54 夜空に響く
「いやあ、しかしヴァンパイアとはねえ。強いとは思ったけどお」
ようやく息の整ったリリエラがにやにやした顔で話し出す。面白いもの発見! という感情を隠そうともせずに見てくるのがちょっと鬱陶しい。
「それってえ、闇術のブラックブラインドお? ううん、移動式の結界とは恐れ入るねえ」
リリエラの目から見ても、魔族の魔力は漏れることなく防げているらしい。だがそれが却って実力者に見せているとは。思いついた時は完璧だと思ったが意外と穴がある。
「太陽の下にいたけどお、あれはどうしてたのかなあ。ああー、前に会った時は人にしか見えなかったしい、人間に擬態する術があるのかなあ」
すごい的確に言い当ててくるなこいつ。それもやっぱり目の力によるものか。
「魔族の魔力って……いや、そもそも魔力ってどんな風に見えるんだ?」
自分の魔力は感じ取れるが目には見えないし、他人の魔力など感じ取れもしない。森羅万象に魔力があるというこの世界、リリエラの見ている景色はちょっと気になる。
んー、と指先を口に当てて、少し悩む素振りを見せた。
「そもそもお、見えないって感覚が分からないからねえ」
オンオフを切り替えられるようなものではないらしい。能力というより、体質に近いのか。
「生き物に限っていえばあ、体の表面を流れるってえ感じかなあ。でえ、強化する時はその位置に集まったりい」
手をにぎにぎしながら言う。手を強化する時は手に魔力が集まって見える、ということか。それを利用して一方的に相手の行動が読めるなら、戦闘においてかなり有利なのでは。
「魔族の魔力はあ、どれもどす黒くて嫌な感じだねえ」
「嫌な感じ」
繰り返すと、珍しく笑みを消して答えた。
「黒くて暗くてえ、不気味で不吉な感じい。見てるだけで心がざわざわするんだよお、家の中に湧く虫みたいなあ?」
例えが悪い……。俺を魔族だと知った上でよく言えるな。
だが悲しいかな、今の説明に頷ける部分もあった。
解呪した時に上がった黒い霧を思い出す。まさに不吉で嫌な気配のするそれは、吸血鬼化した際に集まってくる黒い煙とよく似ている。
あれが魔族の魔力に近いのかもしれない。
「あんなのが常に体を這ってる存在は、確かに見てるだけでざわざわしそうだ」
意図せず出た呟きだが、リリエラに少し訂正された。
「わたしのように見えてなくてもお、人は本能的に魔族を恐れるからあ」
「本能的に?」
見えなくても、感じ取れなくても、どす黒い魔力とやらに人は忌避感を覚える。本能、つまり無意識で恐れるか、嫌悪感から敵対心を抱く。
メルはどうなのだろうか。話していて忌避感や嫌悪感なんてないし、レティも慕っている。あれだけ人に近ければ、魔族の魔力もささやかなのかも。
そういえば、レティが普通に話してくれるようになったのも洞窟を出てから……つまり人化してからだ。外に出られたという安心感以上に、魔族の魔力による恐怖がなくなったからなのかもしれない。
……つまり常に人化しているか、結界でぴっちり覆えば怖がらせないってことか。覚えておこう。
人と魔族が相容れない理由をまた知った。人間社会で生きていくというのもなかなか大変だ。
動いていたキアネアが、少し前から一ヶ所に留まっている。影に忍ばせたコウモリの動きでそれを察知していた。
「ねぐらに着いたみたいだ」
「ふうん、じゃあ、はい」
立ち止まって正面から向き直り、両腕を開くリリエラ。子供が抱っこをねだるようなポーズだが、何が「はい」なのか。
首をかしげる俺を見て、にやにやと笑いながらさらりと言う。
「抱えて飛んでよお」
「え」
「ヴァンパイアならあ、空くらい飛べるでしょお」
腕を開いたまま、ずいと近づいてくる。無意識で、同じ歩幅だけ後ろに下がった。ほんとに抱っこのポーズなのかよ。
「話すことも話したしい、効率的にいこうよお。まだかかるんでしょお?」
「歩きだと二、三〇分……」
いや、この言い方は通じないんだった。
「まあ、それなりにかかるけど。ここまでと同じくらい」
俺の答えに「ほらあ」と言って笑みを深める。
「実は足が痛くてさあ。ほらあ、こんな靴だからあ」
軽く膝を曲げ、ミュールのかかとを持ち上げる。嘘つけ。今の今まですたすた歩いてただろうが。
「いや、夜とはいえ目立つだろう」
コウモリが飛ぶのとはわけが違う。歓楽街以外は人通りもないが、誰も見ていないとは限らない。
「隠れればいいんだってえ。ブラックブラインドができるならあ、ハイドラークだって使えるんでしょお?」
ハイドラーク、上級闇術で姿を見えなくする魔術だ。確かに使えるけれど。
「なんでそんなに闇術に詳しいんだ。あんたが魔族なんじゃないだろうな」
「うけるう」
「うけるうじゃなくて否定しろよ」
実際のところ詳しいのは、魔族と戦う神殿騎士だからだろうけど。
無視して歩いてもいいが、時間をかけたくない気持ちは俺もある。目的地が決まったならこそこそ追跡する必要はない。
でもなあ。
「ん? んん?」
俺の胸の内が分かっているのかいないのか、腕を開いたまま首を左右にかしげるリリエラ。流石に口には出さないが、待ち構えている毒グモに見えてくる。
ため息が出る。この体には毒なんて効かないし、と勇気を奮って抱き抱えた。リリエラが「わあお」とおどける。
神殿騎士として鍛えているだろうに、ドレス越しに感じる肢体は驚くほど柔らかい。ただ無駄な肉はなくしなやかさも感じた。あとちょっといい匂いもする。リリエラのくせに!
