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55 廃墟と魔族

 リリエラが大人しくなったところで地上へ降りた。ほぼ同時に、音を漏らさぬような結界を張ればよかったと気づく。


「はああ、笑ったあ」


 騒がせた本人は悪びれもせず、膝に手をついて息を整えていた。……道中、本当に落としてやろうかと思わなかったと言えば嘘になる。


「なるほどねえ。自分が人間だと思ってるからあ、聖女様のお、けひっ、質問も凌げ、けひひっ、凌げたわけかあ」


「思い出し笑いするな」


 やっと静かになったのに。


 あと、双子の従者のせいで筒抜けですけどね……。


「いやあ、まだ何かありそうだなあ。お兄さあん」


 鋭い。地下百階の迷宮主、魔術書、ギルドやクロアとの繋がり。隠し事はいくらでもある。


「もう何もない」


「ふうん」


 全く信じていないにやにや笑いだが、とりあえず今は満足したのかつついてくることはなかった。


 透明化は降りてすぐ解除した。尾行するなら透明なままの方がいいが、見えないリリエラが近くにいるのは落ち着かない。必要になったらまたかければいい。


 そのため、忍ばせたコウモリからは少し離れた位置にいる。


「反応はこの先からだけど……」


 その場所は、小綺麗だった街並みと打って変わって荒んでいた。所々めくれ上がって地面がむき出しの石畳に、塗装がぼろぼろに剥げた家々。全体的に薄汚れており、淀んだ空気には腐った水のような臭いが混じる。


 打ち捨てられた荷車や、完全に廃墟となった建物も散見された。


 ここは……いわゆるスラム街になるのか?


「貧民街かあ。まああ、こそこそ隠れるにはうってつけだねえ」


 やはりそういう場所らしい。予想すると同時にリリエラが言ったが、その言葉には特に嫌悪感などは伺えない。当たり前のように認識している。


「この街にもあるんだな、こういう所」


「そりゃあねえ。大きい街ならどこにでもあるんじゃあなあい」


 あって当然という言い方だ。まともな領主が治めていても、こういった吹き溜まりのような場所はあるらしい。


 元の世界にもあるにはあったが、身近なものではなかった。こうして目の当たりにしても愉快な気分にはなれないが、それを説明する気にもなれなかった。理解が得られるとも思えない。


 何も言わずに歩き出す。人通りは一切無く、住民の気配すら感じない。


 キアネアの影に忍ばせたコウモリの感覚を辿る。思えば昼も夜も尾行をしているな、と気づいた。趣は全く異なるが。


 一人でD級冒険者を追うよりも二人でスリの少女を追っている今の方が、手間も多いし気苦労も大きい。何がなんだか。


「あそこだ」


 声を潜めて一つの建物を指差す。元はただの一軒家だったろうそれは、壁に蔦が這う廃墟となっていた。扉すらなく吹きさらしになっており、木造の壁には穴まで空いている。この荒んだ区画においても一際目を引く荒みっぷりだ。


 入り口から中をのぞこうとした瞬間に、どんっ、と壁に何かが当たる音が響いた。うめくような声も一緒に。


 建物へ踏み込む。明かりどころか家具すらなく、人が住んでいるようには思えない。


「触るな、それに……!」


「おいおい、自分の立場が分かってねえようだなあ」


 奥の部屋から話声が聞こえた。一方はキアネアだが、もう一方は聞き覚えがない。声からするに女っぽいけど、粗暴さを感じる話し方だ。


 対するキアネアは怒りや憤りをにじませていた。何かが起きている。


 奥まで向かおうとしたが、その前に後ろから袖を引かれた。振り向くとリリエラが口を塞いでいる。静かに、ということか?


 声の様子からして悠長にしてはいられないと思うのだが……。とりあえずは従うが、いつでも飛び出せるよう部屋には近づく。


 部屋にも、建物と同様に戸はなかった。気づかれないように中をのぞく。


「随分貯め込んでんじゃねえかよ。何に使うつもりだったんだ? ああ?」


「…………」


 暗がりの中にいたのは二人だ。壁を背に座り込むキアネアと、それを見下ろすように立つ女。女の方は二〇歳前後だろうか。魔術師らしきローブを身にまとい、目には丸い眼鏡をかけている。腰まで伸びた緑がかった黒髪は、ろくに手入れもしていないのかぼさぼさしていた。


