傷跡3
「さ、着いたぞ。」
嵯巳儀先生はうとうとしていた私のことを揺らして声をかけてくれた。
その声をかけてくれた顔がなんとも言えぬ優しさが伝わってきて、すごく嬉しくなった。
だめ、だめだめだめ!!!
こんなのに引っかかっちゃだめ!!!
目を覚ませ私!!!!
私は一生懸命首を横に振っていた。
「大丈夫か??!!」
嵯巳儀先生は驚き顔で声が裏返っていた。
は、恥ずかし!!!!
私は顔が熱くなった。
多分顔が赤くなってると思う。
なんとなくわかる。
「大丈夫です!!ごめんなさい。あれ?でも、何で先生が私の家知ってるの?」
私はふと疑問に思い、心配しながら尋ねた。
嵯巳儀先生は呆れたのか一つため息をついてから教えてくれた。
「君のお姉ちゃんの彼氏だったから…。……でも、もういないけどね。」
嵯巳儀先生は困った顔で言ってから悲しそうな顔をしていた。
その顔はあまりにも悲しそうで私は胸が締め付けられた。
お姉ちゃんがいたら今頃…
私はこれ以上考えないようにした。
考えたら、きっと何もかもが溺れていきそうで怖い。
何かが崩れそうで怖い。
何もかもが暗闇になりそうで怖い。
「送ってくださりありがとうございました。では、失礼します。」
私は軽くお辞儀をして車のドアを閉めた。
嵯巳儀先生は笑顔で車を走らせて行ってしまった。
私はゆっくりと家に入り…
「ただいま。」
私は一言お母さんにそう言った。
いつものこと。
でも、一人かけている家族は家族とは言えなくなりそうでとても悲しく思う。
すると目の前にお母さんが走ってきた。
「あなたあの人になんか言われたの??!!何であの人の車に乗ってるの???!!!」
お母さんは何故か慌てていた。
何をそんなに慌てているのかわからない。
お母さん??
私は動揺しながら心で尋ねた。
「え、ただ、送ってもらっただけだよ。今日体調を崩したから。心配してくれて。」
私は慌てているお母さんに連れられ一緒になって慌てて説明した。
私は頭が混乱してきた。
何で?
何をそんなに慌ててるの?
焦ってるの?
「それなら…いいわ。」
お母さんはそう私に言い残してリビングの大きな家族四人で囲んでいた机のイスにため息をつきながら腰をかけた。
おかしい。
いつものお母さんじゃない。
まあ、お姉ちゃんがいたときの顔ではないけど。
でも、あそこまで目を見開いて慌てているお母さんは始めてみた。
本当のお母さんはどこにいったのかな?
あのときの笑顔は何処へ行ったのかな。
家族四人で囲んでいたテーブルが妙に悲しそうで。
今にも泣きそうになる。
あのときの家族にもうもどれないの?
お姉ちゃん。
ごめんね。
私の誕生日プレゼントなんて。
買いに行かなきゃ。
こんなことにならなかったのに。
私は自分の部屋に入って大泣きした。
もう、何もいらない。
何でもするから。
だから。
だからお姉ちゃんをかえして!!!!
傷がどんどん深く広がっていく。
傷をえぐる悪魔。
蝕まれていく心。
もう。
あのときの風景は戻ってこない。
みんなの笑顔が家から消えていく。
もう、笑えない。
ああ、世界はなんて残酷なんだろう。
・ ・ ・ ・ ・
翌日…
私は学校の教室に着いた。
今日は少し早起き。
なんだか昨日は眠れなかった。
そのせいもあってか目が赤く腫れている。
こんな顔じゃみんなが心配する。
私はトイレで濡れたハンカチを目に当てた。
私は空気が冷たいのを感じた。
誰もいないって、寂しいな。
冷たい空気。
風が足のふくらはぎをすり抜けていく。
一人ってこんななんだ。
私はそう実感しながら腫れていた目も治まってきたので教室に戻ることにした。
あのときに先生から感じた優しさが今も忘れられない。
体に焼き付いてる感じ。
全部焼きついて取れない。
きっとお姉ちゃんの妹だから余計に優しくしてるのかもしれない。
でも、私はその優しさにどんどん吸い込まれてくような気がする。
笑顔に優しさに微笑みに声に心配に。
すべてが…
私のものになってほしいと願っている。
届かない思い。
こんな思いなんて捨ててしまいたい。
放り投げてしまいたい。
苦しいよ。
私は締め付けられる胸をおさえた。
ガラッ
私は教室の古い引き戸を開けた。
その目の前に映ったのは。
「嵯巳儀…先生。」
私はそのときに見てしまった。
驚いた。
何故先生が?と思った。
もう、何もかもが溺れていく。
嵯巳儀先生の頬を無数の雫が伝っているところ。
私は泣いている嵯巳儀先生を走って抱きしめた。
私はいつの間にか泣いていた。
