7.庭師の青年
「はぁ。想像はしていたけど、私、酷くこの屋敷の人たちに嫌われているようね」
昼食を取り終え、与えられた自分たちの部屋に戻ってきた私は深くため息をついた。用意された昼食は酷いものだった。一見、普通に美味しそうな見た目をしているのに全く味がない。無味のスープに無味のチキン、サラダはオイルがかかっただけの簡素なものだし、パンは日が経って乾燥していた。しかも、付け合わせがないので無味のスープで流し込むしかない。料理ってこんなに無味にすることができるのかと驚くくらいには味がなかった。
「ここまで嫌われるなんて、お嬢様、ある意味才能がありますね」
ナタリーはやれやれという様子でベッドに腰掛けながらそんなことを言う。私はその言葉に思わず額を手で押さえた。
「やめて、そんな才能いらないわ…」
すとんとベッドに腰を下しながら、私は今後の予定について考える。きっと屋敷の人たちがここまで私を嫌悪するのには何か理由があるはずだ。まずはその理由を突き止める必要がある。
「まずは、ここの使用人の人たちと仲良くなるところからかなぁ」
私の言葉にナタリーはそうですねと大きく頷いた。
「個人的にウォルターというあの執事を攻略しない限り辺境伯に近づくのは無理な気がします、お嬢様」
「同感ね。あの執事、只者じゃないわ絶対」
あの貫禄、間違いなくこの城を裏で牛耳っている人物ね。エドゥアール様に向ける視線からただならぬものを感じたし、多分、かなりの強者な気がするわ。
あの執事を攻略するには、先に他の使用人を味方につける必要がある気がする。そう思った私はナタリーに誰か攻略しやすそうな相手はいないか聞いた。すると、ナタリーは窓の外に視線を向けながら言った。
「まずはあの庭師を攻略してはいかがでしょう、お嬢様」
窓の外を覗くとそこには年若い青年が庭の手入れをしていた。癖のある赤毛が特徴の元気そうな青年だった。
「なに、ナタリーの知り合い?」
「いえ、全く」
かなり自信ありげな様子で勧めてきたのでてっきりナタリーの知り合いだと思ったが、どうやらそうではないらしい。なら、なぜ彼が適当だと思ったのだろうか。
「どうしてあの青年を?」
私の疑問にナタリーはこう答えた。
「私が見た限り、この城の使用人は辺境伯と同じくらいの年齢の男性が殆どです。少人数で回しているところから、忠誠心が高く信用できる者のみを使用人として登用しているのだと思われます。長年築き上げられてきた忠誠を覆すのはそう簡単ではありません。恐らく辺境伯がお嬢様を歓迎していない以上、長く仕える使用人は辺境伯の気持ちを尊重し、お嬢様を追い出そうとするでしょう」
「まぁ、そうよね」
この屋敷の使用人の忠誠の高さは何となく感じている。誰もが隙の無い感じで接していてこちらが緊張するくらいだ。
「あの青年だけ、この城で唯一、まだここに染まり切っていない気がします」
あれが証拠です。そう言ってナタリーが指さしたのは、上司であろう男性に怒られる青年の姿だった。
「あら、本当だわ。ベテランの庭師に何かを怒られているわね」
流石に声までは聞こえてこないが、かなりの迫力だ。青年は肩をすぼめ委縮している。時々、すみませんというように上司であろう男性に頭を下げていた。
「他の使用達は皆、動きが洗練されておりましたから、彼は他の使用に比べてそれほど長くは仕えていないかと」
「なるほどね。流石、ナタリー。素晴らしい観察眼だわ」
「お褒めにあずかり光栄です、お嬢様」
ナタリーの言う通り、あの青年なら少しは話が通じるかもしれない。年も近いし、話題も見つけやすいだろう。城の外だし、他の使用人の目も届きづらいので警戒もされにくい。
「よし、ならちょっと彼に声をかけてくるわね。貴方は自由にしていて構わないわよ、ナタリー」
二人で行っては青年に警戒されるだろうと思い、私はナタリーにそう声をかけた。流石にナタリーもそれは分かっているみたいで、無理についてくる気はないようだ。
