冒険者ギルド財務執行担当官で僧侶
帝国。現在における最大国家と言って差し支えないだろう。
冒険者ギルド本部が居を構え、領土は絶え間なく監察官が巡視を繰り返し厳格な立法を保っている。まぁ、厳格とは言うものの、信賞必罰、そしてその罰が厳格化されていることを除けば種族間の偏見も差別も小さい実利を尊ぶまことに住みやすい国である。
さて、そんな帝国の地方都市の一つ、ミュンヘ・ベルクは、周囲を麦畑に囲まれた牧歌的な街である。特産は麦酒で、特に苦みの強い黒麦酒は愛好家も多い。そんな土地柄のため商業も盛んだ。
その街の冒険者ギルド地下に居を構えるのがミュンヘ・ベルク冒険者ギルド財務部署である。
冒険者への融資、買取品の管理と売買、ギルド運営費の運用と、冒険者ギルドの中核を担う部署である。
同時に、金銭的な問題を解決するいっとう物騒な人間達もいるわけだ。
冒険者ギルド財務執行担当という人間だ。
冒険者たちには畏怖と共に『ぶんどり屋』や『財宝泥棒』と呼ばれている。
■ ■ ■
欠伸を漏らす複座飛空艇乗りのランドバックは操縦桿を引いて高度を上げる。
複座飛空艇は帝国でも珍しい小型飛空艇だ。
二人乗りの細い船隊は、マストに広げた飛竜の皮膜で風を受け、空を自在に舞い上がる。
まるで木の葉のように動き回る船は、水の上であればカヌーと呼ばれるような形に近い。
その後部座席で大いびきをかいているのは僧服の男。
背は低く黒髪を刈り上げた坊主頭、僧服の上に所属する宗派のシンボルが胸元に固定された革鎧と面頬、いわゆる僧兵の恰好だ。
そのシンボルは革袋に羽根飾りが付いた柄で、商売の神であるメルクリウスを示したものである。
その名をラ・シン。僧侶で冒険者ギルド職員という変わり種。
まぁ、連絡員や輸送役として冒険者ギルドに雇われている飛空艇乗りであるランドバックも変わり種だが。
空に白い尾を引いていた飛空艇が高度を下げる。
目的地であるミュンヘ・ベルクの石造りの街並みは既に見えていた。
■ ■ ■
今回の仕事はギルドの借金を踏み倒して逃亡しようとした冒険者の確保、および徴収であった。該当の冒険者は銀等級、中級のベテランだったが、山間部に居座っていた魔物討伐依頼で失敗。防具、武具の損耗と遺失、仲間の負傷と、元々少なかった財産が目減りし冒険者ギルドが融資。
一時は完済間近だったが、同じパーティの一人が賭博から商人に借金。その後、パーティが入手していた
ダンジョンからの出土品を持って逃亡。
該当の人間は逃亡先のギルドで確保され、即座に犯罪者として憲兵に突き出されたうえ逮捕。
装備品、逃亡時に持ち逃げしたダンジョンからの入手品が借金の充当として引き渡された。
当人は犯罪者として現行犯逮捕されたことから、実刑が既に決定済。
国営の鉱山にでも放り込まれて重労働となり、借金を返すことになるだろう。
相当額の保釈金が支払われなければ数日中にでもそうなる。
「で、回収してきた武器とアイテムがこれです」
かっぱいだ防具と武器、そして持ち逃げしたアイテムを鑑定台に置いていく。ラ・シンは砂漠の民と極東移民の混血であり、僧侶としての学術的見識に加えて冒険者としての経験もある。多少の隠しものなどないも同然であり、逃亡時に宿屋に隠そうとしていたアイテムもみつけて回収していた。
「はい、ご苦労さん。算定額から借金額の残りを計算して元の借金からも引いておくよ。あとはこっちに任せな」
「たのんます」
鑑定資格持ちのギルド員に頭を下げると、そのまま作業部屋を後にする。
あとは、上司に報告して今日の業務は終了だ。飛空艇で仮眠こそしたものの、逃亡した人間を負って真夜中もばたばたしていたので眠くて仕方ない。
多少の無茶はしたが、まぁ経費のうちだろう。
