傍らの花
それから一年ばかり、オブは子分達を引き連れて、それなりに金を持っていそうな家を見ては襲撃した。近隣では、盗賊団の噂に金を持っている連中はおののいて警備を強化していたが、同時に根こそぎ持って行く訳でも無く、必要と思う分取ると残りは手を付けないという話で、素直に金を差し出す者も多かった
ある時、押し入ったのは警察署長の家だった。彼はプライドを賭けて精一杯抵抗し、互いに犠牲者が出た。警察署長も怪我を負ったが一矢報いようと放ったナイフが賊の一人の胸に刺さった。それはハシリだった
盗賊は奪った金は充分とは言えないまでも、怪我人を連れて退散した
こちらも二人が命を落とした。オブはハシリの命を救いたかった
彼らは森へ行き、薬師の家の戸を叩いた。扉が開いた
中は暖炉が燃えており、梁から梁に渡した紐に草が沢山吊るされていた。その手前には、食事をする為のテーブルと椅子があった
意識が朦朧とするハシリを抱えるオブを見て、薬師の女は状況を直ぐに悟った
「早く入って。ベッドに寝かせて」
彼女は家の一番奥の干し草のベッドを示した。彼らは家に入って、ハシリを寝かせた。大勢の男が入ると家は流石に狭い。湯を沸かす準備をすると、女は皆に言った
「ねえ、皆、ここは狭いし追っ手が来たら私も捕まってしまうわ。どうか出て行って。そして一週間後に誰か一人彼を迎えに来て。それまでに何とかするわ」
盗賊達は顔を見合わせ、ぞろぞろ外へ出て行った。オブは言った
「俺は残る。一応頭だし」
「ええ、だからこそ貴方も出て行って。貴方は目立つから顔知られているかも知れない。それに、人が多いと捜索来た時に言い訳困るの」
オブが金貨を一枚出して渡そうとするが女は受け取らない
「治療が完了したら頂くわ…金貨三枚にしてね」
オブは前回会った時の問いを繰り返す
「あんた名前は。今回は依頼主だから、教えて貰えるんだろ」
「そういう貴方は?」
「俺はオブだ」
「オブ…何か略称ね。私はレオノラ」
「レオノラ。わかった、金貨三枚持って一週間後に来るから、彼を宜しく。彼はハシリだ」
「わかったわ。預かります」
オブは扉を開け表に出た。どうしてか胸が鼓動した。こんな風に、蔑まれるでも、怖れられるでも無く、当たり前の事を当たり前に会話した事は無かった。彼女の率直な言い方、真っ直ぐな眼差しに、自分もついさっき人をころした生臭さを忘れて普通に話してしまった
盗賊は一週間、あまり派手な事をせず大人しく潜伏する事にした
レオノラは目を閉じ横たわるハシリの服を脱がせ傷口を強い酒で洗い検めると、治療を始める。治療が終わると、包帯を巻き、身体を湯で拭き、汚れた服を洗濯籠に入れた。血で汚れた服を洗い、彼の顔の無精髭を剃り、伸び放題の髪を寝かせたまま出来る範囲で切り、新しい麻のシャツを着せた。そして盗賊のハシリはベッドで横たわっているのを見た限りでは、清潔な農夫に見える程度に整えられた
レオノラは病人用の良く煮込んだ穀物入りスープを作り、干した果物を入れた葡萄酒を温め、ハシリが目を覚ますのを待った
ハシリが目を開けると覗き込んでいる愛らしい顔があった
「良かったわ。出血が酷くないから大丈夫と思うけど、油断出来ないわ。傷口から魔が入ると腐ってしまうの。熱っぽくなったら直ぐ言ってね」
レオノラは葡萄酒を陶器の椀に入れ、息吹いて充分に冷ますと はい、と言って渡した
「あんたは教会で会った人だな」
食べているハシリに、レオノラは色々と質問した。どこの家を襲って怪我をしたのか。相手を何人ころしたのか。その家が警察署長で、彼は死んだかわからないが傷は負わせた事、相手方は多分四人、こちらは二人被害が出たと話した