「では私は情報収集に行ってきます。お嬢様を野放しにするのは不安ですが、私がいると邪魔になりますし」
ナタリーの言葉に、彼女は本当に心配症だなぁと思った。
「安心して、ただ声をかけるだけだから!」
「…はぁ、その言葉を信じます」
せっかく人が不安を和らげようと笑顔で言ったのに、ナタリーはなぜか余計に不安そうな顔をした。どうしてだろうと首を傾げているとナタリーはいつのまにかドアの前に移動していて、早くいかないと日が暮れますよと私に声をかけた。その言葉に私は慌てて扉へと向かう。こうして私たちは部屋を後にしてそれぞれ別行動をしたのだった。
※※※
「それにしても、綺麗な庭ね…」
城の外に出て、庭園へとやって来た私は周囲を見回してほうっと息をつく。王宮のように煌びやかな花が一面に広がっているわけではないが、きちんと形を整えられた植木が規則的に並んでいる様は見ていて心がスッキリとした。
「何というか、庭園って家主の性格が出るわよねぇ。どこまでも精確で、規則的…。そして高価な花は一切ないのに、洗練されていてとても美しい…」
この庭園を見ているとやはりエドゥアール様の性格が噂通りのものとはどうしても思えない。まだあいさつ程度の会話しかできていないが、棘はあっても残忍な人のようには感じられなかった。もっと彼のことをよく知りたい…そんなことを思いながら庭園を眺めていると、突然背後から声がかかった。
「へぇ。よく分かってんじゃん、お嬢サマ」
「うわっ!」
全く気配に気づかなかった私は驚いては背後を振り向く。すると、そこには探していた庭師の青年が居た。
「…びっくりした。全く気配に気づかなかったわ。貴方、気配を隠すのがうまいのね」
私がそう言うと、彼はまるで悪戯が成功して喜ぶ少年のように笑った。
「はは!まぁな。…で、エドゥアール様を堕としに来たって噂のお嬢サマがここに一体何の用?」
「え?いや、確かにエドゥアール様を口説きには来たけど、おとすの意味が違う気がするわ」
何となく青年の言葉に不穏な単語が混じっていたのを感じた私はそう青年に指摘をする。すると、青年は何言ってんだ?というような表情で私を見た。
「は?同じだろ?旦那様を口説き落として、この辺境を自分のものにするつもりだろう?使用人の間では有名だぜ」
「ええ!?」
何それ!?なんでそんな不穏なうわさが使用人の間で広まっているの…?
青年のとんでもない勘違いに私は慌てて首を横に振った。
「全然違うわよ!私はエドゥアール様が好きなのであって、この辺境に興味はないわ!いや、興味がないっていうと語弊があるかもしれないけど、この地域の暮らしや文化に興味はあっても、辺境をどうこうしようとかそんな気持ちは一切ないわ」
「でも、結婚したら旦那様のお金で贅沢するつもりなんだろう?王都からわざわざ豪華な服を取り寄せてみんなに見せびらかすつもりだろう?」
「ないわよ!そもそもお金なんてエドゥアール様に頼らなくても十分に持っているわ。ドレスだってわざわざ取り寄せなくてもいいものを十分に持っているし。というか、私、家ではドレスを着ない主義なの。だって無駄にひらひらして動きずらいじゃない。本当は貴方みたいにズボンを履きたいくらいだけれど、それは侍女が許してくれないからワンピースを羽織っているわ」
全く、とんでもない誤解だ。私をそんじょそこらのパパ活令嬢と一緒にしないでいただきたい。これでも父は宰相の侯爵令嬢なのでお金には不自由していないのだ。それに父様には内緒でナタリーと一緒にとある事業を起こして自分でも稼いでいる。例え我が家が突然没落としても、そっちで生きていけるくらいの稼ぎは持っているのだ。…そもそも、お洒落にも興味がない私はお金を使うところがないので貯まる一方なのだが。
「…なんかあんた、変わってるな」
私の言葉に青年は拍子抜けしたような顔でそう言った。
「よく言われる」
普段からよく言われる言葉だ。私は特に考えることもなくいつものようにそう返した。が、それが青年のツボだったらしい。青年は突然肩を震わせると盛大に吹き出した。