多少だからだいじょうぶだろう。たぶん。
■ ■ ■
ミュンヘ・ベルクに居を構える蒼天商会は大混乱に陥っていた。
番頭であるドーマン・アルカは、白髪の混じった頭を抱えながらも報告書を確認する。
商会お抱えの傭兵が冒険者ギルド職員に暴行をしたということで衛兵に突き出されたこと、および、賭場で違法な金貸しをした人間がいたと賭場側から訴えがあったこと、しかもその違法金融をした男が商会の金銭を独断で持ち出していたという。
まず傭兵の暴行問題。
これは、冒険者ギルドに借金を持ちながら逃走した冒険者を財務執行担当者が追いかけた際、横やりをいれて対象の男を確保しようとした為だ。該当の人物が商会からも借金していることから冒険者ギルドより先に確保しなければならないと先走った結果、隣町の公共の場で喧嘩騒ぎを起こし、住民へ被害が出たところを執行担当者のメイスで半殺しにされるまでぶちのめされた。現場に駆け付けた衛兵に5対1であったことと、先に武器を抜いたことから暴行罪、冒険者ギルドへの業務妨害、器物破損、市民への傷害罪、市街地での騒ぎから治安妨害まで加わって現在も拘留中である。身分証からこちらの所属ということで連絡もはいっており、経緯の如何によっては賠償金を町とギルドに支払う必要が出るだろう。
指示を出した人間は確保済。指示と傭兵の行動内容確認、詳しくは商会上層部で協議のうえで対応となるだろう。所属人員の起こした問題である以上、賠償責任は免れられないが、今回に関しては独断で行った問題行動について本人もまた責任をとらせねばならない。
賭場の件も確保した商人と『おはなし合い』の最中だ。時期に詳細がわかるだろう。
金銭の持ち出しも同様。
さっさと話を収めないとこの町での商売が出来なくなる可能性すらある現在、ひたすらに時間が惜しい。
「番頭! 大変です!」
「今度は何だ!?」
「問題となったやつの仲間が、冒険者ギルドに向かったそうです!」
真っ青な顔になったドーマンは慌てて胃薬を飲み干すと、冒険者ギルドに向かう為に椅子を蹴飛ばした。
■ ■ ■
商談に関する話し合いということで財務担当部署へ勝手に入ってきた男たちに、報告書を書き連ねていた
ラ・シンは、隣に座っていた同僚と共にぽかんと視線を向ける。
なにか、剣呑な気配を漂わせる男達のうち、一人は商人らしき痩せた男で、もう一人は傭兵くずれと思しき強面で腰に曲刀を差した大男。出入り口付近に居た女性職員に何かを早口にまくしたてたが、活舌が悪すぎて半分くらいしか伝わってない。
なんの話かと上司、老年のドワーフ族であるドバラン室長が応接椅子へ二人を案内する。
話をまとめると何かの取引品を冒険者ギルドが取引先であった冒険者から借金のカタとして回収されてしまったことに困っているという。取引先にも引き渡しの期日について打ち合わせしていた段階の為、ぜひ、その品を引き渡して欲しいと。
「なるほど、そういったことであれば一度、その品というのがあるか含め調べてみよう。その冒険者の名前と、品について教えてもらえるか?」
「パキオとその男は名乗っていました。昨日に捕まったとお聞きしたので、その男の品はもう冒険者ギルドに届いているはずかと」
その名は昨日、ラ・シンが捕まえた男で間違いなかった。
「その男の品なら、今は鑑定室にあるぞ」
ラ・シンが欠伸混じり立ち上がり、そう伝えると大男が突如として立ち上がった。
部屋の出入り口を突き破らんばかりの速度で走りだそうとした大男であるが、その前にラ・シンが立ったことでその動きを止める。
「待てって。そんな急いで行ってもすぐには引き渡せないから、もうちょい待ちなって。そもそも何が必要かもまだ聞いてないし」
