3 王太子の秘密
そういえば、とローザリンデ王女が優雅な仕草で手を打つと、奥の方に控えていた侍女がさっと現れる。
「お兄様に花束を頼まれているの。ピンクの薔薇と紫のベロニカで作ってもらえるかしら」
侍女はかしこまりましたと答えると、温室の花園の奥へと消えていった。
私が目を落としたテーブルには、薄いクリーム色のクロスの上に小さな透明のガラスの器が乗っている。そこにはオレンジ色の薔薇が生けられていた。小ぶりの花が三輪、八重に開くその花弁の表面はビロードのようだ。
「この温室の花は王女様が育てているのですか?」
そう尋ねると、王女は嬉しそうに頷いた。
太陽がガラス板を通して明るく照らす温室の中には、色とりどりの花が咲いている。見たこともないような花も咲いているところを見ると、外国からも種を取り寄せて植えているのかもしれない。どの花からなのか、かすかに甘い香水のような香りもした。
「花が好きで。この温室は少し贅沢なのですが、母とわたくしの趣味ですわ。母が生まれたコルム王国は温暖な南国でしたので、コルムの花を植えるために陛下が作らせたのです。ここに来ると心が和みます。花がたくさん咲くと精霊たちも喜ぶんですよ」
王女にお似合いの趣味ね。花と美少女、なんとも絵になるわ。
綺麗なものを見ると確かに和む。お花を頼むなんて意外だけど、王子も花好きなのかしら。
「殿下がお花を?」
「あ、違いますわ。これはヴィクトールお兄様のほうですの。王太子妃様に贈るお花をとりに来るのです」
なんだ、違うのか。騎士団の総帥が花なんてなんだかおかしいと思った。いや、花を背負っていても違和感ないイケメンだけれどもさ。
「奥様にお花を贈るなんて素敵ですね」
「それが、あちらはあちらで困ったことが……」
「?」
私が不思議そうな顔をしているのを見て、王女は困ったように微笑んだ。
「お姉様、以前王太子妃のヴェロニカ様は宰相閣下のご令嬢だとお教えしましたよね」
「はい。フェルラート侯爵家のご出身です。筆頭侯爵であるゲオルグ・フェルラート様は知略に富み、国王陛下の右腕だと聞きました。彼は陛下が即位される前、王宮で起こった暗殺事件を解決され、陛下の政敵であった公爵を追放しています。公爵を背後で支持していた貴族派を抑えていられるのも、彼等に対しても信任が厚い宰相の手腕によるところが大きいです。その御息女のヴェロニカ様もお父上に似て聡明であると有名だと」
「さすがですわ。よく覚えていらっしゃいますね」
「それで、困ったこととは何ですか?」
「それが、ヴェロニカ様とヴィクトールお兄様の仲が微妙に問題なのですわ」
微妙に問題……。花を贈るような仲の良い夫婦に問題があるとはどういうこと?
