61 霊薬
影収納から霊薬を一本取り出す。細い瓶にコルクのような物で蓋がされた、薄い青色の液体だ。味はどことなくケミカルだが、薬臭くはなくやや甘い。
今思えば、経口薬とも限らないのによく飲んだものだ。血の乾きで限界だったとは言え、異世界の謎の薬を躊躇わず服用した自分が信じられない。
薬を手に自分の行いを振り返っていると、リリエラが目を見開いて口をぽかんと開けていた。初めて見る表情だ。
「お、兄さん、それえ……」
震える指先で指差しながら、恐る恐る正体を聞いてくる。
「霊薬エリクシルって薬だ。迷宮の宝箱から出てきた」
リリエラの言った世界樹の霊薬と同じものとは限らないが、何らかの効果は得られるのではないか。
「そういえばあ、迷宮主なんだっけえ。それもびっくりだけどお」
霊薬から目を逸らさずに問答するリリエラ。手渡そうとすると、のけぞるように身を引いた。
「いやいやあ、勘弁してほしいなあ」
「なんでだよ」
口調こそいつも通りだが顔は素で引いている。吸血鬼や稀人は笑って流したのに霊薬は触りたくないのか。急に普通の人みたいなリアクションをされて戸惑う。
「魔力の密度も色もお、半端ないしさあ」
「密度と色?」
首をかしげると、相変わらず霊薬に目を向けながら教えてくれた。
回復薬には少なくない魔力が込められているが、上等な物はより多くの魔力が込もっているらしい。魔力の色というか輝きも、より強く見えるようだ。
つまり今俺の手にあるこれは、
「リリエラの目から見て、強い魔力が込められて見えるってことか?」
「とんでもないくらいにねえ」
魔力の見えるリリエラのお墨付きを貰った。これならすり減った魂も修復されるかもしれない。だが、
「……飲ませて大丈夫だと思うか?」
取り出してはみたものの、どんな影響があるかは分からない。強い薬ということは、それだけ体の負担も大きい気がする。俺はなんともなかったが、吸血鬼の体は参考にならない。
そうだねえ、と言って霊薬をまじまじと見てから答える。
「魔族の魔力みたいなあ悪い感じはしないしい、大丈夫だと思うけどお」
「けど?」
気になることでもあるのだろうか。
聞き返したが、答える前に焦れたキアネアが口を挟んだ。
「それ飲めば姉ちゃんが助かるのか? なら、早く飲ませてくれよ」
すがるような目で急かすキアネアを尻目に、リリエラが濁した言葉の先を言う。
「それえ、売ったらすっごい金額になると思うよお。いいのお? 飲ませて」
金には困っていないし別にいいが、大金の詰まった財布を持つリリエラの言う「すっごい金額」はちょっと気になる。
リリエラのリアクションからして、途方もない魔力密度を持つ薬。魂を修復する力を持つ……かもしれない、おとぎ話級の代物。そして地下九九階のドラゴン、それもエンペラー種の討伐報酬。実際どれほどの値がつくのだろう。
「ま、待てよ!」
瀕死の人間を前に下世話な話を始めたリリエラを、焦ったようにキアネアが止めた。懇願するような目を向けてくる。
「頼むよ。そうだ、金ならあるんだ」
離れた所に落ちていた革袋を拾い上げた。そもそも売るつもりもないが、ついつっこんでしまう。
「いやそれ、盗んだ金だろ」
「ていうかあ、袋の中身が全部白金貨でも足りないよお」
リリエラが揶揄するように言う。え、白金貨って金貨の上の大金貨の、さらに上だよな。袋の膨らみからして百枚くらいは入ってそうなんだが。
金貨一枚が十万円換算だとして、その百倍の百枚分……。
「流石に言い過ぎじゃないのか?」
「世界樹の霊薬と同等だとしたらあ、倍あっても足りないんじゃあないかなあ」
にたにた笑いだが、冗談を言っているわけではないようだ。誰が買えるんだよと思うが、万病に聞く薬だと思えば大金を積んでも買う人はいるかもしれない。
箱いっぱいの金貨と大金貨と宝石、エンペラー種を始めとする魔獣素材、武器や防具や魔術書、そして霊薬。
全て換金したらいくらになるのだろう。まったく、とんでもないものを作ってくれたものだ。
「惜しくなってきたあ?」
「いや、まったく」
楽しげなリリエラの問いを否定する。霊薬に限って言っても、影収納にはまだいっぱいある。一本くらいは惜しくもない。
不安と期待に揺れる表情で、キアネアが俺を見上げた。
「……いいのか?」
白金貨二百枚以上、と言われて流石に気が引けているようだ。
「お前のためじゃない。罪滅ぼしはちゃんと考えろよ」
カテリナを助けるためとはいえ、盗みは盗みだ。盗られた方は事情なんて知ったことじゃないだろう。
厳しい言い方かもしれないが、短絡的な行動は誉められたものではない。
「……うん、ごめん。……ありがとう」
言い訳もせず、痛みをこらえるような顔をうつむかせながら言った。素直な反応はこれまでとは別人のようだ。姉の体を魔族に乗っ取られ、気を緩められなかったのだろう。
張り詰めた心が緩み、ぽたりと涙が落ちる。ぐすっ、と鼻をすする音が続いた。
「泣かしたあ」
「茶化すな」
指を指してからかってくるリリエラに渋い顔を返しつつ、キアネアの頭にぽんと手を置く。
じゃあ、そろそろやるか。
霊薬の蓋を開け、横たわったカテリナの頭を支えて瓶を口にあてがった。溢さないよう、少しずつ飲ませていく。
「……どうだ?」
全て飲ませたが、別段変わったことは起きない。この霊薬では、魂を癒すことはできないのか?
そう思いかけたところで、支えている体が熱を持ってきた。体全体が治癒術に似た淡い光に包まれ、日の光をそのまま抱えているような暖かみを感じる。俺が飲んだときには起こらなかった反応だ。これは一体。
神秘的とも言える光景は十秒ほどで終わった。胸元を中心に光が収束し、やがて消える。
カテリナは目覚めない。が、か細かった呼吸がどこか安定しているように思える。
「ど、どうなんだよ。姉ちゃんは助かったのか?」
俺とリリエラを交互に見てキアネアが言う。答えようがなく、俺もリリエラを見た。
「魔力はあ、見違えるようだけどお」
「じゃあ、魂は元通りになったのか?」
「元通りっていうかあ、これはあ……」
何かを言いかけたリリエラだが、続きを言う前にカテリナが「んむう」と声を上げた。みじろぎし、うっすらと目を開く。
「姉ちゃん!」
「……キアネア? あれ? ここって……」
泣きながら飛びついたキアネアを抱き止めた。ふらふら視線をさまよわせ、ずれた眼鏡を直す。上半身を支えている俺と目が合った。
「ええと、あなたはだあれ? わたしに憑りついていた魔族は……」
のんびりとした喋り方だ。顔も声も同じだが、先ほどまでとは全くの別人に見える。
困惑しているカテリナに俺は言う。
「魔族はもういない。俺は……人間のつもりだ」




