仲間達
食事は、ジョアンが言った通り療養食という、ドロドロの汁だけが入った器が並んでいるだけの物だった。
だが、それを口にした時、これまで味を碌に感じていなかった、と分かったほど、それはそれは美味しく感じた。
汁だけなのにあまりにもおいしいので、皆がお代わりは無いかとジョアンに訊ねたが、ジョアンは苦笑してこれ以上は胃に悪いので、夕方まで待つようにと言われてしまうほどだった。
ちなみに、聞いたところによると、この施設の院長の家族が、ここで療養する人のためにと自身のシェフに考案させた療養食であるらしく、おいしいのも道理だったのだ。
最期の時を、最高の食事で過ごして欲しい、というオーナー家族の計らいだった。
しかし、ここに居る皆はこれを最後にするつもりはなかった。
体が楽になり、最高の薬での投薬治療ができるという希望の光を見て、全員がここへ来た時の、覇気のない顔ではなく、しっかりと前を見て、生きようという意思を感じさせる様子に変化していた。
…それにしても、全く痛みがない。
拓海は、自分の胸を押さえた。
どことなく違和感はあるものの、あの常に付きまとった痛みが全くなく、筋肉痛のような筋を違えた痛みが所々残るものの、それも何やら収まって来ているように思えた。
これも、緩和ケア用の新薬の効果なんだろうか。
拓海は、不思議だった。
開発中の薬だと言っていたが、これがあれば多くの人が痛みから解放されるのではないか。
だが、恐らくまだ未認可で、最高の医師と最高の薬を使って治療できる人など一握りなのだろう。
あの病院で、声を掛けてもらえて本当にラッキーだったと思えた。
仮にここでゲームに負けてしまい、治験の検体として認められなかったとしても、最後まで苦しまずに終えることができそうだったからだ。
拓海がリビングのソファに座って、じっと自分の胸を押えて座っていると、ジョアンが声を掛けて来た。
「…拓海さん?痛みますか。」
拓海は、ハッと顔を上げた。
ジョアンは、もう戻ると言って四階の方へと向かったはずだったからだ。
拓海は、首を振った。
「いえ、痛まないので不思議に思って。ジョアンさんは、戻ったんじゃないですか?」
ジョアンは、苦笑した。
「あなたがそちらで胸を押えてじっとしているので、痛みがあるのかと思って聞きに来ました。我々は、常に皆さんの様子を観察しているのですよ。痛みが無いのなら良いのです。では、戻ります。」
ジョアンが戻ろうとしたので、拓海は慌てて言った。
「あの!」ジョアンが、振り返る。拓海は続けた。「…どうして、こんなに良くしてくださるんですか?他にも同じ境遇の人が居たでしょうに、オレ達だけがここに来られたんですよね。」
ジョアンは、微笑んだ。
「運が良かったですね。あなた方が掛かっていた病院は、我々の研究所の提携病院ですので。そこでの検査データは、常に我々の目に留まる位置にあります。そのまま緩和ケアに移る患者のデータもこちらに入ります。まだ若く、そしてまだ間に合い、完治の可能性がある人々を選んで、こちらへご案内致しました。ですが、あなたが今言ったように、不公平なんですよ。高いお金を出して保険に入り続けて投薬治療をする方々や、現金で支払い、または借金をしてまで治療をする方々が居る中で、諦めるしかなかった上、我々の目に留まったあなた方だけをタダで救済するという事は。なので、苦肉の策として、ゲームをして頂くことにしました。それを仕事として我々はあなた方の動きを観察しデータ化し、勝ち残った方々に対するプライズとして治療することが、最善ではないかと。もう、三十年ほど前に開発されている薬ですのに、薬の認可には大変に時間が掛かるので…こんなことをするしか、方法がなくて。」
きっと、ジョアン達も皆を助けたいのだろう。
だが、ボランティアで全員を助けられるほど、世の中は甘くはないのだ。