そう力の抜けた様子で口にしたラ・シン。
彼に向かって大男が突如として抜刀しようとするも、ラ・シンが柄尻を掌底で押さえ、振り払おうとした瞬間に脛を蹴飛ばし床へ転がしていた。
「短気するもんじゃないよ。まぁ、落ち着けよ」
痛みに悶える大男に対し、ラ・シンから笑顔が消える。
「まさか持ち逃げしようなんて、思ってないだろ? な?」
音もなく後ろ腰からダガーを抜いたラ・シンは、剣先を応接用のソファーへ向け、大男へ移動を促した。
痩せた男、アレジャの眼は血走っていたが、何かを必死で考えるように顔を俯かせる。
査定額と内容をもった鑑定担当が部屋に訪れるまではそう長くかからなかった。
「えー、鑑定終わりましたー。なにか急ぎで確認されたいってことで」
「あぁ、すまんな。引き取り品でトラブルがあってな」
受け取ったドバラン室長が手早く鑑定証明書と明細書に視線を滑らせる。
武器1点。長剣、鋼、魔術付与なし、鍛鉄製、中程度の損耗あり。
防具6点。同一シリーズで脛当て、胴鎧、兜、小手、肩当。陸棲魔獣皮。チェーンメイル、鋳造。
道具9点。消耗品、野営装備、簡易魔道具など。
魔道具1点。
地属性。土壌改良用の魔道具。形質変化用途に利用可能。
これを見たドバラン室長は椅子に座り直す。
対面の二人は、ダガーはしまったものの背後に立ったままのラ・シンをしきりに気にしている。
「おそらくこの魔道具をお探しかと思うが、どうだね?」
「……はい、その通りです」
ゆっくりと顔を上げたアレジャは、張り付けたような笑みを浮かべていた。
「商業的な取引は済んでいたものでして、所有権は我々にあります」
「では、契約書について拝見させていただけますか?」
「守秘義務もありますのでそれはご勘弁願いたいのですが、何故?」
その言葉にドバランは平坦な表情のままアレジャを見る。
「いや、ですから所有権についてのお話になりますから。現在、借金の抵当としてその品は我々が確保してますから、所有権が彼にはないと証明してもらえないと渡せませんよ?」
徴収した内容物の売買金額で今後の労役期間も決まる。
併せてそう口にし、契約書の提示を求める。
「そうでなければ我々は借金の弁済の一部として徴収した個人資産を、あなた方に渡す必要性がないのですから」
そう口にされたアレジャは、何かを飲み込むよう顔をしかめていた。
「同一の債権者から回収すべき借金があり、我々が確保しようとしたところを執行官が叩きのめし、その品を奪っていったうえでそうおっしゃるのですか?」
「不幸な行き違いがあったのは確かでしょう。ですが、あなた達の商会と彼の間で交わした借金について我々は第三者にあたり本来は無関係です。借金については帝国の法律にのっとって申請すれば、我々と同様に労役による所得から金銭的な返済は行われると思いますので、それをお待ちになればよいかと」
「我々は、その魔道具が担保だったから彼に金を貸したのです」
「そうですか。ならお金を貸した時点で担保として受け取ってない状況で貸し出したのは?」
「彼を信用していたからです」
「それは我々もそうでしたな。そのうえで、ですが」
ドバランはこつこつとテーブルをたたく。
「担保の所有権について。借用証明書を出せば済みます、そう先程からお伝えしていますし、出さないならこのお話は終わりです。それとも、証明書を出せない理由でもおありで?」
「……諸般の事情で、今すぐに提示はできないのです。その品の売買は待っていただけませんか?」
「猶予として三日はこのギルドで保管します。それ以降はオークション含め売買手続きにはいる予定ですので、それまでにお願いしますよ」
その言葉にうなだれたアレジャ達は引き上げていった。