「もしや政略結婚にありがちな仮面夫婦だとか」
「いいえ、二人は幼馴染でお互いに信頼しあっています。でもお兄様の言動が少し普通でないので、ヴェロニカ様はすっかり誤解されてしまっているのです。宰相閣下のご心配も深くて。それでお花を贈ってみてはと、わたくしがお兄様に助言したのですけれど」
「誤解?」
王女が口を開きかけた時、花を抱えた侍女が急いで戻ってきた。
「王女様、王太子殿下が……」
「お兄様が?」
王太子殿下がどうしたのだろう。すると背後に人の近づく気配がして、私は立ち上がって振り返った。
「ローザ、少し早いのだが頼んだものは出来ているかい?」
そこには明るい茶髪の青年が立っていた。
彼には見覚えがある。そう、ヴィクトール王太子だ。
「少し早く来てしまったのだが、もう出来ているかな?」
「ええ、お兄様。少しお待ちになって。今花束にしますわ」
王女が目配せすると、侍女はまた奥に走って行った。その後ろ姿を見送ってから、王太子は立ったままの私をじろりと見る。
「なんだ、クリムヒルト嬢もいたのか。邪魔をしたな」
彼はそう言って謝ったものの、態度はかなり悪かった。明らかに私がいたことが気に入らなかったような、不機嫌そうな表情だ。
私はスカートをつまんで、できるだけ優雅に礼をする。しかし、彼はそれをいちべつしたのみで、ぷいと横を向いてしまった。腕を組んだ横顔は、ジークフリート王子と兄弟なだけあってかなりの美形だ。しかし、いくら男前でもこの態度はいただけない。
感じ悪いなあ。
ヒルデとして会った初めての謁見の時から、どうも彼はクリムヒルトを良くは思っていないような雰囲気だったのよね。
「お兄様もお座りになってください。お待ちになる間、お茶をおいれいたしますわ」
「いや、構わなくていい。王子妃の授業をしているのだろう。私に構わず進めてくれ」
「クリムヒルトお姉様はとても優秀な方ですのよ。わたくしが教えられることはもうほとんど残ってはいません」
王女が優雅に微笑んでそう言うと、王太子はぶすっとした顔のまま疑うように私の顔をちろりと見た。
「ワーゲン伯爵夫人が新しい王子妃には脱走癖があり、妃教育が一向に進まないと嘆いていた。忙しいジークの手を煩わしていると聞いている。肝心の治癒魔法も呪いを解くまでには至らなかったそうだな」
コイツ、ケンカ売ってやがる。
ツンケンした言い草にムカっときたけど、私は顔に出さないよう気をつけてにっこり微笑む。
「辺境のラウリッツ領から急に慣れない王都に来ましたので、広い王宮でよく迷ってしまって。私の魔法でも陛下の期待されたような効果がなく、申し訳なく思っております。図々しく王子妃であり続けることも憚られるような気がしまして、部屋にこもっているしだいです」
そう、王太子がいくら私のことを気に入らなかろうと、私を王子妃に据えたのは国王陛下なのだ。私の意思などそこにはないんだぞ、と暗に匂わせる。私はできることなら、さっさとラウリッツ領に帰りたいのだ。
それが通じたのか、彼はフンと鼻で返事をした。
そこへ急いでやって来た侍女から花束を受け取ると、ヴィクトール王太子は王女に礼を言って私達にくるりと背を向ける。そして最後にムカつくセリフを吐いて温室を出て行った。
「王家の恥にならんように、せいぜい頑張るのだな」
まあ、可愛くない!
私が頭から湯気を出して怒りを抑えていると、王女は困ったお兄様、と呟きながら私をなだめる。
「お姉様、お気を悪くなさらないでくださいね。ヴィクトールお兄様はお姉様にヤキモチをやいているんです」
「は? ヤキモチ?」
「さきほどのお話の続きになるのですが、ヴィクトールお兄様はジークフリートお兄様を溺愛していて、昔からお兄様に近づく女性をことごとく排除してしまわれていたのですわ」
「排除……」
「はい。お話が上がるたびに、お相手の令嬢には脅迫文が届いたり、あるいはハニートラップのようなことも……。精霊がこっそり教えてくれるのですけれど、わたくしが止めることも出来なくて。会われても先ほどのような失礼な態度でしょう? 皆様あえて王太子の不興を買うことはしたくないものですから、たくさんいらした候補の方々はみんな辞退されてしまったのです」
極度のブラコンをこじらせているのか! そういや国王もそんな感じのことを言っていたのを思い出した。ジークフリート王子がこの歳になるまで結婚出来なかったのは、あの兄のせいでもあるわけね。
「おかげでヴェロニカお姉様は、お兄様が男性にしか興味がないのだと誤解されてしまわれているのですわ」
「え? 夫婦なのに?」
「はい、夫婦ですのに」
「誤解する要因があるってこと?」
なんでよ。挙式後の王太子夫妻なのだから、当然夫婦としてのアレやコレは通過してきているはずよね?
私の諸々の含みを持たせた問いかけに、ローザリンデ王女はほんのり頬をピンク色に染めて、斜め右上に視線をそらしながら小さく言った。
「精霊が言うには、あの、まだ……だそうです」
「不能なの? あの王太子」
思わず口から出た呟きに、王女ははしたないですわと顔を覆った。




