16.御礼参り-2
――などと思っていた時が、わたしにもありました。
いや、家には帰った。帰りましたよ、その日はね。
でも、翌日――何とはなしに早い時間に目が覚めて、トーストを囓りながらポケッとしてたら母さんが、
「美佳」と鋭い……って言うか、気合いを入れるみたいな感じで、わたしの名前を呼んだのよ。
「ん~~?」
オレンジジュースを片手に振り向くと、そこにはビシッとこちらを指さしている母さんの姿。
「あなたヒマよね。ヒマでしょ? どうにも時間を持てあまして困っているわよね」
「い、いや……、なんなの?」
気迫におされたと言うか、確かにノンビリ……、いや、いっそダラダラ休み休みの食事だったから、ヒマと言われて否定もできなかったんだけれど、ちょっとどもった。
そしたら、
「だったら行こう! 私もちょうど手があいたから、これから山神さんのところへ出かけよう!」と言われ、危うくジュースを噴き出しそうになったのだった。
「本気……? だって、わたし、住所も聞いていないし、順路もうろ覚えだよ。ヘタしたら迷子になっちゃう」
「迷子になったらなったでいいじゃない。ナビがあるから、どこからだって帰るだけなら出来るでしょ? 目的地に辿り着けなかったら、その時はその時。単にドライブを楽しんだって思えばいいのよ。だから、行こ?」
しつこく言って、今にもわたしの手を引かんばかりに母さん。
「……そんなに仕事に煮詰まってるの?」
だから、ついついツッコミを入れてしまった。
母さんは、主婦業の傍ら料理研究家としての顔を持っていて、日夜(と言うほどでもないが)研鑽を積んでるんだけど、時にアイデアに詰まって暴発してしまうのよね。
そんな時は、とにかく新たな刺激のインプット――発想の元ネタを増やして、凝り固まった視点にリセットをかけて、と、やおら料理とは関係のないことに手を出すのが常。
「ぅ……。ま、まぁ、そんな事は……あるけれど……」
案の定、わたしの指摘に母さんは怯んだ。
つむぐ言葉も、声はちいさく、喋り方は、ぼそぼそ聞き取りにくいものになった。つづく言葉の内容が、まったく聞き捨てならないものだったけど。
「で、でも、あなただって、昨日は、『課長補佐、留守だった~。お話ししたかったのに、エ~ンエ~ン』とか言って、今だって、そんな萎れているじゃない」
「な、泣いてないし、萎れてもないわよ!」
とんでもない誤解に、わたしは思わず、そう叫ぶ。
「だったら、行こ? どの道、お世話になったお礼はしなきゃならないし、でも、課長補佐さんとは会えもしないし、連絡もつかない。だったら、直接行くしかないじゃない」
「…………」
「それに、山神さんを訪ねたら、案外、そこに課長補佐さんも行ってらっしゃるのかも知れないわよ?」
なおも、『うん』と言わないわたしに対し、どこか切り札めいた感じに、そう言う母さん。
う~ん、そうかな。そうなのかも。
正直、課長補佐が山神さんの所に行ってるんでは、とは考えないでもなかった。
でも、それにしたってスマホにかけても繋がらないし、道筋も不案内な山神さんの所へひとりで行くには不安だし、で、どうにも踏ん切りがつかなかった。
あれだけ迷惑をかけておきながら、でもって、絶対、お礼とお詫びに行くって誓っておきながら、実際のところ、わたしって人間はこの程度だ。
でも……、
母さんと一緒だったら……。
わたしは、ジュースを一気に飲み干した。
「うん。決めた! 行こ、母さん――山神さんのところまで」
準備するから、ちょっと待ってて――そう言って、朝食の片付けを済ますと、自分の部屋にお出掛けの支度をすべく動きだしたのだった。
その後、母さんのクルマで出発したわたしたちは、二人ながらに自分たちが運転に不慣れだったと判明し、こんなことなら出かけるのは翌日にして、父さんを専属運転手にするべきだったと後悔することになるが、それはまた別のはなしだ。(当日、急な仕事で会社に行ってた父さんから、なんで自分をのけ者にするんだ、と拗ねられたことも)
とにかく、そうして、動機にいささか不純はあれど、まずはお礼にお菓子など買い、母さんとわたし――おんな二人で、一路、恩人のもとへと休日ドライブははじまったのだ。