もちろん、外までラ・シンがエスコートする形で。
戻ってきたラ・シンに、鑑定内容の詳細を確認していたドバラン室長が尋ねる。
「どう思う? ラ・シン?」
「借金が決まった時点で抵当の指定は条件上になかった、もしくは所有権が不鮮明のどっちかだろう」
「予想は?」
「不鮮明の方だな。おそらくパーティで確保していた未鑑定の魔道具について、何かの機会に商会の人間が知った。それを欲しがっている相手にも心当たりはあった。金になると思って、パーティにその品を譲る様に接触したが断られた。元々負債のあるパーティだ、金になりそうなら慎重になるだろう。商会とギルド、どちらに売った方が金になるか算段し始めた。
ところが、商会の方は手違いか何かで取引先に品を渡すよう契約を結ぶよう話が進んでしまった。ものはないですじゃ話が通らない。商会としての評判も落ちる。
そこで借金のある状況でも賭場に出入りするような緊張感のない人間を見つけた。
そこを狙って最初はほんの軽い額でも貸して、気付けばある程度の金額になるよう唆した。パーティ単位で負債がある状態で個人的な借金を重ねるような人間、それも賭場に出入りしていたとなればギルド側も問題視する。最悪は冒険者資格の取り上げだ。仲間だって許さないだろう。
そこで物品を持ち逃げして借金のカタと、あとは逃走資金分の追加報酬なんかと引き換えに渡そうとした」
「ふむ」
「ここで問題なのはパーティ資産を勝手に売り払う行為。他の仲間の同意がなかった、未鑑定であった、これらの要素を鑑みた場合、魔道具の所有権はそもそも彼になかったから、商談そのものがアウト」
「まぁ、それならそれで元のパーティに返す可能性もあるから、そこで再打診すりゃいいだろうに」
「一回断ったら仲間を唆して持ち逃げさせようとしたってのがバレている状況ですよ? そっちに売ろうとは思わんかと」
「そりゃそうか」
「ま、うちとしては巻き込んで欲しくなかったなぁとは思いますが」
「今更だろ? それに似たようなことはいくらでも起きる」
「それもそうか。あ、報告書書いたら帰っていいっすか?」
「あぁ、お疲れ。なんかあっても俺らで対処するから気にするな」
「まぁ、冒険者ギルドに夜間カチコミかけるとかないでしょうしね」
「さすがにそこまで馬鹿じゃないだろう」
皮肉気に笑い合う二人は、それぞれ業務と休息に向かった。
いつだって冒険者ギルドは忙しい。これもまた日常の一幕に過ぎなかった。
■ ■ ■
冒険者ギルドから出た瞬間、アレジャは商会の人間に拘束された。
賭場で許可のない金貸しに商会資産の無断利用、人員を狩りだして逃亡した冒険者を追ったことに加えて、冒険者ギルドに何らかの目的をもって向かったこと。それぞれの事情について仔細を聞き出す必要があった。番頭のドーマンの前に引き出されたアレジャ、そして護衛をしていたホランドは、それぞれが後ろ手に縛られている。
「なぁアレジャ、お前とイーステッドは何を考えてこんなことをしたんだ?」
「……アーティファクトを、手に入れようと思い、行動していました」
「取引先は?」
「アーデンベルネ伯爵、です」
「……くそったれ、隣領を治めるお貴族さまじゃねぇか」
「元々はグレン部長が引き受けたのですが、我々に厳守命令として指示が」
厳守命令。商会における最上位指示だ。主に商会の進退や人命に関わる事態の時に行われる。
既に拘束済だったイーステッドの自白とも合致する。傭兵に指示を出していたのはグレンだ。
「グレン本人は?」
「イーステッドを確保した段階で雲隠れしてます」
「確定だな」
番頭補佐である青年の言葉に唸る。
非合法的なやり口の危険性から、自身が寸前まで表に出ないよう画策してこんな真似をしたのだろう。