これまでの奇行を思い出して心を鎮める。
「ハイドラーク」
抱えているリリエラごと闇術をかける。理屈は分からないが、魔力を結界で遮断していも魔術は使える。魔力をそのまま外に出しているわけじゃないからかな。
自分の体と、腕の中のリリエラが見えなくなった。腕に感じる重み(軽いけど)だけが残って違和感がある。
もぞり、と動いて首に手が回された感覚があった。
「無詠唱かあ。これも予想外だねえ」
思った以上に近い位置から声が響いてどぎまぎする。でも異性に対してのそれではなく、何をしでかすか分からない恐怖に近い。不発弾を抱えているようだ。
思えば、前世も含めて女性を姫抱っこしたのなんて初めてだ。これが初めてかあ……。
「じゃあよろしくう」
人の気も知らずに気楽なことを。
とっ、と地面を蹴って空に舞い上がる。地面が遠ざかり、暗くない夜空が近づく。
コウモリ化して飛んだ時も思ったが、空を飛ぶのはやっぱり楽しい。この体になってよかったと思える数少ない点の一つだ。
キアネアに仕込んだコウモリの反応へ向け、一直線に飛ぶ。これなら五分とかからないだろう。
「ひゅうう、気ん持ちいいい」
腕の中のリリエラがぐらぐら揺れる。多分、頭を左右に揺らしているのだろう。
「落ち着け、落ちるぞ」
「だいじょぶだいじょぶう」
それは抱えられる奴の言うことじゃないし、重心がずれるからやめろって意味なんだが。ただでさえ透明で危なっかしいのに。
そうでなくとも、わざと落とされるとか考えないのだろうか。生殺与奪を委ねることで、相手への信頼を表明する……なんて機微があるとも思えない。
楽しいが全てというのも、あながち嘘ではないのかもと思い始めてきた。
「お兄さんさあ」
浮わついているのか、上ずった声でリリエラが呼ぶ。
「なんでえ、こそこそ魔族を追ってるのお?」
そういえば話してなかったか。そもそも魔族を追っていることすら話していないが、それはこれまでの言動で察したのだろう。
「その魔族が、知り合いの知り合いかもしれなくて」
個人名までは出さずにふわっと説明する。レティといるところを見られている以上、無駄な気遣いかもしれないが。
だが求めていた答えではなかったようで「そうじゃなくてえ」と言いながら体を揺らす。危ないっつうの。
「こそこそ、の方だよお。ヴァンパイアならあ、もっと楽に探せるのにい」
そっちか。
確かにリリエラの言う通り、後先を考えなければやりようはある。街全体にコウモリを張り巡らせてもいいし、何なら探すどころか、堂々と呼びかければ出てくるのではという気もする。
だがそれでは非常に目立つ。人として生きるのに、あまりに不都合だ。
この辺りの都合を、稀人であることを伏せたまま説明するのは難しい。より深く言えば「信じさせる」のが難しい。吸血鬼だけど人として暮らしたい、と言って手放しで信じてもらえるか。
一応は神殿関係者であるリリエラに、そこまで明かしていいものか。でも、これをごまかすのもそれはそれで怪しいか……。
「お兄さあん?」
黙りこくった俺に、リリエラは珍しく訝しむような声を出す。……いや、多分わざとだ。声に楽しむ様子が混じっている。
それに気づいて、途端に考えるのが面倒くさくなった。なんで俺だけ気を揉んでんだ。
「実は俺稀人でな」
「えっ」
「元は人間だから大人しく暮らしたいんだよ」
一息に言い切ると、リリエラは小さく声を上げて大人しくなった。身じろぎすらせず、石になったみたいに動かない。
リリエラ? と呼びかけようとした瞬間、腕の中でふるふる震えた。
「けひっ」
「やべっ」
止める間もなく、また壊れたように笑い出す。
「けひっ、けひひひっひゃははははは! あっひゃはははは!」
「笑うな! 暴れるな! 騒がしくするな!」
「いやあ! 無理無理い、これは無理い! けひゃははははは!」
笑い転げるリリエラを落とさぬよう抱え込む。今度は止めても止まらず、しばらくの間笑い続けた。リリエラを抱えているため口を塞げず、空中なので遠ざけることもできない。
せめてもと、高度を上げて街の迷惑にだけはならないようにしたが、この馬鹿笑いに対してどれだけ効果が得られるか。空から目に見えない何かの笑い声とか、フォードカリアの都市伝説になったらどうしよう。
そもそも全く笑うところじゃないのはともかくとして……ヴァンパイアと明かした時もそうだが、疑う素振りすら見せないのはなんなんだ。




