3.令嬢のお忍び
「…ついついここまで来てしまったわ」
お父様はブルーナイト辺境伯に話をつけてくれると言ったものの、どうにも心配で気になって仕方がなかった私は父の後を追って王宮までやって来てしまった。現在、父の忘れ物を届けに来たという名目で城に潜入中である。
「というか、ここどこかしら。何だか知らないところに来てしまったわ」
実際に父の忘れものを届けに何度か王宮には来たことがあるのだが、いつもは道案内をしてくれる兵を父が寄越してくれていた。しかし、今回は父に無断で来ているために案内役がいない。記憶を頼りに同じ道を来たつもりだったのだが、どうやらどこかで道を間違えたようだ。いつの間にか見たことのない廊下にでてしまった。
「王宮ってどうして案内表示がないのかしらね。同じ扉ばかりなのに表札がないなんておかしいわ。なぜ皆、部屋の識別をできているのかしら。不思議だわ」
どこまでも続く白い大理石の廊下に、点々と現れる重厚な気の扉。どれも同じ装飾が施されていてぱっと見、識別ができそうな目印はない。おまけに同じ景色が広がる空間が長く続いているせいで、方角も分からない。どっちからやってきたのかも分からなくなってしまった。
「あははは!確かに表札がないね!言われるまで気づかなかったけど」
突然背後から笑い声がする。私はびっくりしながら後ろを振り返った。するとそこにはめったにお目にかかれない高貴なお方が肩を震わせながら立っていた。
「レオナルド殿下!」
「やぁ、エリワイド嬢。久しぶりだね」
金髪碧眼の愛嬌のある顔立ちの第2皇子。レオナルド王子である。彼は笑いすぎてでた涙を手の甲で拭いながら、こちらに手をひらひらと振った。
「はー。久々に笑ったよ。やっぱエリワイド嬢は面白い人だね」
一体今までのどこに面白い要素があったのかは分からないが、独り言を聞かれてしまったのは流石に恥ずかしかったので、何となく肩身が狭い思いで謝る。
「お恥ずかしいものをお見せしてすみません」
「いやいや、勉強になったよ。確かにこの城に来るのはここになれた人ばかりではないからね。案内表示を置いた方がいいのは事実だ。各部屋に表札をつけるのは僕から官吏に提案しておくよ」
「恐れ入ります」
殿下が心の広い人で良かった。他の人に聞かれてたらきっと色々と面倒になっていた。
「それで、エリワイド嬢はどうしてここに?」
「父に忘れ物を届けにきたのですが、迷ってしまいまして」
「ああ、ステファーヌか。彼ならこことは別のエリアだね」
「え、そうなんですか?」
そんなに見当違いのところに来てしまったのか。てっきりこっち側に父がいると思っていたのに。
「ここは騎士団本部につながるエリアだからね。この辺の部屋は全部、来賓用の客室や会議室だよ。ステファーヌをはじめとする文官達が過ごす執務室があるのは反対側の王族の住居につながるエリア。ステファーヌは父の側近だから普段は国王の執務室にいる」
「国王陛下の執務室に?」
え、普段そんなすごいところで過ごしているのお父さま?家ではそんなすごい人な感じしないから想像つかないけど。ちょっくら仕事行ってくるわ~くらいのノリで家を出ていくから、国王陛下に会いに行きます感全然なかったけど。
「うん。なんたって宰相だからね。なまじ父は直ぐに仕事をさぼっちゃうところがあるから、常に仕事をさぼらないように監視してるんだよ」
「…そうだったんですね」
国王陛下でもお仕事さぼったりするんだ。何回かお会いしたことはあるけど、全然そんな風には見えなかったのに。意外だ。
「多分、君に会うときは側近用の来賓室を使ってたんじゃないかな。流石に国王の執務室に入れるわけにはいかないだろうし」
「確かに客室のようなところに案内された記憶があります」
今まで通された部屋は綺麗に整理されたソファとテーブルだけがある部屋だった。執務室ならもっと書類とかがあるだろうし、きっと客室だったのだろう。
「じゃあ、きっと当たりだね。ステファーヌは君が来ていることを知っているの?」
「いえ、父には言っていません」
私の言葉に殿下は納得したように頷いた。
「そっか。それで案内役が傍にいないのか。ステファーヌなら絶対に人をつけるもんな。…よし、なら僕がステファーヌのところまで君を案内するよ」
「え!いや、そこまで殿下にしていただくわけには…」
突然の申し出に私は驚いて殿下を見る。殿下は遠慮しないでというように朗らかに笑った。
「大丈夫。ちょうど僕も自分の部屋に戻るところだったから。ちょうど通り道だし、一人で戻るのもつまらないじゃない?話し相手になってくれると嬉しいな」
ああ、そうか。王族の部屋もそっち方面って言ってたもんね。なら、お願いしてもいいのかな。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
「うん、甘えて甘えて~」
こうして私はレオナルド殿下と一緒に父のいるエリアへと移動することになった。長い廊下を歩きながら、殿下はふと思い出したように私に質問をする。