強い怒りを押し隠し、アレジャの隣に拘束されているホランドをドーマンは見据える。
「お前、おそらくイーステッドとアレジャの監視役だったんだろう? グレンからはどんな指示が出ていた?」
その言葉に浅く頷き、ホランドが答える。
「順調にアーティファクトが入手できた場合は、確保した人員から奪取、すぐにアーデンベルネ伯爵領へ向かうこと」
「口封じは頼まれたか?」
「頼まれたが断った。グレンは念を入れたかったようだが、追手がかかった場合の危険性を盾に安易な人殺しは避けるよう言って。臨時報酬の上乗せも言っていたが、そもそも信用ならなかった」
「それでも従っていたのは?」
「グレンは商業用の魔術式が刻まれた契約書を悪用して部下を縛っている。明確に拒否したり他の上役へ報告しようとした人間が出た際に警告が発される程度のものだが、それを使って監視し、自身の意に反したやつは監禁している」
「今それを喋れているのは?」
「契約の主導側が逃亡したことで契約の条項に違反したことになって権利を失ったからだろう。あくまで商業用の契約魔術式だ。隷属や奴隷化のものほど強固ではない」
「分析も見事だ。ホランド、お前については今回は運が悪かったとして罪には問わんことにする」
「恩に着ます」
「イーステッドとアレジャについても同様とする。ただ、そこまでして確保したかった理由は?」
「あの、多分ですが」
拘束を解かれたアレジャが、躊躇いながらも口を開く。
「領地境界の開拓が目的かと」
同じ結論を予測していたとはいえ、それはドーマンが一番聞きたくない結論であった。
そして、その日の深夜、冒険者ギルドの職員が刺されアーティファクトは奪われた。
■ ■ ■
アーデンベルネ伯爵領とミュンヘ・ベルクのあるイスタ男爵領は帝国東側に位置する。更に東、帝国領東端は大樹海に接しており、その付近を境に小国の集まりである諸王国領、または諸王国地域と呼ばれる場所や砂漠、山脈を挟んで聖王国と呼ばれる人種のみが住まう国がある。
大樹海は巨木のならぶ巨大魔獣の巣窟であり、最弱の魔物がドラゴン・イーターと呼ばれる巨大芋虫という人外魔境であるのだが、その地理的な魔力の濃度の余波か、帝国東側では魔物も強く、土地も開拓が困難な場所が多い。
アーデンベルネ伯爵領とイスタ男爵領の境である山岳地帯もまた、深い森に山林を住処にする魔獣が多数生息し、湿地や渓谷の多さと相まって山道を整備するだけで5年近くかかるほど開拓が困難な場所だ。
そこを開拓できれば、鉱脈が見つかるかもしれないし、新たな耕作地の広げられる可能性もある。
領内の地力を上げるにはあまりに魅力的な話であった。
酒場で向かい合うドーマンとラ・シンは、冷えた水を手に難しい顔をしていた。
「ただし、アーティファクトをきちんと管理できる人間がいれば、という前提あってだが」
「だろうな。うちとしても、不備のある商品を売った、などと言われたらたまらん」
目の前でパスタを食べる僧侶に対し、苦いものを飲み込むようなドーマンは言葉を続ける。
「加えて、そんな騒動が起きて境界で揉めることになればお互いの領地、ひいては我々商会だけでなく市井への不利益になる。なんとかしたい」
「監査官が来て仲裁してくれるとしても、交通制限などがあれば困ったことになる」
「そうだ。監査官から直接介入を受けるようなことになれば、境界の再裁定や監査の為に付近での活動抑止命令や商業活動の抑止命令が出かねない。この時期に始まれば一部の村や集落への物流が滞る。たとえ、監査官から行政管理部署に連携して支援物資の配給があるとしても、物流が停滞すれば作物の取引なんかで出る利益が今期分ダメになり後を引くことになる」
