21.NewNormalな日々-3
「んん~~ッ! 美味しいぃ~~ッ!」
台所から、すこしくぐもった母さんの声が伝わってきた。
口の中に、なにか食べ物がはいっている時のような声だ。
またかよという呆れ半分、わたしにも一口という羨ましさ半分で、お膳を拭く手を止め、そちらを見ると、案の定と言うか、エプロン姿の母さんが、いやいやをするような格好で身悶えていた。
菜箸をギュッと握って両目をつむり、すこし仰向いて、口をむぐむぐ動かしている。
ソムリエがワインをテイスティングする時のような、リスやウサギといった小動物が、一生懸命、咀嚼しているかのような、そんな様子を、
しかし、中年のオバサンがキモい、と思ってしまうのは、味見と称して、お婆ちゃんの料理を独占している母さんに対するやっかみだろうか。
チクショウ。母親だったら、そこで一言、『ほら、美佳も食べてごらんなさい』とか、何故言えない。
わたしだって、こうしてお手伝いしてるし、何より母さんをここまで連れてきたのは、わたし。
そもそも、母さんが山神さん宅を訪ねることが出来るのも、そのきっかけは、わ・た・し、なのに……!
一体、どうして、その功労者のわたしに何の褒美も分け前もないワケ!?
それって、絶対オカシイでしょ!?
わたしにだって、特典にあずかる権利はあるよね!?
って、
ああ、自分でもナニ言ってんだかわかんなくなってきた。
だけど、とにかく、ここで広く世に訴えたいのは、だ。
『なのに独り占めなんてズルくない!?』
その一言。
わたしだって、おなかがへってるのに……!
母さんばっかり、絶対、絶対、ズルいでしょ!
「先生、しつこいですけど、考え直してくださいよ。コレ、お店とかやったら、絶対絶対、流行りますって! 商売繁盛、満員御礼まちがいなしですって!」
そんな、わたしの呪いなど知らない顔で、やがて、口中の至福を胃の腑へコクリとおさめると、母さんは、心の底から幸せそうな、ウットリした顔で、そう言った。
目つきはとろんとしているが、しかし、口調は真剣である。
そう。主婦業の傍ら、料理研究家を生業にしている母さんは、山神のお婆ちゃんの料理に完璧やられてしまってた。
魂を奪われてしまったと言っていい。
だからだろう、お婆ちゃんのことを『山神さん』だとか『奥様』だとか、名前呼びなど畏れおおくて出来ないとばかり、(当のお婆ちゃんが嫌がっているのに)『師匠』、『先生』と敬っている。
そして、ほとんど毎週、家からクルマを飛ばしてきては、料理を教わり、そして、味見試食をした後に、お店をやりましょうとか、レシピ本を出しましょうとか、一生懸命かき口説いているのだ。
調理助手→味見試食→メジャー(?)勧誘の流れは、もはや恒例のルーチンである。
(ちなみに、毎度わたしが強制連行と言うか、運転手役を強要されるのは、長時間ハンドルを握った後だと、包丁をあつかう際に手指がブレてしまうから、だそう。まぁね、北島の一件以来、(おもに父さんから)婚活禁止令が出されてもいるし、そうすると、休みの日には結構ヒマしてるしで、お婆ちゃんに会いに行くのは、むしろ楽しみではあるから別にいいんだけどね)
と、
「まぁまぁ、いつもお上手ねぇ。でも、ダメですよ? こんな素人の年寄りがつくる田舎料理、わざわざお金を払ってまで食べたがる人なんていやしませんよ」
母さんの必死の懇願に、しかし、お婆ちゃんは、ほほほ……と笑って取り合わない。
それをまた、母さんが、先生、そんな事ないですって……! と翻意をうながし、
いえいえ……、いやいや……と、台所に立っている二人のあいだでは、暫くの時間、誘いと謝絶の応酬が繰り返されていた。
これまた恒例と言うべきルーチンなのだけど、
そうした手順を踏んだ後、ようやく、
「美佳、配膳の準備はいい?」と声がかけられる――そういう運びとなるのだった。
さぁ、お待ちかねの食事会だ。