「…そうですか。」拓海は、頷いた。「私達は私達の出来る事をして、あなた方の何とか助けたいという気持ちに報いたいと思います。」
同じように離れてソファに座っていた、別の男が言った。
「…オレ達はラッキーだ。」ジョアンがそちらを見る。男は続けた。「ここで、何とか検体としての権利を勝ち取りたいものだよ。」
ジョアンは頷いて、そしてそのまま、リビングを出て行った。
それを見送って、男が言った。
「オレは、樫田一真。君は?」
拓海は、頷いた。
「オレは永浦拓海。拓海と呼んでくれ。」
その男も、30代ぐらいに見えたので、拓海は敬語を使わなかった。
相手は、頷いた。
「拓海。オレのことも、一真って呼んでくれ。みんな若いと思っていたが、選んでたんだな。オレは30だが、君は?」
「オレは31。」拓海は答えた。「さっき、めっちゃ整った顔の人とも挨拶したんだ。羽田明って言ってた。33歳だって。だから、みんな若いんだ。」
一真は頷いて、離れたソファでこちらを見ている二人を振り返った。
「おい、こっちへ来いよ。」二人は、立ち上がってこちらへ来る。一真は続けた。「この二人も同じぐらいの歳だぞ。こっちは、新田圭斗で29歳、そっちは根来将生で28歳。」
二人は、会釈した。
「よろしく。とはいえ、陣営が違うかもしれないんだよね。お互い頑張ろう。」
圭斗が言う。
拓海は、頷いた。
「うん。そういえば、めっちゃ若そうに見える子も居たよな。ええっと、4番の。」
オレの相方。
拓海は、思った。
今ここにはいないみたいだが、皆の前ではバレてはいけないので話し掛けるつもりはなかった。
将生が、頷いた。
「ああ、知ってる。オレが6で圭斗が5なんで、4の子にはダイニングで話しかけてみたんだ。まだ24歳って言ってたぞ。あの子の陣営はどこか分からないけど、同じだったらいいなと思ってたとこ。名前は、中井幸喜って言ってた。」
幸喜か…。
拓海は、覚えておこう、と思った。
お互いが共有者で、同じ陣営だと分かっている唯一の人だ。
まだ24歳の幸喜が相方だと思うと、俄然頑張らなければと思ってしまう。
「ま、ゲームは今夜からだし、お互い構えずに話そう。オレも、本腰入れて頑張るかな…もう手遅れだって分かってから、全部整理して来ちまったから今さら帰るのも気恥ずかしいんだがな。」
一真が、そう言って笑う。
確かに、ここへは皆、死ぬために来たのだから、あちらとは別れを告げては来ただろう。
昔に感染症が流行ってから、入院していたら家族に会えないのは当然のルールになっていたからだ。
ここへ入ったら、もう二度と会えないだろうと皆が始末をつけて来たとしたら、分かるのだ。
自分も、もう借りていたアパートすら解約してしまったので、今更帰るのは確かに難しいかもしれない。
だが、命があれば何でも一から始められるものだ。
今となっては、拓海はそう思うのだった。
夜まで、いろいろな人達と話をした。
これだけの人数の中で、女性は五人で、しかもそのうち四人は二十代と若い人達だった。
一人は、三十代前半で、それでも体は小さくて、もっと若くは見えた。
全員がまだ病というのもあって、まだ痩せた頬のままなので少し、痛々しいが、それでも目には力があって、動きもスムーズで元気だった。
女性達は皆、仲が良くてキャッキャとはしゃいでいて、普通の女子会の雰囲気が楽しそうだ。
夕ご飯の時に、皆で顔が映るほど液体の食事を口へと運びながら、楽しく話した。
拓海は、両隣りになる16の境宏夢と、18の三田桔平と仲良くなった。
二人は30歳で、拓海とは同じ学年になるのだと知ったのだ。
偶然にもそんな二人と隣り合ったので、意気投合してその日は楽しく食事を飲んだ。
明日は五分粥ぐらいにはなるらしい。
もうガッツリ行けそうな気がしたが、まだ病気なのだと自分に言い聞かせて、不摂生はしない方がいいと用意された水だけを口にして、9時になる前に部屋へと戻ったのだった。