「……仕方ないなぁ。どうせ盗難品の追跡に行くから、ついでに伯爵のところに行って説明と確認してくるよ」
「頼む。うちの者のことで迷惑かける」
「仕方ないさ。ま、上手くいかなかったら諦めてくれ」
「もしかしたら伯爵側が専門家を召集済で入念な準備が既に済んでいるかもしれない。杞憂であればそれはそれでいいさ」
街の経済を支え続けた老人の言葉に、ラ・シンは頷く。
その日の昼過ぎ、空に舞い上がる複座飛空艇が街の上空を飛び立っていった。
■ ■ ■
鑑定部署所属冒険者ギルド男性職員が昨晩未明、施錠前だった部署内に踏み込んできた強盗犯によって暴行を受けて負傷。保管庫収納前であった物品にかけられていた保護魔術式、盗難防止、追尾、持ち出し防止の付与術式などが破壊され、その手管からおそらく錬金術師職と思しき強盗犯によってアーティファクトはが強奪される。
しかし、錬金術師は気付いていなかったようだが、魔術式以外にも物理的な盗難対策措置として講じられていた薬品によって逃走ルートに沿って通常は嗅ぎ取れないごくごく特殊な香りが残っており、それを冒険者ギルドの警備担当者が追跡したところ、アーデンベルネ伯爵領への道を進んでいたことを確認。
早朝に降った通り雨で痕跡は流れ落ちてしまっていたことで領内のどこへ行ったかまでは不明だが、ドーマンに端的な事情を聴かされていたラ・シンは、即座に伯爵家に飛空艇で乗り付けていた。
「冒険者ギルド所属のラ・シンと申す。至急の案件にて伯爵にお取次ぎを願えるか?」
「少々お待ちください。家宰に確認しますので」
さすが伯爵家付の兵士といった手際で確認に動く。
自分達の行動がひいては伯爵家の評判につながることを理解しているからだ。
帝国内において貴族位にあぐらをかくような真似ができるほど貴族という職は楽ではない。
むしろ、帝国内の法衣貴族達に帳簿に裏がないか常に探られるような厳しい職なのだ。
稼ぎをよくするなら賄賂なんかを無心するより領地を富ませる方がなんぼか楽だろうとさえ言われている。
戻ってきた私兵は「現在来客中につき今暫くお待ちいただきたい。客室に案内するのでどうぞ中へ」との回答と共にメイドを引き連れてきた。
「なるほど。わかりました」
ラ・シンはお礼と共にメイドの先導で屋敷の中へ入る。
そして、入ったとたんに駆けだした。
「あ! お客様!」
伯爵家で勝手をするというとんでもない行為を即座にやってのけたラ・シン。そのまま二階に駆けあがると、貴族家付兵士が左右に控える扉を跳び蹴りで破壊した。
蝶番が歪むのも気にせず中に踏み込み、ぶんぶんと振り回して腕が既に加速している。
慌てたように立ち上がった相手、赤い髪を撫でつけた長身で壮年の男が商人のグレンであると確認すると同時に。
「ご無礼をば」
そう短く告げながら放たれる右拳。
伯爵家応接間だというのに、何の躊躇もなく拳骨をぶちこまれたグレンは真横に吹っ飛んでいた。
■ ■ ■
ラ・シンから「伯爵と商談の最中であればおそらく護衛も同伴しておらず一撃だろ?」というとんでもない回答が跳びだしたのは、グエンの捕縛と、貴族家付兵士に四方を囲まれた状態で応接椅子に案内された後であった。
「さて、伯爵様、お屋敷での不作法については改めて謝罪させていただきたく」
「……もうよい。それで本題はなんだ?」
呆れたというか諦めたというか。
アーデンベルネ伯爵家当主、シャーロット・ディアンドロ・アーデンベルネ女性伯爵は、人を殴り倒したあとだというのに、平気な顔でお茶を口にしているラ・シンに冷ややかな視線を向けていた。なんというか、行動と思考があんまりに物騒な男であるが、これで僧籍でもあるというのだから最近の宗教というのはどうなっているのだろうかとも思っていたが。