「ぶはははっ!―なんだ。あの旦那様を口説きに来るっていうから一体どんな高飛車なご令嬢かと思っていたら、あんた、全然令嬢っぽくないじゃん。無駄に警戒して損した」
「警戒?」
「うん。てっきり旦那様に歓迎されなくてむしゃくしゃしたお嬢様がこの庭を荒らしに来たのかなぁと思ってね。様子を見に来たんだ」
まるで、一度そのようなことがあったみたいな言い方だ。いや、あったのかもしれない。いくらエドゥアール様でも断れない縁談はあるはずだ。
「もしかして、前に似たようなことでもあったの?」
「一回だけね。あの時は酷かったよ。ようやく旦那様がその気になったと思って使用人全員で大歓迎したのに、旦那様の性格が思い描いていたものと違かったとか、あの態度が気にくわないとかで俺たち庭師に奴当たりしてきてね。せっかく手入れした庭をめちゃくちゃにしたんだ。それに気づいた旦那様が咎めたら、こんな田舎に二度と来るものかって出て行っちゃった」
「それは随分と酷いわね」
大方、エドゥアール様の容姿に惚れて半ば強引に縁談を申し込んだろうけど、申し込んでいる身でどうしてそのような傲慢な態度が取れるのか不思議だ。勝手に期待して、無理矢理迫ったのにも関わらず思い描いていたのと違かったって失礼にも程がある。しかも、相手の使用人に手をかけるなんて、常識外れもいいところだ。
「俺さ、その時ちょうどこの屋敷に仕え始めたばかりだったから、王都のお嬢サマってみんなこんなもんなのかなと思ってがっかりしちゃった。あの日以来、旦那様は完全に女性に心を閉ざしちゃったし、使用人のみんなは大激怒で…だからね、正直旦那様から新しい令嬢を屋敷に招くって話を聞いた時は驚いたんだよ。旦那様は乗り気ではなさそうだったし、一体どんな汚い手で旦那様に無理矢理承諾させたのかって皆疑っていたんだ」
「なるほど。それであの歓迎なのね。よーく分かったわ。確かにそう思うのも無理はないわよね。無理矢理迫っているのは事実だし」
そんなことがあったのなら使用人が過剰に反応するのも当然の話だ。しかも、私の場合は半ば宰相権限で無理矢理ここに来ることを承諾してもらっているわけだから、エドゥアール様を脅していると捕らえられても仕方がないわけで、きっと使用人たちは私がエドゥアール様に危害を加える敵だと誤解しているのだろう。
まずは前の令嬢との格の違いを使用人に見せつける必要がありそうだ。私のエドゥアール様への愛の重さを、そんな根性なしの迷惑令嬢と一緒にしないでもらいたい。私のエドゥアール様への愛は、もっと深くそしてねちっこいのだ。
もっと色々と青年から話を聞きたいと思った私はそう言えば自己紹介をしていなかったことに気づいた。
「知っていると思うけど改めて自己紹介するわ。私はエリワイド・コンサーレ。これでも侯爵令嬢だけど、別にここでそれを鼻にかけるつもりはない。寧ろ、普通に接してほしい。呼び方もお嬢様じゃなくて、エリィでいいわ。敬語もいらない」
私がよろしくと手を差し出すと、青年はきょとんとした後、ニッと笑って私の手を取った。そしてこちらこそよろしくと握手を交わしてくれる。
「分かった。エリィな。俺はレオ。ここで庭師をしている。…まぁ、まだ見習いなんだけどな」
「そうなの?すごく綺麗に剪定されているから見習いだとは思わなかったわ」
「へへ。そうだろう?俺、剪定だけは得意なんだ。それ以外はからっきしだけどな」
レオはこの城に勤めてまだ1年くらいらしい。最近ようやく腕が認められてここら辺の庭の剪定を任せてもらえるようになったと嬉しそうに話した。どうやらナタリーの推測は間違っていなかったようだ。
その後、レオは私にこの庭のことや城のことを色々と教えてくれた。レオは明るくひょうきんな性格なので打ち解けるのにそう時間はかからなかった。この時、レオとの会話に夢中になっていた私は気づかなかった。楽し気に会話をする私たちの様子を遠くから見つめる影があったことに。