5 初めての衝動
三十歳までホニャララだと魔法使いになる……なんて冗談が元の世界にはあったが、三十歳の誕生日に異世界で化け物になるとは。
俺がホニャララだったかどうかはさて置いて。
ただ、異世界一日目で魔術を習得した現状、その冗談を思い出さずにはいられない。
魔術を覚えた影響か、魔力と思われるものを感じ取れるようになった。先ほど魔術を行使した時、体からエネルギー? 活力? そういったものがすうっと抜けていくのを感じた。今も、血液のように体を巡っているのを感じる。
霧化やコウモリ化、火傷の治療、影収納の際も、微量の魔力を使っていることが分かった。火の魔術をぶっぱなすまでは、消費する魔力が少なすぎて知覚できなかったようだ。
減った分は時間の経過で回復していく。それは体力などと変わりないらしい。
いろいろと試してみたいが、加減を誤って火だるまになっても困る。超級の魔術は、使いどころを考えた方がよさそうだ。
「そろそろ行くか」
魔術書をまた影収納にしまい、先へ進む。
迷宮を抜けて階段を上がり、大部屋で敵と戦って宝箱を手に入れる。そこからはずっとその繰り返しだった。犬型だったり猫型だったり、二足歩行のワニだったりとバリエーションに富んでいるが、やることは変わらない。一撃で屠って影収納に入れる。それだけだ。
出口が閉じた部屋での強制戦闘を終え、コウモリ化して迷路を抜けつつ敵を蹴散らし、階段を上がる。部屋だけがあったのは最初の二部屋ーー俺がいた部屋とドラゴンがいた階だけで、そこからの基本的な作りは全部同じだ。階の広さや、多分迷路の構造なんかは違うようだけれれど。
十階ほど上がってきたところで、ちょっとした変化があった。
倒した角の生えた巨大な馬たちを倒し、影に収納する。【ギガントバイコーンの死体 6】。
「あれ、エンペラーじゃない」
一つ前への階まで、大部屋の敵は全てエンペラーだった。前の階の敵は蒼く燃える火の玉で、倒した際に死体ではなく宝石の原石みたいなものを落とした。影収納では【エンペラーウィスプの魔核】と出ている。
ちなみに殴っても効きそうになかったため、戦闘前に「魔術書(水)超級」を読んで「アブソリュートフリーズ」なる術を会得してからぶつけてみた。部屋中凍りついてビビった。加減が難しい。
それはともかく、敵がエンペラーなんたらではなくなった。強さの違いは相変わらずよく分からないが……。
宝箱は小ぶりで、中には短剣が一本だけ入っていた。
現状、武器は外れだな。もっと使い勝手のいい、低威力な魔術の本とかだと嬉しい。
そんなことを思いつつ手を伸ばし、掴んだ手がジュウっと音を立てる。
「あっっつ!」
咄嗟に手を離した。掌が真っ黒に焼け爛れ、ぶすぶすと煙を上げている。
なぜか怪我が治らない。ドラゴンの炎でもあっさり治ったのに。
怪我を治す時も魔力が使われていたことを思い出し、体に流れる魔力を、意識的に掌へ集める。少しずつ治っていき、十数秒で完治した。
手をにぎにぎして痛みも違和感もないことを確認する。はあ、焦った。
なんなんだこの短剣は。
もう触りたくはないため、箱ごと影に沈める。置いていこうかとも思ったが好奇心が勝った。
箱の中の物でも名前は分かるらしい。
「聖銀の短剣」
脳裏に浮かんだ文字を口に出す。聖銀、聖なる銀? 化け物である俺の弱点だろうか。でも、刺されて痛いならともかく、柄を掴んだだけで大火傷は怖すぎる。あと、箱入りとは言え触れもしない物でも収納できるの、便利すぎるな……。
さて、怪力を発揮し、体を霧やコウモリに変え、銀で傷つく。そんな化け物と言えば?
この異世界で自分が何になってしまったのか。俺はようやく分かりかけてきた。
それが起きたのは、更に十階ほど上がってきた時だった。
最初は喉の乾きだと思い、水魔術で出した水を飲んでみた。ちなみに超級の「メイルシュトローム」なる術で、プール一杯分以上の水を生み出して手ですくって飲んだ。無駄すぎるが、今のところ超級以外の魔術書が見つかっていないので仕方がない。
そこまでしても乾きが満たされなかった。空腹感はない。なのに体が何かを欲している。
「腹が減ってるわけでもないし、なんなんだ?」
試しに霊薬エリクシルを一本飲んでみたが、何も変わらなかった。
不思議に思いつつも迷路を抜け、階段へと踏み出したところで目が眩んだ。乾く。喉? いや、喉ではない。何かが乾く。
大部屋にいたのは鶏の化け物だった。体が鶏で尻尾が蛇となっている。二つの顔でこちらを睨み、同時に叫ぶ。
クケエエエエエエェッ!
シャアアアアアアァッ!
ゲームか何かで見たことがある。コカトリス、だったか。ただし、毛は赤い。たてがみや尻尾の蛇まで真っ赤の赤一色だ。
相手から目が放せない。ただ、それは恐怖心でなければ闘争心でもない。
俺は、あれが乾きを満たすモノだと知っている。
「動くな」
自分の口から出たとは思えないような、冷たい声が響く。それと同時に、コカトリスの影から無数の黒い帯が延びた。その体を拘束し、地に縛り付ける。
欲しい、欲しい、欲しい欲しい欲しい。
欲望の赴くままに近づき、その首元にかじりついた。
クケエ! と甲高い声を上げるが、コカトリスは身をよじることさえできない。
固い毛の奥にある皮膚に牙を突き立て、流れてきた血をすする。トラックくらいあるコカトリスの体からは、流れてくる血も多い。それをひたすら飲み下していく。
苦悶の声を上げていたコカトリスだが、やがて静かになった。
口を離し、コカトリスから一歩離れる。既に目から光は失われていた。袖で口もとを拭うと、べったりと血がついた。影の帯を外して拘束を解くが、体は横たえたまま、二度と動くことはないだろう。
感想を一言。
「クッッッソまずい!!」
死ぬまで飲んでおいて言えた口じゃないが、驚くほどまずかった。生臭くてエグ味が強く、飲むほどに喉に絡みつく。なのに体は血を求め、すする口が、飲み下す喉が止まらない。
体が自分の意思とは無関係に動いた。
「クッッッッッッソ、クッソまずい! うおぇぇぇぇ」
吐き出したいが、吐いたらまた血を飲まなければならないかも、と考え必死に耐える。
「でもさっきまでの変な乾きは消えたな……まずかったけど」
一息つき、息絶えたコカトリスに目をやる。
この世界に来るまで殴り合いの喧嘩すらしたことがなかった。だというのに、生き物を殺すことへの不快感は薄かった。生きるために仕方がなかったというのもあるし、正直現実味が薄かったのもある。
ただ、これは流石に堪える。
化け物になったのはとっくに自覚していたが、中身は人間のつもりだった。
理性を失って血をすするまでは。
いっそ全く狂ってしまっていたならともかく、自分は冷静だった。冷静なまま理性を捨て去り、欲望のままに血をすすった。矛盾しているように思えるが、そうとしか言えない。
精神構造が人間のそれではない。そう突きつけられたような気がしてほぞを噛む。
目を逸らすように、死体を影収納へ入れた。【ブラッドコカトリスの死体】。……ブラッドとは、ジョークが効きすぎていて笑えもしない。
辻村太一郎、三十歳。異世界で化け物改め吸血鬼になりました。