「単刀直入に言いますと、冒険者ギルドからアーティファクトが盗難に合いました。調べの結果、街に居を構える商会からアーデンベルネ伯爵とアーティファクトの取引の予定があり、取引担当者がアーティファクト確保のために冒険者ギルドから強奪した可能性が浮上。その主犯と目されているのがそこで居眠りしているグレンです」
「そう」
居眠りではなく昏倒だろうという指摘を、かしこい伯爵は口にしませんでした。
重度の腰痛だった前伯爵から齢21歳にして位を受け継いだシャーロットであるが、その貴族位も、結い上げた煌びやかな銀髪ときつい目鼻立ちだの美貌も、この相手に通じる気がまったくしない。
敵対したら間違いなくアゴを割るつもりでアッパーを放ってくる気がした。
「それで取引は?」
「残念ながら一度アーティファクトは回収させていただく。盗品である以上、このままお渡しするわけにはいきませんので」
「すみませんが、こちらも至急そのアーティファクトが必要です。早期にお譲りいただくことは可能?」
「事情によりますが」
両腕に付けた革製の籠手を外そうともせず先を促すラ・シン。
あんなものを嵌めたまま殴られたらアゴが砕けるだろう。
「領の境界沿いで土砂崩れがあったの。早期に対応しないと魔物の生息域が変わって山から出てくる可能性があるわ」
「大問題だな」
「大問題でしょ?」
グレンを蹴飛ばして懐に抱え込んでいた商人カバンからアーティファクトを取り出す。
鑑定したものと同じ。琥珀色の魔石が埋め込まれた短杖。
「それが『大地の杖』?」
「はい。確か、魔石は魔力蓄積可能なもので消費したものを後から追加可能。回数制限型ではなし」
「土砂崩れの場所は?」
「峠道の手前にある沢の近く、と言ってわかるかしら?」
「だいたいがわかればあとは上空から当たりをつけるんで」
手足を縛りあげたままのグレンを放置して扉の方へさっさと走り出すラ・シン。
「ちょっと急ぎで戻りますんで、申し訳ないんですがそっちの男は冒険者ギルドに突き出しておいてもらえますか?」
「そう」
「安定したか確認する必要もあるんで誰か人を出してください」
「えぇ」
何をするかは分かったものの、具体的な単語は伏せてラ・シンとシャーロットは言葉を交わす。そのまま来た時と同様、嵐のように屋敷を出たラ・シンは、ランドバックを急かして飛空艇で飛び去って行った。
「誰か足の速い馬で土砂崩れ跡の確認に。急いで」
慌ただしく動き出した兵士達を他所に、すっかり冷めた紅茶へシャーロットは口をつけた。
■ ■ ■
ラ・シンが僧侶であることを冒険者ギルドの人間であればだれもが知っているが、どの神を奉っているかを知っているものは意外と少ない。その階位も、得意とする祝福の技や扱える魔術式の種類なども。
アーティファクトである『大地の杖」を複座飛空艇の後部席で確かめるように数度振ったラ・シンは、土砂崩れが起きたと思しき場所を肉眼で確認すると魔力を編み上げていく。
初めて扱うアーティファクトというのに、これといった問題もなく扱うラ・シン。
術式、またはアーティファクトの行使に必要なのは具体的なイメージと魔力によって構築される事象の上書きであるが、杖の先端から迸った光が空中に線を描き、光の線によって展開された魔術式が影響範囲と効果を定める。
茶色い地肌が覗いている斜面をなぞるように杖の先端を動かしていき、崩れた地面を引っ張りあげるよう、杖を釣り竿に見立てた動きで振り上げる。
すると、まるで崩壊がなかったことになったよう、瞬く間に斜面は元通りに戻っていった。
固い地面に直立する木々。まさにアーティファクト、奇跡の技の一端だった。
「神さん感謝します。人々に安寧を」
