサを与えてるわけでもないのに、不思議だった。
猫は見上げ、僕が何も言わないのをいいことにそのまま膝の上で眠った。
でも感情のない僕にはどうでもよかった。
来る日も来る日も猫はやってきた。
何もすることがない、夕方の時間帯に。
午後4時から6時までの間、僕は公園のベンチに座って空を眺めることにしていた。
猫はそんな僕のライフサイクルを把握しているのか、その時間になるとやってきた。
そして、何をするでもなく膝の上で丸くなった。
いつしか、僕はそんな背中を撫でるようになっていた。
猫があまり頻繁にやって来なくなってきたのは10月に入ってからだった。
2日おき、3日おき、ついには4日おきになった。
つらそうな動きでやってくると、ベンチによじ登って僕の膝の上で丸くなる。
声を上げるのもつらそうだった。
その背中を撫でながら、なぜか僕は胸の奥が締めつけられた。
なんだろう。
身体は痛くないのに、なぜか苦しい。
猫の「にゃお」と鳴く声を聞く度に、胸の奥が痛む。
なんて声をかければいいかもわからず、僕は黙って猫の背中を撫で続けた。
11月に入った。
数日ぶりにやって来た猫は、いつものように僕の膝の上に乗った。
体重がずいぶん軽い気がした。
よく見るとだいぶやつれている。
「大丈夫?」
僕はこの時、初めて猫に声をかけた。
背中を撫でながら、初めて猫と顔を合わせた。
なんて。
なんて綺麗な瞳をしてるんだろう。
初めて感じた感情だった。
サアアッと秋の風が吹いた。
枯れ葉が舞い落ちる。
色のなかった世界に、色がついていく感じがした。
いつもの見慣れた公園。
その木々が真っ赤に染まっていることに初めて気がついた。
とても綺麗だった。
紅という表現がわかった気がした。
そして、猫はそのまま僕の膝の上で動かなくなった。
死んだ、というのを感じた。
眠っているかのような顔だった。
でもいつも感じていた呼吸が感じられなかった。
眠るように息を引き取る。
言葉は知っていたけれど、初めて目の当たりにした。
僕はそんな猫の背中を撫でながら熱いものがこみ上げてきた。
どうしたんだろう。
すごく、すごく苦しい。
気がつけば僕は涙を流していた。
今まで一度も泣いたことなんてなかったのに。
とめどなく涙が溢れ出てきていた。
これが悲しいということなのだろうか。
泣くということなのだろうか。
とてもつらかった。
僕は泣きながら、空を見上げた。
秋の風に乗って、ひらりと赤い葉っぱが舞い上がっていた。
僕にはそれが、猫の魂のように見えた。
お読みいただきありがとうございました。