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21・5 眠るまでのひととき(レティシス)

 おやすみの挨拶をして自室へ入る。元は母の部屋だったが、思い出を追い求めるように、母が亡くなってからは自分で使うようになった。でも、それが正しかったのかは分からない。思い出は現実に押し流され、日に日に「自分の部屋」という意識が高まっていった。


 仕方のないことではある。人は思い出だけで生きてはいけない。


 それでも机に座る時、クローゼットを開ける時、ベッドに潜り込む時……母のことを思い出さない自分に気づくと、ちょっと寂しさを覚える。


 ベッドに入り、横になって目を閉じる。


 とても大変だったし疲れているはずなのに、気が昂ってすぐには眠れそうにない。


「ふうう……」


 それでも、ベッドの柔らかさに安堵の吐息が漏れる。


 洞窟に取り残された時は、こうして無事に帰ってこられるとは思っていなかった。魔力が尽きて回復薬もなく、暗闇でじっと耐えていたことを思い出すと、体が震えそうになる。


 ケイブラットに囲まれてもう駄目だと思った時、飛んできた黒い影が魔獣を切り裂き、大量のコウモリの中からタイチロウさんは現れた。


 その人は使い手の少ないはずの治癒術を、しかも無詠唱で使ってわたしの怪我をあっさり治した。


 洞窟も森も、その人のお陰で安全に抜けられた。


 仮に魔力が回復するまで隠れ続け、怪我を治せたとしても、わたし一人では街までたどり着けなかっただろう。


 タイチロウさんは不思議な人だ。大人なのに子供っぽいところもあったり、真面目かと思えば、聖女様相手に堂々と嘘もつく。


 とても強いのに、それを誇ったり威張ったりしない。


 魔族で、血を吸う化け物なんて本人は言っているが、ちっとも怖いとは思わなかった。


 優しくて、暖かくて、ちょっと変な人。


 頭をわしゃわしゃと撫でられた時、お母さんも同じように撫でてくれたことを思い出した。



 物心ついた時には、お母さんと二人で各地を転々としていた。今思えば、あれは神殿から逃げ続けていたのだろう。


 お父さんの顔は憶えていない。冒険者だったらしいが、お母さんはあまりお父さんの話はしなかったが、一度「普段は弱気なくせに、頑張るときは頑張る人でねえ」と話していた。懐かしむような、愛おしむような顔をよく憶えている。


 豪快な人だった。ビッグボアーー猪の魔獣を殴り飛ばし、その場で解体し、持てるだけ持って帰ってくるような。元聖女という肩書きを知った時、そのせいでしばらく、聖女と言えばお母さんのような人だと思っていたくらいだ。


 豪快で、屈強な冒険者にも全く引けを取らず、それでもわたしには優しかったお母さん。


 冒険者として活動する傍ら、わたしに治癒術を教えてくれた。


 治癒術を独占する神殿を、快く思っていなかった。魔術書を持ち出したのも、どうにかそれを広めるためだったのだろう。


「治癒術ってのは、もっと気軽に使えるものであるべきなんだ」


「癒したいと思った時は、癒してから考えればいいのさ」


「いいかい、レティ。あんたは誰かを救う力がある。私は、それを正しく使ってほしい」


 母の言葉がよみがえる。わたしは、力を正しく使えているのだろうか。



 フォードカリアに来たのは三年と少し前だ。


 治癒術でも治せない病に犯され、冒険者として稼ぐことができなくなった。お母さんはB級のランクを持つすごい人だったので(どのくらいすごかったのかは、わたし自身も冒険者になってから知った)、それまで貯めていたお金で、今の家を買って暮らしていくことはできた。


 体は日に日に弱っていったが、言葉や態度は全く変わらないままだった。


 病床で魔術書を開き、使い方をわたしに伝えた。わたしも必死でそれを学んだ。


 そんなわたしを見て、母は嬉しそうに両手でわたしの頭を撫でた。わしゃわしゃと、まるでかき回すように。


 亡くなる前「私が死んだ後、神殿の関係者が本を取りに来るから」とお母さんは言った。「そしたら大人しく渡しちゃいなさい」と。


 わたし一人では、神殿から魔術書を持って逃げられない。お母さんもそう思っていたのだろう。あるいは、神殿との間で何らかの取引があったのかもしれない。本を渡す代わりに、わたしには手を出さない……というような。


 わたしが十二歳になり、冒険者に登録できるようになったのを待っていたように、お母さんは天国へ旅立った。治癒術を重点的に教わったお陰で、ギルドでの仕事は事欠かない。そして、それだけでなく街の人にも治癒術を施している。癒したいと思った時に、癒している。


 わたしが何をしても、お母さんが誉めてくれることはもうない。


 頭をわしゃわしゃと撫でてくれることもない。


 だから今日、同じようにタイチロウさんに撫でられた時、嬉しくて、懐かしくて、少し泣きそうになってしまった。


「もうしない、って言っていたけど、本当にもうしてくれないのかな」


 誠実な人だから、しないと言えば本当にしない気もするし、茶目っ気のある人だから、また不意にやってきそうな気もする。


 魔族で稀人。この世界の常識に疎く、目が離せない不思議な人。


 おやすみ、レティ。


 部屋の前でした挨拶が、反芻する。なぜか、ちょっと心が暖かくなる。


 そろそろ眠れそうな予感がした。

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