10 失踪
私が王子を抱えて部屋まで戻ると、ちょうどギルが扉の前で待っていた。ちょっと不機嫌そうに見えるのは気のせいではないな。ちょっとというか、だいぶん怒っている。
「貴女がいなくなったと侍女達が大慌てじゃないですか」
「ちょっと散歩に行ってただけよ」
「三階の窓から?」
ああ、もう説明するのが面倒よ。私はギルを押しのけて部屋へと入ると、水を持ってくるように言いつける。王子をベッドに降ろして寝かせようとすると、王子は大丈夫だと言ってぷるぷると頭を振った。
「いったい何があったのです?」
グラスと水差しを持って入ってきたギルに、クロヴィス王子と会ったことを簡単に話す。カエル云々の話を聞いたギルは無表情のまま、まだ少し頬の赤い子竜をちろりと横目で見た。
「王子、純情すぎでしょう」
『うるさい! 不意を突かれただけだ』
なるほど……、ほっぺのキスに照れていたわけか。
あんなので倒れるなんて大丈夫かしら、この人?
ギルのツッコミに王子はそっぽを向いて、水の入ったグラスにふっと息を吹きかける。ピキンと音を立てて凍ったそれを、両手で頬に当てて冷やしていた。
『しかし、クロヴィス王子には黒霧の人間を見張りにつけていたはずなんだ。どうしてここにいたのか気になる』
ふくれながらも王子は独り言のように呟く。やっぱり王子も疑問に思っていたんだわ。有能な間諜組織の黒霧の兵士が、大事なターゲットを放り出していなくなるなんておかしいもの。
「調べさせますか?」
『ああ、団長達を呼んでくれないか』
ギルに頼んで使いの人を出してもらう。子竜の王子は団長達が来るまで待とうとした私に、部屋に戻って休むように言った。
『今夜は騎士団に彼を見張らせるだけだから、明日の朝にまた教えるよ』
そう言われた私は、戻ってきたギルとともに自分の部屋へと帰ったのだった。
そして、翌朝、朝食の時間にジークフリート王子からの伝言を侍女から伝えられた私は、急いで王子が待つというローザリンデ王女の宮殿へと向かった。
王子が私に伝言で告げたのは、黒霧の兵士の遺体の発見。そして、クロヴィス王子とヴェロニカ妃の行方不明の知らせだった。
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「一体どうなっているのだ! シュゼーレ王国が何故ヴェロニカを攫う。奴らの狙いは!」
私が駆けつけた時、ローザリンデ王女の部屋にはジークフリート王子の他にヴィクトール王太子の姿もあった。三人の兄妹は私とギルが部屋に通されてきたのを見ると一瞬会話をやめてこちらを見る。だけど王太子は弟の胸ぐらを掴んで詰め寄ったままだ。
王宮の警備の頂点に座るジークフリート王子の失態ともいうべき事態に、王子は綺麗な顔に厳しい表情を浮かべて兄王子の叱責に耐えているように見える。ここが王女の私室であり兄妹だけの場であるからこそなのかもしれないけれど、王太子はなりふりかまわずといった様子だった。
「お兄様、落ち着いてくださいませ。まだお義姉さまがシュゼーレ王国に連れ去られたとは限りませんわ」
「奴等が消えた夜にヴェロニカも行方不明になっているのだ。関係がないわけがないだろう! 早く父上に報告してシュゼーレに向けて兵を出せ。それかラウリッツ辺境伯に伝えるのだ! 国境を固めろと」
王太子は半狂乱に近い様子で叫んだ。
妻に手を出していない白い結婚の割に、この取り乱しようはなんだろう。ただの幼馴染の契約夫婦という感じではないわ。脂汗まで浮かべて、溺愛しているという弟を締め殺さんばかりに迫っている。
私はギルに目配せして、王子と王太子の間にそっと割り込んだ。王太子は咄嗟に邪魔者に向けて拳をあげ、それはパシッと私の手のひらの中で乾いた音を立てた。
守るべき女性に向けて手を挙げたこと、そしていとも簡単に止められたことに彼が目を見開く。ゴクリと喉を鳴らして手をおろしたところを見ると、少しは正気に戻ったかしら?
「王太子殿下、クロヴィス王子が王太子妃様を攫ったとは限りませんわ。あまりにも出来すぎています。まるで疑えと言っているようなものではありませんか」
じっと目を見つめると、王太子はジークフリート王子から少し離れて私の方へ身体を向けた。そう、まだ状況をつかむ方が先。身内の危機に取り乱すのはわかるけれど、まずは話を聞かなければダメよ。
「黒霧の兵士の遺体はどこで発見されましたか?」
私は王太子を見ながら王子に問う。
「騎士団の宿舎の近くだ」
「クロヴィス王子の案内役というのは」
「ああ、黒霧にさせていた」
やっぱりそうか。クロヴィス王子は案内役とはぐれたと言っていた。騎士団の宿舎は王子宮のすぐ近く。彼等は騎士団の練兵場を見に行こうとしていたんじゃないかしら。軍人ならば興味を持っても不思議ではないもの。
見に行ったか、見る前だったのか、案内役は途中でいなくなった。彼を殺したのがクロヴィス王子達であるならば、私達と会ったあの後にヴェロニカ妃のいる王太子宮に行くのは逆方向だし不自然だわ。それにあの時、彼等から血の匂いはしなかった。
「遺体は隠されていましたか?」
「いや。木陰に引き込まれて首をやられているが、流れた血の状態から見てそのままその場に放置した感じだな」
「なおさらクロヴィス王子ではないですね」
「なぜわかる?」
「昨夜、第二王子宮の庭園でクロヴィス王子とその従者に会いました。彼らは案内役とはぐれて迷ったと言っていましたが、その時には服も手も汚れていませんでした。それにその場所から王太子宮へ行き王太子妃様を攫うつもりなら、時間を稼ぐためにも死体は隠すでしょう」
ジークフリート王子もその事はわかっていたのだろう。私の言葉にただじっと黙っている。
そして、私はローザリンデ王女を振り返る。
「王女様、何か視えたものはありますか?」
「お姉様、それが精霊達は彼等を見ていないそうなのです。ヴェロニカお姉様の姿も。今も探すように頼んでいるのですが、まだ。ねえ、ジークフリートお兄様」
「ああ、言葉通りに『消えた』。クロヴィス王子が見えなくなって、王都の門は騎士団に命じて昨夜のうちに全て塞いでいる。なのに見つからないんだ」
「王太子妃様を最後に見たのは?」
少しだけ冷静さを取り戻したヴィクトール王太子が答えた。
「彼女は毎晩私と同じ執務室で仕事をしている。昨夜も私と別れて部屋に戻ったのは深夜だ」
私達がクロヴィス王子と別れたのは夜のまだ早い時間帯。ヴェロニカ妃が部屋に戻ったのは深夜。だいぶん時間差がある。
そして彼等を精霊が見つけられない。
ああ、これはもしかして——。
私達を静かに見守るギルが私の考えが正解だとでもいうように、珍しくニヤリと笑った。




