51 騎士再び
手を放してやると、少年は反射的に引っ込めながらも驚いた顔を見せた。だがそれも一瞬のことで、すぐに逃げようとする。どういう世界に生きていたのか、判断が早い。
逃がしてなるものか。
さっときびすを返して駆け出そうとした少年の襟首をつかんで持ち上げた。
「!? なんだよ! 見逃してくれんじゃねーのかよ!」
「んなわけあるか」
大人しくなったから放してやったのに、すぐ逃げ出そうとは何事か。
手足をじたばた動かすので、少年の足ががすがす当たる。痛くはないが、的確に股間に当ててくるのはわざとだよな。ノールックで踵をぶち込む技術と躊躇いのなさに、彼の生きてきた世界を垣間見る。
「あのなあ、急所狙いはよせよ少年」
「少年だあ!? おれは女だ、バカヤロー!」
え、そうなの? まさかの俺っ娘。彼ではなく彼女だったらしい。
意外に思いつつも態度には出さない。
「そりゃ悪いな。だってほら、胸も尻も平たいし」
「ああ!?」
あえてコンプレックスを刺激するようなことを言うと、首を力いっぱい後ろに曲げて睨んできた。顔と耳は怒りと羞恥で赤く染まっている。所変わっても思春期にこういう言い方は効くんだな。
宙吊りにしながら、空いた手でオーバーオールのポケットを漁る。
「わっ、おいやめろよ! どこ触ってんだ変態!」
「十年早い。お前くらいの歳で男も女もあるか」
深いポケットから、手に当たった物を取り出す。ごてごてと装飾のついた立派な皮製品だった。四角い形状でベルトつきのケースだ。この世界の財布だろうか。
片手じゃ開けづらいため、襟首からぱっと手を放す。尻から落ちた少女は「ぎゃっ」と声を上げた。
ベルトを外して開いてみると、予想通り財布だった。予想外だったのは中身だ。金貨や銀貨がじゃらじゃらと詰まっている。
「ぅわーお」
「おい! 返せよ!」
盗人猛々しく声を張り上げ、俺の持つ財布に手を伸ばしてくる。届かない位置まで上げると、不用意には近づいてこなかった。言葉も態度も子供全開なのに、心構えだけは全く子供らしくない。
「返せもなにもこれ、お前のじゃないだろう」
みすぼらしい服と、装飾たっぷりの財布が不似合いすぎる。十中八九盗品だろうけど、これだけ稼いだならそこでやめてもよかろうに。スリルを求めて、というタイプにも見えないし、何か事情でもあるのだろうか。
少女は否定せず、じっと睨みながら取り返す隙をうかがっている。
どうしよう。盗品だと分かっていて返すわけにはいかないが、本当に衛兵へ突き出すのもまずい。詳しく取り調べられたら困るのは俺も一緒だし。
「あああ、見いつけたあ」
悩んでいると、横合いからやたらと間延びした声がかかった。
「あれえ? お兄さん、なんで私の財布う、持ってるのお?」
人波から出てきたのは妙齢の女だった。肩の出た青いロングドレスに身を包み、手にはパールのついた小さな鞄を下げている。以前は毛先のばらばらだった髪は、綺麗に流してまとめられていた。腰には細いベルトが巻かれており、白く輝く細剣が差してある。
首を左右にふらふらさせ、眠たげな目でにやにやと笑いながら近づいてきたのは、
「ええと、リリエラ、さん?」
「呼び捨てでいいよお、お兄さん」
首ぐりんぐりん女騎士、リリエラだ。
「あんたの財布なのか?」
「そうだよお」
頭上から下ろしながら訊くと頷いたので、そのまま手渡した。確証はないが嘘ではあるまい。神殿騎士が横領するとも思えないし。
やたら派手派手しい財布は今の格好とは似合っているが、むしろ見た目より中身が凄い。神殿騎士って儲かるんだな……。
ぼんやり見ていると、リリエラは身をよじりながら自分の体を見る。
「んんぅ、何かあ変?」
「いや、普通に似合ってるけど……」
「普通かあ」
言葉尻を捉えてにたりと笑う。実のところ普通以上に似合っているし、黙っていれば美人なのに喋るとリリエラだ。ギャップがすごい。
にたにたした顔のまま、直角に首を曲げてこっちをじっと見る。……怖いからやめてくんないかな、そのポーズ。
「えーと、なに? なんだ?」
「いやあ、お兄さんも格好いいなあって、普通にい」
なんだその意趣返し。それに、その角度で誉められても喜びづらいぞ。
「あんたみたいな職種でも、こんなところに来るんだな」
余計な気回しかもしれないが、場所柄はっきり神殿騎士とは言わない方がいいだろう。
リリエラは「まあねえ」と言って笑う。
「実は今あ、謹慎中でさあ」
「謹慎?」
聞き返してすぐ、俺に斬りかかった件かと気づく。罰を与える、と隊長のウォーグが言っていた。
「仕事もないし暇だしい、遊ぼうかなあってえ」
「それはただの休暇じゃないのか?」
この世界の謹慎が元の世界より軽いのか、リリエラが好き勝手やっているのかどっちだろう。金貨三〇枚の弁償もあるはずなのに余裕綽々だ。
罰の与え方を間違ってるとウォーグに助言したい。
リリエラと話している間に、少女はじりじりと距離を取っていた。
「ちっ」
舌打ちを一つ残し、振り返って駆け出す。止めようと思えば止められたが、リリエラが止めようとしなかったので見送った。
風が巻き起こり、少女が凄い早さで駆けていく。屋根まで飛び上がり、向こう側に降りて見えなくなった。
「速っ、すごっ」
子供みたいな感想が出てしまった。人の身体能力を越えている。
少女の消えた方向を見て、リリエラが感心したように言った。
「ううん、上手な身体強化だねえ」
「身体強化?」
聞き覚えのない言葉を問い返す。
「魔力でえ、体を強化する技術だよお。お兄さんも使ってるでしょお?」
ひゅん、とゆったり腕を振りながら言う。右フックのような動作で、俺が剣をぶち折った時のことを言っているのだとすぐ察した。
「あ、ああー。うんうん、こっちだとそう言うんだな」
もちろん知ってたぞ、という顔で頷く。
「そういえばあ、人によって肉体強化とか、身体操作とか言ったりするなあ」
「そうそう、そんな感じ」
地域差のおかげで、魔力操作も知らずに剣を折った怪しい男、という印象は免れた。
「ぼこすか蹴られてたねえ。あれを防ぎきる魔力防御もお、なかなかのものだと思うよお」
「そんなところから見てたのか」
あの金的蹴りも身体強化されたものだったらしい。マジかよ。そんな危険な技だったのか。あのお子様、見た目とは裏腹に危ない人物?
というか、
「なんでそこまで分かるんだ?」
俺が数メートル吹っ飛ばされたとかならともかく、微動だにしていなかったわけで。
身体強化時特有の見分け方があるのだろうか。
俺の質問に、リリエラは笑みをより深めた。溢れんばかりの愉しさを隠そうともせず「ここだけのお、話だけどねえ」と少しもったいつけて言った。
「実は私い、魔力が見えるんだよねえ」




