4 迷子の化け物
甘く見ていたつもりはないが、認識が甘かったと言わざるを得ない。
戦闘自体は一方的で、攻撃は大体一撃だ。そのせいで気が緩んでいたというか、警戒が甘くなっていたというか。
途中まではよかったのだ。分岐路も左手の法則に従って歩き続け、何度か現れたフレイムヘルハウンドもあっさりと倒せた。
何度目かの戦闘時、曲がり角を曲がった途端に出くわした。しかも折悪しく、戦闘中に別の群れが後ろから襲いかかってきて乱戦の様相を呈した。
そのせいで、戦いの後でどっちから来たのかが不明瞭になったのだ。
つまり端的に言うと、
「道に迷った」
口に出しても解決はしない。それでも独り言は漏れる。
「マジかよどうしよう。つうか、大体広すぎるし分かれ道多すぎなんだよ」
きょろきょろと見回しながら思い出そうとしてみるが、同じような岩場だ。どれが来た道か全く見分けがつかない。
「こういう時こそ、こう……化け物的能力でどうにかなんないもんか」
壁をぶち破って直進する? でも、もし崩落したらと思うと怖い。この頑丈な体でも、生き埋めになっても平気とは言い切れない。いや、なんなら平気だった時の方が怖い。意識はあるのに地中で身動きが取れないとか、想像するだけでも震える。
道の先を調べる方法とかないもんかな。そう思いながら手を見ていたら、指先が黒く変化した。
「え?」
疑問に思っている間に、手が数匹のコウモリに変化する。
ぎょっとして身をすくめる。コウモリは、俺の周りをくるくると旋回している。右手の手首から先がなく、断面は黒いもやのようなものに覆われていた。
……化け物的能力を会得したらしい。いや、初めから使えたものが、言葉をトリガーとして発動したのだろうか。影収納と同じように。
コウモリは感覚で繋がっており、目を閉じてもどこにいるのかが分かる。複数のコウモリを別のところへ飛ばすのは、言うなれば左右の手で別の作業をするような感覚に近い。前世でそんな器用なことはできなかったのに、今は問題なくできそうだった。
霧と同じように、全身をコウモリに変える。百以上のコウモリに分かれ、分岐路を埋め尽くした。体は分かれているものの、本体と分体という区別ではなく全てが自分という奇妙な感覚。
コウモリたちを迷宮に行き渡らせる。いや、自分自身が多数のコウモリとなって迷宮を踏破する。空なんて飛んだこともないのに、本能で跳び方を知っている。
途中、遭遇したフレイムヘルハウンドは飛翔する勢いのまま切り裂いた。無数のコウモリに切り裂かれ、その死体はコウモリがたかったと思ったら影に沈む。影収納はこの状態でも使えるようだ。
視界が流れていく。程なくして、一つの群れが階段を見つけた。全てのコウモリをその場に集め……俺自身へと戻る。
両手を見て、それから体を見た。白いシャツ、黒いスラックス、ごついブーツ。元の体だ。
なんというか、取り返しのつかないことをしてしまった気がする。今の一連の有り様を見て、俺を人間と思う人はいないだろう。
心は、心は人間でありたい。仕方がなかったのだ。迷宮で永遠にさまようわけにもいかないし。
ただ、何というか、まあ。あの空を飛ぶ感覚……楽しくなかったと言えば嘘になる。
気を取り直して階段を上がる。予想はしていたが、また大きな敵が待ち構えていた。
広々とした空間に、先ほど戦ったドラゴンに匹敵する四つ足の怪物が座っている。剛毛に覆われた体に獅子の顔、山羊のような角が二対生えている。体は猫科の猛獣を思わせるしなやかさを感じた。
角の生えた獅子、としか言い表せない。もちろん元の世界で見たことなんてない。
階段から一歩踏み出す。戦闘開始だ。
グガァッ! と一鳴きしてこちらを睨み付ける。ぐっと足に力を溜めるのが見えた。
弾丸のように飛び出してくる。次の瞬間には目の前にいた。両手を出してぶちかましを受け止める。
角獅子は鼻っ柱を押さえつけられながらも口を開いた。
ゴウ! という音と共に白い息が吐き出される。押さえていた腕が凍った!
炎だけでなく氷も駄目らしい。顔から手を放して横へ逃げる。凍りついた両腕が急速に溶けていってほっとする。
こちらに向き直った角獅子はまた氷の息を吐いた。四方八方へ撒き散らし、こちらの逃げ場を奪っていく。
床がみるみる凍っていく。接近しようにも足場が不安定だ。
コウモリになった時の感覚を思い出し、上へ飛んだ。
飛んでる! 俺飛んでる! 羽もないのに! 戦闘中なのに感動してしまう。
気持ちをぐっと堪えて集中し、片足を向けて突進する。頭を蹴り下ろされた角獅子はそのまま倒れ伏した。
宝箱と出入り口が出現し、ほっと一息つく。
氷の息に関しても霧化は発動しなかった。やはり、物理的な攻撃以外は透過してくれないらしい。
角獅子を収納すると【エンペラーベヒモスの死体】と脳裏に浮かんだ。強敵だった、と思う。相変わらず一撃で終わるので比較が難しい。
宝箱を開けると本が入っていた。古めかしい、分厚い装丁の本が数冊並んでいる。
一冊取り出して影収納に入れると【魔術書(火)超級】と出ている。
「魔術書?」
この世界、どうやら魔術とやらがあるらしい。これを読めば俺も魔術が使えるのだろうか。
影収納から「魔術書(火)超級」を取り出す。見たことのない文字だ。というか、本の表紙に書かれていなければ文字とも認識できないだろう。とても崩した筆記体というか、なんなら象形文字にしか見えない。
なのに、なぜか読める。
「火術の書、超級……」
ぱらりとめくる。最初のページの文章を指でなぞって読み上げた。
「フレア……ストーム」
瞬間、不思議なことが起きた。その魔術の使い方が理解できる。本から直接、脳に刻み込まれたように。
本から顔を上げた。床の半分ほどと一部の壁は、ベヒモスの吐いた息で凍りついている。そちらへ掌を向けて唱えた。
「フレアストーム」
手のすぐ前に円形の幾何学模様ーー魔方陣が浮かび、そこからボッ! と火が吹いた。火は床をなめ、壁を登り、天井を這って部屋中に巡る。って、俺も燃える!
慌てて手を降り、吹き出す炎を止めた。氷を溶かしてみるだけのつもりだったのに、部屋は煤けて真っ黒だ。岩壁は一部が炭化している。
魔術を覚えた。ただ、練習しないと実用は難しそうだ。