 不敵な笑みを浮かべて仁王立ちしている様が、顔や格好ととてもアンバランスだ。


 手には革の袋を持ち、片手を中に突っ込んでじゃらじゃら鳴らしている。問いかけられたキアネアは答えずに睨み付けていた。歯がぎりっと軋む音が聞こえる。


「神殿にでも頼ろうとしてたか? ーーこのクソガキが!」


「ぎああっ」


 女は突然激昂し、へたりこんでいるキアネアの足を踏みつけた。キアネアは苦悶の声を上げ、すねの辺りを抱えてうずくまる。


 踏み入ろうとしたが、またリリエラが袖を引いた。まだ見ていろというのか。


「なめやがって。忌々しい光術者でなければ呪ってやるものを」


 女は吐き捨てるように言い、道端の犬の糞でも見る目でキアネアを見た。持っていた袋を投げつけ、ぶつけられたキアネアがまたくぐもった声を出す。


 予想はしていたがやはり呪術師か。キアネアには光術の適性が耐性となって、呪術をかけられなかったらしい。


 手に持っているのはキアネアが貯めた金か。呪術による性格の変化ではなく、彼女自信の意思で。でも何のために? 神殿に頼るためか、と女は口にしたが……。


 うずくまっていたキアネアがよろよろと立ち上がった。怒りに声を震わせる。


「なめてるのはてめえだろう……! 姉ちゃんから出ていきやがれ、クソ魔族!」


 姉ちゃん? 出ていく? どういうことだ。


 クソ魔族と言われた女は一瞬眉根を寄せたが、すぐににたりと嫌らしい笑みを浮かべた。


「いいのか? そんな口を効いて。俺様はこんな体、どうなってもいいんだぜ」


 言いながら、袖口から伸ばした自分の左腕を、右手の爪でぎりぎりと裂くようにひっかく。血が腕をつたい、肘の先からぽたりと垂れた。


「やめろ! ーーぐうっ」


「俺様に触るな!」


 ひっかく腕をつかもうとしたキアネアが壁まで蹴り飛ばされた。リリエラは袖から手を離さない。本気かこいつ。


 女はふん、とつまらなそうに鼻を鳴らす。


「俺様だってこんな貧弱な体はとっととオサラバしたいが、まだ利用価値があるんでな」


 自分の体じゃないような言い方だ。自傷行為も厭わず、むしろキアネアが止めようと動いた。それの意味するところは……。


「お前が神殿に頼ろうがどうにもならねえが、俺様をコケにした罰はいるよな」


 言いながら、うつぶせに倒れ伏すキアネアまで近づく。その頭に足を乗せた。


「逃げるか? それともご自慢の身体強化で戦うか?」


 事情はまだ分からない。ただ、キアネアがどちらの手段も取れないことを分かっているような口ぶりだった。加虐する快感に満ちた顔は見るに耐えない。


「選べよ、自分の命かこの体か。逃げようとしたらこいつの首をかっ切ってやる」


「ぐっ、うう」


 ぎし、と軋むような音がした。頭蓋骨ではなく、その下の床からだと思いたい。リリエラはまだ様子を見ろと袖を引く。いい加減にしろ!


 手を振り払って突入する。突然現れた俺に驚いている顔と目が合った。殴り飛ばそうとしたが、キアネアの態度から傷つけるべきでないと判断した。襟首をつかんでキアネアからひっぺがし、床へと投げる。


「あーあー」


 のんびりと、状況に全くそぐわない声を出してリリエラも入ってきた。


「ハッタリだよお。死ぬつもりも殺すつもりもお、ないのにさあ」


「いたぶられてること自体が問題だろうが」


 子供を見捨てて情報収集優先とか、倫理観どうなってんだ。最初の時点でとっとと踏み込むべきだったと後悔する。


 お優しいねえ、と言ってリリエラは笑う。


「治癒術で全部元通りになるのにい」


 痛みの記憶や恐怖までは元通りにならないだろうに。治癒術が万能すぎて、子供の頃から治癒術に近しいとそういう考えに傾倒するのだろうか。


「エクストラヒール」


 キアネアに治癒術を施す。リリエラの言う通り加減はされていたのか、大怪我はないように見えた。これで治るはずだ。


「治癒術まで使えるんだねえ。いよいよ普通じゃないなあ」


 手は真っ黒だけどな! 吸血鬼のままなので手のひらが焼け焦げていた。人化はできない都合があるので甘んじて受け入れる。


 振り向くと、立ち上がっていた女が警戒心をあらわにこちらを見ていた。


「てめえら、何者……」


 言いかけた言葉は、俺と目が合って止まる。驚きに目を見開き、口が半開きになっていた。……なんだ?


 不思議に思って見ていると、及び腰になって女は言った。


「わ、我が王……」


 ……全く意味が分からないが、とても面倒くさい予感だけはする。

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