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薔薇水晶


それからしばらくオブはレオノラの近くに寄らなかった。そんなオブを見るとレオノラは少し悲しいと思ったが、いつも通りに接していた

数日後、オブを雇った事が本当に役に立った。山賊が出たのだ

茅葺きの小さな小屋見つけると、山賊はしめたとばかりに襲おうと考えた。男達が小屋を囲み、互いのタイミングを見計らっていた。彼らの攻撃的な思考が向けられているのをレオノラは感じた

レオノラはオブを見て、小声で言った

「誰か襲って来るわ」

オブは剣を持ち、長持ちの中に隠れるよう指示し、レオノラは長持ちの中の衣類を出して中に隠れた


窓のカーテンの隙間からそっと見ると、男達が囲っている輪を縮めながら近づいて来るのが見えた。小屋は狭い。外へ出て戦う方が良いと踏んだ

オブは戸を開いて表に踊り出ると、一番近くに居た男に斬り掛かる

男達は七人居た。突然出て来た男にびっくりしたが、皆は一斉にその男に襲い掛かった。オブは飛び掛かる男を斬り伏せ、また次の男を躱して蹴っては斬った

そうしながら、オブは小屋から彼らの注意を逸らすことに成功し、男達は小屋から引き離され、森に誘い込まれた


恐る恐るレオノラが長持ちの外を覗いた時には、小屋にも開け放しの戸から見える外にも誰も居ないし気配も無かった。日は傾き始め、レオノラはオブの無事を祈った

さほど待たないうちにオブは戻った。彼の衣服は返り血で赤く染まり、血糊がねっとり張り付いた剣を持っていた

「オブ、無事なのね」

戸口に立つ彼に歩み寄ったが、その目と顔を見て、レオノラは凍りついた。目は殺気に光って、口角を上げて引き攣った笑みを浮かべていた

折角心がほぐれかけたのに、最初のオブに戻ってしまった。レオノラは悲しかったが、今日のような時にオブが居なければ自分の身が危なかったのだ。仕方ない


小屋の外へ出ると、賊らの骸が三体転がっていた

オブはそれを蹴り飛ばし仰向けにすると、懐を探る。そして嬉しそうに言った

「レオノラ喜べ。こいつらそこそこ持っていたぞ。ほら」

幾らかの金貨と装飾品がオブの手に握られている。オブはその中の指輪を一つ取ると、レオノラに差し出した

レオノラが受け取らずにいると、オブはレオノラの手を取って、その指に指輪をはめた

「似合うと思う」

血が手についてぞっとする。自分の血の気が引くのがわかった。思わず手を引っ込め、指輪を抜き棄てた

「なんだ、折角の得物なのに…」

オブはそれを拾うと死体の服で拭い、自分の指にはめようとする。オブの指だと小指にもはまらない

「合わないな…」

「助けてくれてありがとう。中入るわ…」

レオノラは後ろを向くと小屋の中に入った

「あれ、嬉しく無いのかな。まあ良いや」

オブは死体を物色し終わると、死体を森の中にある窪みに運んで投げ入れ、土や落ち葉をかけた


オブは泥と血で汚れた身体を洗う為に川に入り、服ごと身体を洗った

小屋に帰ると、レオノラは何も言わず盥に温かい湯を用意した。彼が湯浴みして出ると清潔な乾いた服が用意して置いてあった。それから食事の用意をしたが、その間ずっと口を利かなかった


オブが食べている間、レオノラはあまり自分の食が進まなかった

「どうしたんだ、食欲が無いのか」

オブは機嫌が良さそうだった。それが狂気の興奮状態で、感情や心と切り離された状態なのだとレオノラは感じていた。それはこの人の本当の姿ではないのだ。どうしたら元に戻るんだろう



その晩眠って、朝起きると、オブは少し興奮から覚めたが、落ち着きが無かった

レオノラはやはり最低限しか話さなかった

オブは自分は悪い事をしたような気がし始めて、気が引けて来た。謝った方が良いのかと思いつつも、護衛の仕事なのだから果たすべき事をやったまでとも思い、考えあぐねていた

