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50 夜の街へ

 血の補給を済ませる。相変わらず酷い味で、汚泥を啜っているような拒否感だ。飲み終えた後も、口の中の耐えがたい生臭さと鉄臭さが残る。


 だが本能がこれを求める。不快感と嫌悪感の裏の、確かな満足感。そのギャップがきつい。


 いろいろな魔獣を試しているが、今のところどれも等しく美味しくない。血が旨いと思いたいわけではないが、今後もずっと飲まねばならぬものだ。多少はマシな血に出会えないものか。


 魔獣を影収納へしまうが、人化は行わない。小声で唱える。


「ブラックブラインド」


 上級闇術、結界の魔術だ。特定のものを遮断する効果がある。光術でも似たような魔術はあるが、吸血鬼化した状態で使うと酷いことになる。


 結界で覆うのは自分の体だ。範囲をせばめ、自分の体をぴったり覆うように調整する。


「……出来たかな」


 手を握って開く。枕をつかんだり、硬貨を指で弾いたりしてみる。違和感はない。結界は体に合わせて自動で動く。


 遮断したのは自らの魔力だ。魔力のみに指定しているため、人や物に触れる分には問題ない。


 魔族の魔力を隠した。これで今俺は、誰からも感知されない存在だ。昼間、メルが俺の吸血鬼化を感知できなかったことをヒントに編み出した。


 先ほど、メル自身にも検証して貰っている。一滴も漏らさぬよう覆っているため、メルの眼から見ても魔族だとは分からないらしい。


 ただ、デメリットとして魔力の全くない人間に見えてしまう。生物は言わずもがな、無生物でさえ大なり小なり魔力を含む。魔力の全くない存在というのは、それはそれで不自然に映るようだ。


 とても怪訝な顔で、


「見た目は人間なのに、魔力が全く感じられないのがすごく気持ち悪いわ」


 との感想を頂いた。言い方言い方。


 試すつもりはないが、この状態なら街の結界とやらもスルーできそうだ。「これができるなら、魔族は街に入り放題なのでは?」と思ったが、移動式の結界魔術はかなり魔力を食うらしい。使い手も限られるため、潜入のためだけに用いられるのは考えにくいとメルは言った。


 例によって、俺自身は大して魔力を使っている感覚がない。が、それはともかく。


 間近で見られたら不自然の塊らしいが、これで遠くから感知されるようなことはない。そもそも、メルのような力を持った者はそうそういないようだが、警戒するに越したことはないだろう。


 外をうろつこうというならなおさらだ。


 今晩もレティの家にお世話になっている。なんだか、なし崩し的にこのまま部屋を借り続けてしまいそうだ。家賃を納めたいところだが、果たして受け取って貰えるか。


 レティは寝ており、合鍵なんて物もない。防犯を考え、窓を霧化してすり抜けた。そのまま一匹のコウモリに姿を変え、闇夜に紛れて空を飛ぶ。



 ギルドからの帰り道を思い出す。もし仮に、本当にカテリナが敵だったら。心苦しいが、探し出す前にそう確認せざるを得なかった。


 悲痛な面持ちで少し黙考し、絞り出すような声で「覚悟はできています」とレティは言った。


 裏切られる覚悟か。それでも信じ抜く覚悟か。


 何にせよレティが覚悟を決めているなら、それ以上言うことはない。


 カテリナを探すにあたってどこを目指すべきか。格好つけて引き受けたはいいが、彼女がどういった人間で、どこで暮らしているのかさえ知らない。レティもギルド外での付き合いはあまりなく、何度か一緒に「カナリアの止まり木亭」に行ったくらいだと言う。


 メル曰く街を出た形跡はないようだが、やましいことがあるなら夜にこっそり出奔、という可能性もある。考えるほどに望み薄だ。この広い街を、当てずっぽうで飛び回るのも限界がある。