レオノラは溜め息をつき、目を伏せ言った
「本当に、命を大切にしないのね…自分も他人も」
その言葉はハシリの心に刺さった
「俺、もしこれで助かったら、もう人ころさない」
「そう願うわ。その言葉いつまで守ってくれるかわからないけど」
ハシリには、もし捜索が来たら兄という事にするよう申し合わせた
一週間後、オブがハシリを迎えに来た。茅葺きの小屋の戸を叩く。オブの胸は踊っていた。自分でもそれがどうしてかわからないのだが
オブが戸を開くと、レオノラと何やら身形がさっぱりしカタギに見えるハシリは一緒に食器をテーブルに並べていた
「オブ、約束通りね。一緒に食べるでしょ?」
二人は楽しそうで、すっかり仲が良いように見えた。その様子は一見夫婦にも見え、オブは頭に血が昇るのがわかった
「何だお前ら。楽しそうだな。傷はすっかり良いのか」
怒りが顔に出ないように言う
「ああ、だいぶ良いよ。ありがとう。オブが直ぐにここに連れて来てくれたおかげだ」
「ね、オブ、私達兄妹に見えるでしょ。演技で捜索を乗り切ったのよ」
「兄妹?見ようによっちゃあ、夫婦にも見えるな」
それを聞くとレオノラは声を立てて笑い否定したが、ハシリは少し俯いて口元は笑みながらレオノラを見た。それを見たらハシリがレオノラをどう思っているのかは充分にわかった。一応は片想いらしい。オブは少しだけ安心し、テーブルに並べられた三枚目の皿の前に座る
穀物の雑炊の皿の上に軽く焼き直したパンを乗せると、レオノラは二人に食べるよう促す
「それで、今日は持って来たの?金貨三枚」
「ああ、持って来た。ほら」
オブが金貨をポケットから出して渡そうとする。レオノラはそれを受け取ると仕舞うでも無く、テーブルの隅に置いた
「金貨と言えば、貴方、教会の金貨を村中の煙突から配ったそうね」
「あんたも受け取ったろう」
「頂いたわ。これよ」
レオノラはその金貨を取り出すと、テーブルの隅の三枚の金貨の隣に置いた
「皆は精霊の贈り物だって喜んでたわ…でもどうせ当座の物を買ったら直ぐ無くなっちゃうのよ。そんなの焼け石に水なの」
オブはその提案はレオノラが言い出した事だろうと少し怪訝な顔をする
「ええ、でもそれで一番嬉しかったのは貴方なのよ、オブ。今までやった事無い行動をした事で、貴方の考え方が広がったならば、一番喜ばしい事だわ」
オブは褒められたのか馬鹿にされたのか複雑な気分だった
「私は薬師をやって、人を助けたいけど、でも助けられないわ」
「何言ってる。ハシリを助けたろう、あの教会の坊さんも」
「そうね。本当の所私にはそんな力は無いわ。その人を救うのはその人自身なの
ただそのきっかけで在りたいとは思うのよ
その一方で、貴方達は傷つけころし続ける。それを防ごうとする方も貴方やその仲間を傷つけころそうとする。こういうの止めたら、どうなのかしら」
「盗賊に盗みを止めろって言うのか」
オブはそれに対して怒って良いのか、喜んで良いのか、良く分からなかった
「ええ、それでね、提案があるの。今日貰った金貨に加えてこの前貰った一枚を加えて金貨四枚で、貴方を雇うわ」
「そんなはした金で俺に何させるんだ」
「私の護衛よ。貴方達以外にも、山賊も居るし、獰猛な森の生き物も居るわ…どう?」
オブはしばらく無言だった
「意味わかんねえ。それで誰が得するんだ。俺が渡した金貨が俺に戻って来るだけじゃ無いか」
「いえ、意味あるわよ、だってその間、貴方は誰も害さずに済む」
食卓に沈黙が流れた。スープを啜る音とパンを咀嚼する音だけがあった
ハシリは食べながら、この話の意図が良く呑み込めず、困惑して頭の顔色を伺っていた