そんな時、来客があった。馴染みの行商人だ


行商人は表に馬車を留め、小屋の戸を叩いた。戸を開き、レオノラを見ると挨拶した

長椅子に座るオブに目を止めると、少しだけ、思い出そうとするように首を傾げ、挨拶をした

「どこかでお会いしましたかな。見た事あるような気がします」

オブは顔色変えないよう気を付けながら、立て掛けてある剣にさり気なく指先を触れる

レオノラは商人の目をオブから離す為に、手早く取引の薬草を広げながら言う

「彼は私の夫なの。つい先月に結婚したのよ」

オブはびっくりしてレオノラの顔を見た

「本当ですか。それはおめでとうございます」

レオノラは笑顔で応える

「ではご主人様、奥様に何か贈り物などはいかがですか」

オブは茶番に乗じて商人の耳に口を寄せて言った

「生憎もう用意したんだ。渡すタイミングが難しい」


商人は笑顔で何回も頷き、今回の取引に入った

こちらからは乾燥した薬草と薬味、スパイスと、商人の塩と穀物を交換し、不足分を銅貨で支払った

「それではまた寄りますので」

「ええ、また宜しくお願いするわ」

商人は小屋から出て表に停めた馬車に乗る


馬車の音が遠ざかるとオブはほっとした。昨日の死体を片付けて置いて良かったと思った。それにしてもなぜあんな嘘をついたんだ、結婚しただなんて。怒っている訳では無かったのだろうかとレオノラの顔色を伺った

レオノラは商人が帰ってしまうと相変わらずあまり話さなかった



もう一晩過ごすとレオノラはやっといつもの調子で話すことが出来た

「オブ、一昨日はありがとう。助かったわ」

礼を言った後に本題に入る

「でも私は貴方に人をころして欲しく無いの。その為に雇ったの。それは理解してくれる?」

「うん?まあ、最初はそんな話だったな。だが山賊のあれはしょうがないだろ。俺の腕が役立っただろ?」

「わかってるわ、だけど、それだと私の目的が、だからあの…」

レオノラは長椅子に立て掛けてある剣を手に取った

「これは預かるわ。貴方はこれに触っちゃいけない」


オブは自分の活躍を褒めてくれないばかりか、剣を取り上げようとするレオノラに怒りを感じた。俺が単に金貰ったから守ってるとでも思ってんのか。自分の罪の意識と不甲斐無さを隠す為の怒りが彼を駆り立てた

「何だあんた。いつもいつも理想掲げて指図する。だけど世の中そうは思い通りには運ばねえ。そのあんたの減らず口、閉じさせてやる」

オブは立ち上がりレオノラににじり寄る

「え、何するの…」

レオノラは後退るが後ろのベッドにぶつかり、手から滑り落ちた剣が床で音を立てた

いつもなら、オブの気持ちがわかるのに、今はわからない。複数の感情が交錯がして、オブ自身にすらそれを見えなくしていた


オブはレオノラの両手を掴むと後ろの干し草のベッドに押し倒し、暴れるレオノラの身体を自分の身体で抑えつける。レオノラは叫ぶ

「乱暴しないで。剣の所為で貴方おかしくなるのよ、きっとそうよ」

「黙れ」

オブはレオノラの口を自分の口で塞いだ。レオノラのもがく力が緩んだ


それから、スカートの中に手を入れ、下着の内側の柔らかな太腿に這わせた

「ちょ、待っ…」

レオノラは自由な方の手でオブの手を必死に抑え言う

「駄目じゃないから」

オブは戸惑って訊き返す

「え?駄目じゃない?」

「だから正式に…」

「正式?」

「ええ、正式に求婚して」


オブはベッドから飛び退って降りた

「求婚?」

「そうよ、正式な手続きを踏んで頂戴」



オブは後ろを向いた。レオノラはベッドに座ったまま求婚の言葉を待ったが、後ろを向いたオブはしばらくもじもじした後に、レオノラの顔を見ずに言った

「今朝は薬草取りに行かないのか」

「え?あ、まあ、そう言うならば行きましょうか」

レオノラは籠を持ち支度をすると、二人は薬草を取りに出掛けた


それからしばらくオブはおかしかった

レオノラと目を合わせず、会話も噛み合わなかった。オブは摘んだ薬草を手に持ったままぼうっと固まっている。レオノラがオブが手にした薬草の説明をしても、返事はそぞろだった。レオノラは正直嫌われたのかと心配もしたが、オブから伝わる感覚は親愛に溢れていた。

