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暗闇の中で

永浦拓海(ながうらたくみ)は、胸を押さえてマスクの中で咳き込んだ。

大勢を乗せたバスは、恐らく自分の最後の地になる療養施設に向けて険しい山道を進んでいる。

この体には、長いドライブはつらかったが、しかしそこしか行く場所はない。

この病気が分かってから、まだそう時は経っていない。

家に引きこもってパソコンで細々と仕事を受けてやっていたが、気が付いたら倒れていた。

発見したのは妹で、自分は虫の息だったのだという。

そのまま救急車で運ばれた先の病院で、末期の肺がんだと診断され、ろくに保険料も支払って来なかったのが祟って、高額の診察料を支払うと、もう貯金は底をついた。

妹が何とかしようと奔走してくれて、何とか滞納していた国民医療保険料を支払ってくれて幾らか戻って来たが、それも妹が立て替えてくれた料金を支払うと何も残らなかった。

もちろん、そこから治療に使う金もあるはずがなく、そもそも保険で賄える治療ではもう、治る見込みはないところまで来てしまっていた。

革命的な薬が出来たらしいのだが、それが認可が降りていなくてかなりの高額になるので、とても拓海には支払えない。

医者は、そんな拓海に緩和医療を勧めた。

その病院では、そんな境遇の人達を集めて看取るための施設を運営しているのだと言う。

ボランティアなので、もちろん無料だ。

妹は、保険外治療をしよう、自分が支払うと言ってくれたが、家庭を持ちパートをしながら子達を夫と育てている妹に、そんな事はさせられない。

なので、拓海は迷わず施設に行く事を選んだ。

まだ三十代になったばかりなのにな、と、拓海は己の運命にもう、諦めていた。

今日は、身の回りの整理をしてその施設へ行くための準備をして、妹とその夫に見送られてバスに乗り込んだのだ。

驚いた事に、自分と同じようにその施設へ向かう人達は20人ほど居た。

どうやら、全国からそういった境遇のもの達が、今日一気にその施設に運ばれる事になっているらしい。

どうせ命の先も短いので、何をされるのかとか一瞬過ったが、すぐにどうでも良くなった。

何をされても、今より悪くなりようがないからだった。


あちこち具合の悪そうな一行は、バスに乗り込んで、無言で揺られて来たのだ。


…山の中に捨てられるとしてもおかしくはないな。

拓海は、その道の険しさにそう、思った。

アスファルト鋪装すらない山道を、右に左に振り回されて進むバスには、正直不安だった。

もう命はないと思っていても、やはり崖下に落ちるかもと思うと怖いものだ。

生存本能とは大したものだと心の中で苦笑した。


皆が身を寄せあって、それでも無言で揺られていると、パッと目の前が拓けて、明るい光が降り注いだ。

何事だろうと前を見ると、そこは広く芝生に覆われた美しい土地で、その向こうには大きな洋館が一つ、存在感を出していた。

古いのだろうが、綺麗に塗装し直されていて廃れた様子はこれっぽっちもない。

そこへ近付いて行くと、スタッフらしい白衣の数人が、入り口から出て来て出迎えてくれるのが見えた。

…ああ、本当に療養施設なんだ。

拓海は、そこまで来てやっとそう、信じられた。

若い医師らしい者達の中には、外国人も多く混じっていた。

やはり外国人は宗教感の違いから、ボランティアには積極的なのだろうか。

バスがその場所へと横に停まると、扉が開いた。

「どうぞ、こちらへ。」白衣の外国人が、そこから覗いて流暢な日本語で言った。「皆様のカルテはこちらに届いております。お部屋へご案内しましょう。」

皆が、立ち上がる。

具合が悪いもの同士、無言で気遣い合いながら、ゆっくりとバスを降りて行った。

拓海も、前の人に続いて降りようとしたが、こうして見ると皆、若い。

まだ二十代の子達も混じっているようだった。

…オレはまだましか。

拓海は思いながら、バスを降りて洋館を見上げた。

「ようこそいらっしゃいました。私はジョアン、こちらの責任者です。まずは、お部屋に入って軽い治療をして、お体のだるさを取りましょう。それから、この洋館の説明を致します。館内は基本的にご自由にしていてくださって良いですし、キッチンも自由に使って料理などもしてもらって大丈夫です。ただ一つ、外には出ないようにしてください。この辺りは熊が出るので、安易に外に出ると危険です。」

皆、青い顔で頷く。

聞いてはいるが、皆だるくてそれどころではないのだ。

ジョアンは、そんな皆を気遣って、洋館の中へと皆を案内して行った。


そこは、療養施設とは思えないほど本格的な豪華な洋館だった。

床はふかふかとした絨毯に覆われていて、何もかもがアンティークで家具など触れたら傷をつけてしまいそうで怖いぐらいだ。

玄関ホールには豪華なシャンデリアが吊り下がっていて、キラキラと光を反射していた。

女性も居たので喜びそうなものだが、あいにく全員具合が悪い。

正面の女王でも降りて来そうな大層な幅の広い階段を、皆で体を引きずるようにして登って行くしかなかった。


拓海の部屋は、三階の17号室だった。

申し込み順に番号が決まったらしく、二階には1号室から10号室までが並んでいて、三階には11号室から20号室までが並んでいる。

フラフラになりながら部屋へとたどり着いた拓海は、広く美しいバストイレ付きの部屋に感動する暇もなく、大きなキングサイズの天蓋付きのベッドへと倒れた。

…ここで死ぬなら、良いのかも知れない。

拓海は、しかしそんなことを思った。

そこらのホテルのVIPルームよりも数段豪華なのだ。

このまま何もしなければ、長くて三ヶ月の命だと聞いている。

拓海は、そのまま目を閉じて意識を手放したのだった。


次に目を覚ました時、うつ伏せに倒れ込んでいたはずの体は、上向きになっており、きちんと布団を着て横たわっていた。

…また苦しいな。

拓海は、寝ている時には気付かない、胸の痛みと咳の発作を覚悟したが、いつまで待ってもそれがない。

…おかしい。

拓海は、そろそろと体をおこした。

…どこも痛まない。

それどころか、胸に付きまとっていた痛みが全く気取れなかった。

…体が軽い。

驚いて腕を見ると、そこには注射の後に貼るあの小さなテープがあった。

そして、見慣れない腕時計のようなものが腕に巻き付いていた。

気を失っている間に、どうやら医師が来て処置をしていたようだった。

戸惑っていると、扉が開いた。

「拓海さん?気が付きましたか。」

ジョアンだ。

拓海は、頷いた。

「はい。あの、先生。体が軽いんですが。」

ジョアンは、微笑んだ。

「そうでしょう。一時的に楽になるように処置しておりますからね。皆さん、目を覚まされて一階にご案内しているんです。ここの説明をしなければなりませんからね。問題ないなら、下に降りて来てください。」

拓海は狐に摘ままれたような心地になったが、頷いた。

…何をしてもここまで楽にはならなかったのに。

拓海は、出て行くジョアンの背に聞きたい事は山ほどあったが、とにかく下に降りよう、と、トイレを済ませて部屋を出て、階下に向かう事にした。

その間も、体はまるで何事もなかったかのように軽く、忘れていた健康な何不自由ない自分がそこにいた。

階段を降りる足も軽やかに、信じられない気持ちで、拓海は一階へと向かったのだった。

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