先生がこんなにも傷ついてることに気づいてあげられなかった。
ごめんね。
先生。
一刻も早く嵯巳儀先生を抱きしめてあげたかった。
どんな思いを抱えてるのかは私にはわかってあげられないかもしれないけど。
どんな思いも私が受け止めてあげたいよ。
先生。
私、やっぱりあなたが好き。
「江水?何でお前…」
私は嵯巳儀先生の言葉をさえぎって言った。
早く言いたかった。
でも本当は言いたくなかった。
お姉ちゃんを裏切ってしまう。
この言葉を。
「私、先生のことが好きです。」
私は嵯巳儀先生を抱きしめながら言った。
先生の背中。
すごくあたたかい。
私は抱きしめる力を強めた。
バッ
いきなり私の腕を先生が掴んだ。
「わかってるのか?俺は教師だぞ?これはれっきとした犯罪になりかねる。それでも、俺を思い続けるのか?」
先生は泣きながら言った。
きっとお姉ちゃんのこともそうしてきたのかもしれない。
自分にはふさわしくないって思ったのかもしれない。
でも。
でもね、先生。
人を好きになるってこういうことを言うんだ。
「それでもいい。先生が好き。ごめんね。これじゃあ、お姉ちゃんのことを裏切ることになっちゃう。でもね、やっぱり先生のことが好きなんだ。諦められないんだ。」
私は先生のことを抱きしめ、耳元で囁いた。
ごめんね。
でも、好きだよ。
お姉ちゃん。
ごめんね。
裏切るようなことして。
私がいなければすべてこんなことにはならなかったかもしれないのに。
お姉ちゃんが死ぬことも先生がお姉ちゃんを諦めることを。
私はすべて裏切ったことになる。
でも、この人を愛してしまった。
きっとこの人じゃないとだめなんだ。
私が思う人は優しくて笑顔がすごく綺麗で人の前では決して泣かない人。
でも、泣いてる理由はお姉ちゃんが関係してることだと思う。
先生はきっとまだお姉ちゃんが忘れられない。
でも、私は先生を好きになった。
すべてを敵にしてしまった。
ごめんね。
「もう逃がさないからな。」
先生はそう言って私に先生の唇を重ねた。
先生の涙が私の頬に一粒落ちた。
きっと先生も大きな傷を心に秘めてる。
誰にも見せないように。
我慢してきたんだなって。
この涙でわかる。
先生の傷も私が全部受け止められたらいいのに。
私はそう思いながら目をつぶった。
何回も唇に降ってくる口づけにただただ、応えるだけだった。
先生?
今、目をつぶってるけど。
目の奥には誰を映してる?
・ ・ ・ ・ ・
私は学校で勉強なんてする気になれない。
いつも家でもやってるから。
嫌いだけど。
お母さんにこれ以上迷惑をかけたくないから。
心配させたくないから。
せめてちゃんとした会社に入ってお母さんに喜んでもらいたい。
また、あのときみたいに満面の笑みで笑ってほしい。
そう思ってるから。
私は今朝のことがあってもただ毎日窓を見てボーっとしてるだけだった。
きっと内心は気にしてる。
すごいソワソワしてる。
でも、こんな姿を見せたら怪しく思われちゃうから。
外に出さない。
私はみんなを裏切った。
すべてを敵にした。
みんなはきっとまだ気づいてない。
私が犯した罪を。
ごめんね。
私はただそれだけしか言えない。
「大丈夫?顔色悪いけど。」
いきなり誰かの声がした。
私はそのほうに顔を向けた。
目の前には茶髪でワックスをつかって髪を立たせていて、黒いピアスをしている男子が立っていた。
目つきがちょっとだけ悪くて。
目の奥に何かを持っているような瞳。
この人は何を考えてるんだろう。
「大丈夫よ。気にしないで。」
私はそう無愛想に言ってまた窓の外を眺めた。
こんなのにかまったら何かに巻きこまれそう。
「ひどーい。冷たーい。俺、坂月 礼。よろしく。」
その男子は私にいきなり自己紹介してきた。
いきなり何こいつ。
犬?
私は目を細めた。
「何か妙にムカつくんだけどその顔。ところで本当に大丈夫?めっちゃ顔色悪いぞ?」
その坂月とかいう男子は私に尋ねてきた。
私のこと気遣ってくれてるんだ。
ふーん。
まあまあ、いい奴じゃん。
「大丈夫。心配してくれてありがとう。」
私は微笑みながら言った。
あまり笑いたくなかったけど。
少しこの人は他の誰よりも怖い目だったような気がした。
少し、怖い。
そう思った。
・ ・ ・ ・ ・
このときに気づいてなかった。
この人に逢っていなかったら。
この人が私に声をかけなければ。
後悔という言葉が涙に変わることは無かったんだ。
・ ・ ・ ・ ・
次に続く…