オブは意を決したように顔を上げ、レオノラの名を呼ぶが、レオノラが振り返ってその顔を見ると、また薬草の話やさっき話したと同じ天気の話を繰り返した


オブが葛藤しているのがわかった。それはそうだが、一体、いつまで自分はこの状態を待って居れば良いんだろう、とレオノラは思う

そんな感じで二日過ぎた


晩の食事を作っているレオノラの背後で、オブがぶつぶつ言っては溜め息つくのが何度も聞こえた


気にしない振りをして皿を並べ、パンを籠に入れてレオノラは椅子に座った

「食べましょうか」

促すがオブは手を付けず俯いている

「…どうしたの。食べないの」


オブは顔を上げると諦めたように言った

「レオノラ。どうしてもわからない。求婚ってどう言えば良いのかわからないんだ。ただあんたに何かしてやりたいって思う事は確かだ」

オブは懐の小袋から先日の山賊の死体から奪った指輪を取り出した

「レオノラ。俺はこの仕方しか知らない。だがあんたはこういうの好きじゃないんだろう…」

オブはレオノラの手を取ってその指に指輪をはめようとしながら、レオノラの顔を伺った


レオノラは嫌がらなかった。オブが指輪をはめると、その自分の手を眺めた。指には春の花びら色の宝石が輝いて、金の台座に乗っていた

その顔は嬉しそうにほころび、目が潤んでいた

あの時指輪をはめたのも、彼はレオノラに日頃から積もらせていた親愛を表現しようとしていたのだと悟った

愛や優しさの言葉を掛けられた事もなく、自分の中に生まれた気持ちが何かも分からず、表現する言葉も持っていないのだ


充分だった

それはレオノラの心にも届いた


レオノラは湯浴みの準備をし、またオブの背中を流した。オブの髭を剃り、伸びるに任せた黒髪を切って整えた。オブは他人に髭を剃って貰うのは初めてだった。髭を剃る為に顔を近づけ手元を覗き込む、レオノラの真剣で楽しそうな表情に見入った。真近で見るとレオノラの瞳は灰緑色だ。鼻には目立たないがそばかすがある。こんなにちゃんと顔を見た事は無かった。本当はいつも見過ぎないようにしていた

オブの身仕度が終わるとレオノラは自分も身を清め、取って置きの服を着た。首元と手首にレースの縁取りがある深い緑のドレスだ。彼女の灰緑の瞳が映え、良く似合った

それから、干した果物と穀物の粥を作った。それをレオノラは最初の一口オブに食べさせ、自分にもそうするように促した。食べ終わると、二人は干し草のベッドに横になる


「どうせ直ぐに脱ぐのに、なぜ(めか)すんだ」

いつもより一層美しいレオノラを見てオブが言うと、レオノラは恥じらうように笑んだ

「そう言うものなの…特別なのよ」

オブはレオノラに口付けする

「どんなレオノラも綺麗だが、今日はまた別格だ」

「誰かを愛してるからよ」

レオノラもオブに口付けした

二人はその夜結ばれた


レオノラの身体は男を知らなかった。ハシリとの仲を疑うまでも無かった。誰にでも同じように接するレオノラに、自分しか知らないレオノラができた事が嬉しくもあった


その後、訪れた村人達は、用心棒の男の目が穏やかになったのを見た。それで来客はレオノラに挨拶するように、オブにも挨拶するようになった。オブも挨拶を返した


オブはレオノラと居る時には満たされ、血の匂いを忘れ、剣の事をもう思い出さなかった。レオノラは剣を隠したが、その事にも気がつかなかった。レオノラの事を考えていれば彼は幸せを感じた

誰かと心が結び付き、誰かを大切に感じ、誰かに受け入れられているという感覚が、彼を優しくした。そう言う優しさを感じられる事に、オブ自身も喜びを感じた


レオノラは薬師を頼る人々に慕われていたが、本当の意味で彼女を知る者は居なかった。彼女の中の彼女自身を見る事が出来る人はあまり多くは無かっただろう。オブもまた、誰かにありのままを見られ、理解された事は無かった。それは互いに深く抱えた孤独を越えて結びついた


雨が降ると、二人は干し草のベッドに横になり、睦み合った。薬草採りにも行けず、来客も無いからだ。オブはレオノラの温かい身体と秋の木の実のような柔らかな髪の感触を楽しみ、自分だけに向けられるレオノラの優しさに浸り、雨に感謝した

雨は天の恵みを地に降らせ、緑に潤いを与え、生き物達に明日を望ませた


その期間はオブの人生で最も幸せな満たされた日々だった



やがて、彼はそれ以上幸せになる事を無意識のうちに避け始めた

オブはその生活に退屈しているんだと受け取り、刺激が欲しいと思った


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