「そういえば、エリワイド嬢。カイルからの縁談断ったんだって?」
「…はい」
カイル様とはローレンス公爵家の次男、つまりは以前私が縁談を貰ったお相手のことだ。レオナルド殿下の側近で幼馴染であるため、レオナルド殿下と仲がいいと聞く。友人を振ったという気まずさゆえに、私の返事は尻すぼんだ。
「あははは!そうなんだ。あいつ、振られたの凄いショックだったみたいで僕に泣きついてきたよ」
「ええ!?」
てっきりカイル様は私に好意などなく、家のために婚約を申し込んでいたと思っていたので、私は思わず驚きの声を上げる。それを見ていた殿下はああやっぱりなという表情で笑った。
「ふふ、やっぱエリワイド嬢はあいつの気持ちに気づいてなかったんだね」
「…てっきり、政略のためだけだと」
「まぁ、それもあるだろうけど。でも、普通にあいつはエリワイド嬢のこと好いていたよ」
「…それは申し訳ないことをしました」
どっちであれ断ることに違いはなかったけれど、それならもうちょっと優しく断ってあげればよかったなと思った。向こうも感情はないだろうと思って、普通に業務的な断り方をしてしまった。
「あいつを振ったのって、あいつがエリワイド嬢を好いていないと思ったから?それとも、エリワイド嬢には他に気になる人がいたから?」
「後者です」
もともとイケオジと婚約することしか考えていなかったので、カイル様以外の縁談も断りを入れている。相手が自分を好いているかどうかは全く気に留めてなかった。
「そっか。なら、仕方がないね。エリワイド嬢は気にする必要ないよ。気持ちをちゃんと伝えなかったあいつも悪いしさ」
もっと友人を振ったこと責められるのかと思ったが、殿下はあっさりと身を引いた。殿下から考えを改めるように懇願されても無理なものは無理なので寧ろ興味を失ってくれてありがたいのだが、少し拍子抜けだ。
「ところで、エリワイド嬢が気になる相手って誰?」
「へっ!?」
突然の話題転換に私は驚いて殿下を振り返った。殿下は悪戯っ子のような笑みを浮かべると懇願するように私に言う。
「教えてよ、誰にも言わないからさ。俺、力になるよ。これでも王子だし。できること結構あると思う」
その言葉に私は少し考える。確かにブルーナイト辺境伯の攻略には辺境伯より上の立場の人の協力は必要だ。それがレオナルド殿下であればなおさら力になってくれそうな気がする。私は殿下の耳元に顔を近づけると密やかに相手の名を明かした。
「…ブルーナイト辺境伯です」
「ブルーナイト辺境伯…って、あの?…なるほど、エリワイド嬢の好みってそっちだったんだ。それならカイルが振られるのも頷けるね。ブルーナイト辺境伯の貫禄ある魅力にはカイルは敵わないだろうからね」
「…殿下ってお心が広いですね。そんなにすんなり受け入れてもらえると思いませんでした」
どこかの幼馴染とは大違いだ。
私の言葉に殿下は不思議そうな表情を浮かべたが、直ぐに事情を察したのか納得したように苦笑した。
「え?…ああ、驚きはしたけど、人の好みは様々だってことはよく分かっているからね。あ、もしかしてアルフレッドに色々と言われた?」
「はい。理解できないと言われました」
私がそう頷くと殿下は再び肩を震わせて笑った。
「あははは!あいつなら言いそう。でも、僕はいいと思うよ、ブルーナイト辺境伯。色々と悪く言われているけど、僕は彼が悪い人ではないことを知っている。彼には幸せになってほしいからね。エリワイド嬢が貰ってくれるなら大歓迎だ。全力で応援させて貰うよ」
「あ、ありがとうございます」
おお、殿下に公認された。というか、殿下もブルーナイト辺境伯と知り合いなんだ。殿下がそういうならブルーナイト辺境伯の噂はあてにならないのかもしれない。そう考えると少しホッとする。
「殿下?…それにエリィ?なぜここに?」
ちょうど私達が歩いている方面から、お父様がやってきた。どうやた会議から戻るところだったらしい。殿下がちょうどいいところにとお父様に声をかけると、事の経緯を軽く説明してくれた。
「貴方の忘れ物を届けに来たそうですよ」
「忘れ物?…忘れ物などした覚えがないが…」
不思議そうな顔でこちらを見るお父様に私は鋭い視線で察してと念を送る。視線を受取ったお父様は何かを察したのか、慌てたように話を合わせた。
「あ、ああ。あれか。わざわざ届けに来てくれたんだな。ありがとう、エリィ。助かるよ」
「いえ、忘れ物のおかげでこうしてお父様に会えるので嬉しいですわ」
「ははは、そうか。嬉しいことを言ってくれるな、うちの娘は」
殿下は私達のやり取りを微笑ましそうに見とどけると、私達に声を掛けた。
「じゃあ、ステファーヌにも会えたことだし、僕はここで失礼するよ。またね、エリワイド嬢」
「はい。ありがとうございました。殿下」
「ありがとうございました。殿下」
お礼を述べた私達にどういたしましてと手をひらひらと振ると殿下は軽やかな足取りでご自分の部屋へと向かわれるのだった。