19.NewNormalな日々-1
「♪美ぃ~佳ぁ、みかみかみかみかみぃ~かぁ~……、用意は、いぃ~い?」
玄関口から母さんが呼ぶ。
とても弾んだ声である。
躁状態か?――そう思うくらいに機嫌が良い。
が、
浮かれるにしたって、娘の名前を犬猫よろしくリズムをつけて、大声で連呼するのはやめてほしい。ご近所にまで、まる聞こえじゃん。
ま、それはともかく、
「美佳、おっそ~い。用意ができたら即出発だって、昨日あんなに言ったじゃない」
返事をしなかったせいだろうか――待ちきれなくなったらしい母さんが、ノックもなしにバン! と、わたしの部屋の戸をあけた。
「ちょ……!?」
そして、姿見の前で思わず身体を硬直させるわたしと、ベッドの上と言わず、椅子の背もたれと言わずに散乱している数多の洋服を目にして思いきり呆れた表情になる。
「あなた、まだそんな事やってたの? ファッションショーでもやるつもり? それとも、どこぞのセレブのパーティーでも行くの? ぜんたい、今日のあなたは単なる運転手兼味見役にすぎないんだから、そんなおめかししたって意味ないでしょう? さ、さ、グズグズしないで、とっとと行くわよ」
そう言いながら、つかつか部屋の中に入ってくると、トップスはコレ、ボトムスはコレで、そろそろ冷えこんできたから、上着にコレを羽織っていればいいんじゃない? と、お座なり気味にコーディネイトした服を放ってきた。
パサッパサッと降り注いでくる上下にプラスアルファの衣服をわたしは受け取り、唇をとがらせる。
「そーゆー自分はなんなのよ。朝から気張ってオシャレしちゃってサ。わたしと一緒に出かけるんじゃなきゃ、父さんからあらぬ疑いかけられたって仕方ないとこだわ」
鏡の前で、手にした服をあてがってみつつ、イヤミを言った。
「へっへぇ~。それって、私が綺麗だってこと? すごく魅力的だってことだよね? 褒め言葉として受け取っとこっと♡」
「いや、なに自分に都合良く解釈してんの? 父さんのこと、まぢ知らないからね。せっかく今日は父さんも会社がお休みなのに、お婆ちゃんの家行くのに、『ついてこないで』って。すっごいヘコんでたわよ」
現に、いまも背中をまるめ、一人リビングで寂しくテレビなんか観てる。
まぁ、時々、『フィ~~ッシュ!』とか、『あぁ、おしい……ッ!』とか歓声(?)をあげているから、ホントに落ち込んでいるかはわかんないけど。
「だって、仕方がないじゃない。今日はね、山神さんから精進料理を教わるの。なのに魚臭いひとなんか連れて行けるわけないでしょう? お父さんにしたって、誰に文句を言われることなく、日がな一日、釣り番組に漬かってられるんだから、不満なんてないわよ」
そんな、リビングからの声が聞こえたワケでもなかろうに、母さんは、まったく動じず、旦那放置の理由を言った。
双方、Win-Winとも付け加えられ、反論できずにわたしは、む~んと唸るしかない。
そんなわたしを母さんは、更に急かした。
「いいのよ、これは『仕事』なんだから。美佳は『まるでデートに行くみたい』だとか、くさして言うけどさ、これは私にとっては、『礼儀』よ、『れ・い・ぎ』」
祈るようなポーズで両手を握ると、表情がとろん、ウットリとなった。
「娘を助けてくれただけじゃなく、お礼にお伺いした時にご馳走になった、あのお料理……! かなわないと言うより、これこそ天が導いてくれた出会い――お師匠様にめぐりあえたと感じたものよ。そんな二重に敬うべき方に会いに行くのよ? 服装ひとつにも気合いをいれて当然じゃない」
「あ、あぁ、まぁね。……ウン。わかった。わかったわよ」
なんだか恋に浮かされた少女のような、熱を帯びて潤んだ母さんの声に、わたしは思わず引いてしまってた。
「わかったのなら早くして。お伺いするのが遅くなって、お師匠様とご一緒できる時間がどんどん短くなるんだから」
そんなわたしにピシャリと言うと、母さんはまるで見張るかのように腕組みをして仁王立ちとなる。
「それに、そういう美佳こそ、久留間さんに会える~って、そんなおめかしに余念がないんじゃない。会社だけじゃなく、お休みの日にも会っているのにさ」
「う、ウルサイ!」
おまけに付け加えられた余計な一言に、わたしは顔を赤くしながら怒鳴ったのだった。