「ハシリは故郷に帰りたいんですって」
オブは何だか腹立たしかった。この話が自分の為かと思えば、ハシリの為なのか。だったらここに居座ってやろう、そうすればこの二人の邪魔が出来るからな
「わかった。受けてやろう。護衛してやるよ」
レオノラは心から嬉しそうな顔を見せ、明るい笑顔で言った
「嬉しいわ」
ハシリはきょときょと二人の顔を見比べる
「そう言う事で」
オブはハシリの方を見ると言い付けた
「森の外れまで歩けば皆が待っている。俺はここで仕事受けたから賊の頭は休業だって、お前はあいつらんとこ行って伝えてくれ」
ハシリは若干がっかりしながら承諾し、食べ終えると二人に礼と別れを告げ、肩を落として出て行った
あいつが故郷帰りたいってのは、レオノラ連れて行きたいって意味だったんじゃないんだろうか、とオブは思った
それからオブは護衛としてその小屋で一緒に暮らした。レオノラは部屋に仕切りのカーテンを吊るした。レオノラは干し草を重ねたベッドで眠り、オブは長椅子に干し草を敷いて眠った。それでも頻繁に野宿していた頃より遥かに快適だった
今まで女が一人で森で暮らしてこれたんだ。レオノラが言うほどの危ない出来事は滅多に無いだろう。退屈なんじゃないか。オブはそう思っていた
レオノラが森に分け入って薬草を採る間、オブも一緒に行ってその周辺をぶらぶら歩いた。オブはレオノラがどうして迷い無く特定の薬草を探し当てるのか不思議だった。それである時聞いてみた
「教えてくれるのよ」
「誰が」
「誰かしら。道が光ったり、こっちだよって声が聞こえるわ」
「そういや、あんた最初から妙だよな。教会で金貨の在り処見つけたり、俺の考え読んだり。魔女の類か?」
レオノラは声を立て笑った
「あなたは魔女が怖いの?」
「いや、怖かねえけど…」
ふふ、とレオノラは笑う
「生憎魔女では無いわ。ただ両親も知らない。あの家に薬師のお婆ちゃんと暮らしていたの。今はお婆ちゃんは亡くなって独りだけど。金貨の在り処は代金を請求した時に、お坊さんが意識をあの場所に向けたのを見たの。それからあなたの心の声は大きいから、良く聴こえるし、人によってはつい従ってしまうのよ」
オブは顔を顰める
「その話本当なら、俺の心の声はあんたに筒抜けって事?そりゃあ困るな」
正直言ってそれは困る。しばしばレオノラの裸体を想像している事が知られては
それを知っているのか知らないのか、レオノラは笑ってそれ以上答えなかった
そういう想像はしても、手を触れられた事も無い。それは彼が護衛として彼女を守るという約束を守っているのだとレオノラは知っていた。だからこそ彼を信用できたのだ
オブは知らなかったが、オブがいるだけで、その殺気を感じて、森の獣は近寄らなかった。近寄って来るのはその感覚が鈍く外見で判断する人だけである。レオノラはそれを知っていた。レオノラは自分でも獣除けをする事も出来たし、今まではそうしていたが、誰かが隣に居て、気持ち和やかに仕事が出来るならばその方が遥かに良かった。それに彼を雇ったのは、彼自身に語ったのと同じ理由で、これ以上命を奪って欲しくないからだ。レオノラは彼に興味があり、強く惹かれていた。彼の心の何がそうさせているのか知ったら、その行為を止める事が出来るのでは無いかと期待した。彼が己の奥にある輝きに気付いてくれたら良いのにと思っていた
時折訪ねて来る人があった
一人の年配の女性が戸を叩いた。女は籠に野菜と果物を抱えていた。女は部屋に入って長椅子に座るオブを見てびっくりする
「どうぞ気にしないで。彼には今用心棒を頼んでいるの」
そうですか、と女は言って彼から目を反らし、レオノラとテーブルを挟んで向かい合わせの椅子に座る。初めて来たのでは無いようだ