「俺が考えるとこなんて、ギルドの職員が先に探してそうだしなあ」


 というか顔すら知らない俺が、どれだけ飛び回ったところで見つけられるはずもない。


 アプローチとしてはカテリナ本人よりも、魔族の痕跡や怪しい話なんかだろうか。冒険者に呪術を仕込むような手合いだ。他所でも悪さをしている可能性はある。


 ということで向かうは歓楽街だ。この時間帯に情報収集をするなら夜の街しかない。


 宵闇の中を飛んでいくと、静かな街は次第に明るくなっていった。


 昼間は閑散としていた大通りは賑わいを見せており、酒場からは酔っ払いの歓声が響いている。通りは店々から漏れた光で照らされていた。服を着崩した女に声をかけられた男が、手を引かれながら娼館らしき建物に入っていく。


 昼間は気づかなかったが賭博場なんかもあるようだ。まさに欲望渦巻く夜の街といった様相を呈している。


 適当な店の陰に隠れ、誰もいないことを確認して元の姿に戻った。


 ふらっと通りを歩く。喧騒と酒の匂いに、やや怪しげな空気。日中の商店街とは、また違った賑やかさに満ちていた。


「酒……酒かあ」


 前世では人並みに嗜んだが、実のところ今はあまり飲みたいと思っていない。酒のせいで命を落とした(と思われる)身としては、どうにも躊躇いが上回る。


 それに、今飲んだとして酔っ払えるのだろうか。毒でさえ分解する体だ。アルコールに負けるとは思えない。


 吸血鬼に赤ワイン、なんてのは定番だけど。


「まあ、こんなとこまで来て飲まないわけにもいかんか」


 酒場で情報収集しようというのに、酒も頼まないんじゃ文字通り話にならない。


 覚悟を決めて目についた店に入ろうとしたところで、喧騒の中からじっとこちらを見ている目に気づいた。


 顔を向けずに意識だけ向ける。霧化の応用で、吸血鬼化していれば視界は全方位見渡せる。


 この場に似つかわしくない、小柄な少年だった。薄汚れたオーバーオールに黒いシャツ。くすんだ茶髪を、目深に被ったハンチング帽に押し込めていた。


 あ、と声が出かける。昼間に俺から金貨をスリ取った少年じゃないか。


 入ろうとした店を通りすぎ、気づかないふりをして歩く。少年も後をついてきて、少しずつ距離を詰めてくる。


 後一歩、というところで俺のポケットに伸びた腕を、


「っ!」


 がしっとつかむ。少年がはっきり息を飲んだ。


 同じ相手を狙うとは大胆な。というか、俺がアホだと思われているのか?


「さっきぶりだな」


 少年は驚きに目を見開いていたが、振り向いて声をかけると攻撃的な目に変えて睨んできた。背丈はレティよりやや大きいくらいで、俺より頭一つ小さい。近くで見た顔は中々整っているが、どこか刃物のような鋭さを感じた。他人への不信感で瞳が淀んでいる。


 腕を振り払おうとしたが、そう簡単に放してやるわけにはいかない。


「っ、放せよ!」


 声変わり前の高い声で、吠えるように言った。暴れそうだったので、握った腕に少し力を込める。痛みに顔をしかめたところで緩めてやった。


 怪我をさせるつもりはないが、したところで治せるので問題ない。……いや待て、この考えは非人間的だぞ。化け物思考に偏るな。


「金貨を返すなら放してやる」


「はあ!? 知らねえよ! 言いがかりつけんな!」


 我ながら温情味の溢れる提案に、少年はとぼけた上にキレ返してきた。


 こいつ、ちょっと怪我させてもいいのでは。


「衛兵に突き出してやろうか?」


 一瞬怯んだ顔を見せたが、すぐにきっと睨み返してくる。


「知らねえっつってんだろ! 証拠でもあんのかよ!」


「さてな。でもお前みたいなヤツは余罪もたっぷりなんじゃないのか?」


 今度は分かりやすく怯んだ。昼も夜もスリ行為に勤しむくらいだ。俺の件はともかく、叩けば埃がわっさりだろう。


「いい加減放しやがれ!」


 分が悪いと思ったのか、実力行使に出た少年は股間を蹴り上げてきた。ーーやばい!


 ごっ、と爪先が当たる。


 冷や汗が流れる思いだった。……咄嗟に霧化をオフらなければ大騒ぎだ。人混みでは霧化の自動発生はオフにする、と頭に刻み込む。


 平然としている(ように見える)俺を見て、少年があり得ないもの見る目で俺を見上げた。

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