「そんな適当なお祈りで大丈夫なのかい?」
「問題ない。格式ばった儀礼や挨拶なんてのは、人間の都合だし。信仰心が大事なわけであって、祈りの言葉を知らない人だろうと、その人が教会で感謝する意味が薄れるわけじゃないのだから」
「深いねぇ」
「どうでもいいからさっさと戻ろうぜ。腹減った」
数時間後、現場に辿り着いた公爵家付の兵士が、土砂崩れがあったはずの場所がわからず難儀することになるが、空を泳ぐ飛空艇は、とうに立ち去った後だった。
■ ■ ■
アーティファクトは無事に冒険者パーティの手元に戻った。冒険者ギルドと協議のうえ、アーティファクトは正式に競売にかけられることとなり、金貨にして4000枚、金銭的な換算が難しいことから冒険者ギルドの預かりとなり、必要な時に引き出すことで合意となった。
高額硬貨であるところの金貨100枚分、大金貨を手に入れたパーティは借金を返済し、冒険者稼業から足を洗うという。そして入手した売買の代金、その一部で、鉱山労働になるはずだったパーティメンバーの保釈金を支払ったと。
ぼたぼたと涙を零す逮捕されたメンバーを迎え入れた彼らは、揃って生まれ育った村へ戻るという。賭博で急いで金を稼ごうとしたり、逃亡して急いで戻ろうとした理由とは、冷害によって村は餓死者の心配が出るほどであり、それを救おうとした結果だという。
荷馬車に詰まれた食料と新しい苗を揺らし、彼らは朝焼けの中に旅立っていった。
商人グレンは、子飼いの部下に加え、借金で縛った高位の冒険者によって冒険者ギルドを襲撃したこと、所属する商会から独断で金銭を持ち出し、独自に利益を得ようとしていたこと、所属傭兵に強権を振るって違法な命令を重ね治安を乱したことに加え幾つもの余罪から逮捕。
財産没収、その後に犯罪奴隷として強制労働となった。
犯罪奴隷に地位が落とされた場合、保釈金を支払っても解放されない。
彼は罪を償うまで許されることはない。
人を騙し財産を奪おうとした彼がその罪を悔いて過去を惜しもうと、刑期が終わるまで。
■ ■ ■
星空の下。大きな岩の上に片膝を立てて座るのはラ・シン。
組み合わせた手で印を現わし、全身に満ちる魔力を巡回させ瞑想を深める。
「我が祈りは金星の女神に奉ず。健康、繁栄、牧畜、豊穣、そして富を司る神よ」
「いと尊き高き金の星、いと慈しみ深い神の名をナーキッド」
水神ナーキッド。
またの名をアナーヒト、アナーヒター。生命の源泉の象徴、金星の女神。
地域によって名と姿は変わることも多く、広い地域で今も信仰されている古い古い神。
沢の傍に村のあったラ・シンにとって、最も馴染み深い信仰対象であった。
日々の感謝の中に祝福、神による技能の貸与が農家の次男坊などにもたらされるなど誰が思ったか。
慌てた村の坊主が近くの神殿に連絡をとり、自分の名前も書けなかった子供が、今や祈りの文句を暗唱できる立派な僧侶だというのだから人生はわからない。
その権能ば祝福としてもたらすのは財産の保護。
自信の力は誰が為に。他が力は自身の為に。
人を害す可能性のある武器を取り上げ、他人の持ち物であるアーティファクトを自在に操り保全する。
神のもたらす奇跡としてはなんとも身勝手なものであるな、そうラ・シンは笑う。
共存共栄の為の力。それがナーキッドから与えられた祝福の形である。
「人が人として、生きていけることを、見守っていただけることを感謝します」
身体から小さな光が空へ昇り、そして消える。
礼賛が神へ届いたことをなんとはなしに感じ取ったラ・シンは、肩から力を抜いた。
「さ、飲みに行くべ」
その夜に新たな騒ぎが起きるのだが、それはまた別の話。
どうせ彼はまた、自分の信ずるものの為に生業をこなしていくのだから。
- 終 -