「症状はいかが?」
「ええ、大分良いです。あの薬良く効いたようです。ただまだ朝には指と手首の痺れがあります。働けなくなる程のものでは無いのですが…」
「わかったわ。では同じ薬を出します。それ飲んで、身体冷やさないようにして、また来週来てね」
レオノラは薬を調合すると、女が持って来た陶器の小さな壺の中身を詰め替えた。使い方を口伝えで女に言った。教会の坊さんは字が読めたから紙に書いたが、この女は字が読めないらしかった
報酬の野菜と果物を受け取るとレオノラは彼女を戸口まで見送る
ふうん、と思いながらオブは見ていた。レオノラが人を助けたいという割には、接し方はあっさりしているんだなと感じていた
また違う日には、女の子が一人で訪ねて来た
女の子はやはりオブを見るとびくっとした
「気にしないで。彼は私を守って、私のやる事を手伝ってくれているのよ」
女の子は無言で頷くと、一枚の紙をレオノラに手渡す
「またお爺ちゃんの足が痛いのね。好きなのは分かるんだけど、豚肉とエールは控えた方が良いわ。書いて置くから、貴女からも言って頂戴。お爺ちゃんに長生きして欲しいから、言う通りにしてって」
女の子はまたこくんと頷いた。それから薬草を調合して渡し、女の子から銅貨を数枚受け取る
何人かのやり取りを見るうちに、レオノラの能力は大したものだが、やっている事はとても当たり前の事だと思った。彼女は村人達の日常に溶け込んでおり、まるで川の水が流れるのが当たり前で、風が木々の葉を揺するのが当たり前のように、誰に対してもそのように接するのだった
オブはその光景を見るのが楽しいと思った。それは何も起こらない日に、草原に寝そべり空の雲が流れる時の感覚に似ていると思った
オブは安心し、眠りは深く、より穏やかになった
オブは自分が疲れている事に気付き始めた
身体のあちこちが痛くなって来る
「身体が安心して、今まで痛いのを我慢してた事を言い始めたのよ」
レオノラが言う
そうなのか、とオブは思う
レオノラが薬草を探すのを見て、見よう見真似で自分も探してみる
レオノラがやるように、その香りを嗅ぐ。息と共に香りが鼻腔に入ると気持ちがすっと落ち着くのが分かる
「オブは勘が良いわね。私の代わりに薬草探せそうだわ」
「本当か?」
オブは褒められて嬉しくなる。何かくすぐったい感覚に襲われ、それに身を委ねたい反面、抗わねばもう戻って来られない気がする
レオノラがオブの手を掴んだ。オブはその感触の向こうに、絶対触れてはならないものが控えているのでは無いかと恐れを感じる
「どうか、手を離さないで」
「手を?なぜ」
「貴方を連れ去ろうとするものから貴方を守りたいの」
「守っているのは俺の方ではなかったのか…」
痺れた頭で誰か自分では無い者が話しているかのように感じる。自分の感覚が自分の感覚では無いみたいだ…
俺は誰なんだ
「良いの、貴方は貴方なの。心配しないで。私の方へ来ても大丈夫よ」
初めて触れたレオノラの手から伝わる熱さが、何かを思い出させようとする。それは無垢な笑い声を聴いた時のような、どこまでも広がる地平を見た時のような感覚。駄目だ、そんな事を知ったら俺は戻れなくなる
目が覚めたまま眠りに落ちるような感じ、ああ、これは…死では無いだろうか。暖かく、白く、心地良い
オブはレオノラの手を振り払った
「触るな」
オブは立ち上がるとレオノラに背を向けた。自分がどうなってしまったのか混乱した
「あんた、やっぱり魔女なんだろう」
背中から答えが返って来る
「違うわ…愛よ」
オブにはその答えの意味が良く分からなかった