第百七十一話 袋のネズミ
習字道具の片付けは辛いの一言。
墨で汚れたバケツを水で洗うのだが、今は一月。季節は冬。
水道から出る水は氷水かってくらいに冷たい。
「つめてぇ」
手を真っ赤にしながらバケツを洗い終えてから筆を洗っていく。
全てを洗い終えて習字セットを文芸部に返した。
あとは海原を迎えに行くだけ。
「あっ。すいませ......なんだ、付属先輩か」
「可愛げのない後輩」
廊下の曲がり角で少しぶつかったのは可愛げのない後輩。
前が見えないくらいの段ボールを抱えて歩いていたところをぶつかってしまった。
「なにこの段ボール」
「オープンスクールの資料とかその他諸々って聞きました」
「なんでお前が?」
「日直で日誌届けたらついでに押し付けられました」
不満そうに唇を尖らせる可愛げのない後輩。
「どこまで運ぶんだ?」
「三階の空き教室です」
てことは漫画研究部の近くか。
「よし、道案内してやる。ついてこい」
「は? 大きな荷物を持った可愛い可愛い後輩が困ってるんですよ? え? 手伝わないんですか?」
なにを言っているのかこの後輩は。
「手伝ってって言われてないし。余計なお世話かと」
純粋な善意が他の人からすれば悪意に感じたりもする。
頼まれたならやる。頼まれてないなら相手を選んでやるべし。
そして可愛げのない後輩は選ばれなかった側の人間だ。
「そういう所ですよ? モテないの」
「別に彼女いれば十分だし」
「ああ、あの子と付き合うことにしたんだ。じゃあ、プレゼント」
「いらない」
そういいつつ可愛げのない後輩から段ボールを一つ貰ってしまった。
超返したい。
押し問答も面倒なんで三階の空き教室まで持っていくことにした。
幸い、重さもない。
「付属先輩はこの時間までなにしてたんですか?」
「生徒会選挙の準備」
「へー意外」
「どうせキャラじゃないとか言うんだろ」
「はい」
悪びれる様子もなく可愛げのない後輩は言った。
「いやまあでも、女の圧にビビらないっていう点で言えば向いてるんじゃないですか?」
「女の圧にビビらない? 俺はビビりまくりだが?」
「なにそのカッコ悪いカミングアウト」
だって俺の周りの女性は圧が強いんだもん。
あれにビビるなとか無茶ぶりが過ぎる。
「そうだ。この半年ちょい高校で過ごしてて不便に思ったことはないか? 出来れば公共なことで」
「生活指導がウザイ」
「公共なことって言ってんだろうが」
「女子共通ですよ。トイレで溜まると来るし、ナチュラルメイクくらい直させろって」
トイレに溜まるのって学年関係ないんすね。
でもそれは安全面とか、イジメ対策としてバッチリの行動。よって生徒会長といえど止めることはできない。
「もっとこう、男も女も関係あることはないか?」
「ならひざ掛けとか、夏なら清涼タオルとか? そういうのの持ち込みを可能にしてほしい」
「無理なのか?」
「この前、寒くてひざ掛け持ってたら没収された。結局返してもらったけど」
「没収された理由は?」
「不必要な物だって。暖房もあるし教室にいれば温かいって」
なるほど。教師の意見だ。
確かに教室にはエアコンがあって極度に熱かったり寒かったりすれば使えて、一定の温度に保てる。
だがそれは教室での話。
移動教室で移動をすれば寒い。俺はあんまり強く感じたことはないが体調が不安定な時期のある女子にはそう感じるのだろう。
「そうか。なら俺が生徒会長になったら持ち込みを許可してもらおう」
「ついでに生活指導の先生にも」
「それは言わない」
段ボールを空き教室に運ぶのと引き換えに俺は一つの武器を仕入れることに成功。
三階の空き教室まで段ボールを届けて部屋に置くと扉の方からガチャリと鍵が閉まる音がした。
「なんで鍵閉めんの?」
「そういう指示なので。ああ、大声は出さないでくださいね? ま、付属先輩ならその理由もお分かりかと思いますが」
加虐的な笑みを浮かべて可愛げのない後輩は教室奥、机達が詰まれた場所に声をかけた。
「連れて来ましたよ。金谷先輩」
「ありがとうございます。案外簡単に釣れましたね」
出てきたのは俺が倒すべきラスボス。
金谷美里だった。