第百五十話 一旦清楚になろ。
次に目を覚ましたのは昼過ぎ。
夜寝たのが深夜四時くらいだから当然と言えば当然か。
辺りを見渡して昨日あった出来事が現実だと実感すると同時に羞恥心が湧き上がってきた。
正気じゃなかったとは言え勢いであそこまで言ったんだ。
「ああぁ......マジかぁ」
横を見れば海原が可愛らしい寝顔で熟睡中。
頬にでもキスしたい衝動をグッと堪えて頭を撫でてベッドから出ようとした。
服の裾をガッチリ掴むのは小さく細い手。
「なんでキスしてくれないんですか」
「起きてたのか」
不満そうな声と共に海原の赤い目が見えた。
「おはようのチューは鉄則じゃないですか!」
「初めて聞いた」
「なら覚えましょう。さぁ!」
「さてはまだ抜けきってないな?」
まだ頭がボーっとするんだ。勘弁してくれ。
「それよりデート。するんじゃなかったのか?」
俺がわざと強調して言えば海原は寝っ転がった状態から飛び上がった。
「そうです! 着替えるのでそこで待っててください」
「うん......じゃねぇ! 俺は出てるから!」
ダメだ浮かれてるというかまだふわふわしてやがる。
海原がパジャマのボタンを外すところを眺めてしまった。
「決着はついたのか」
「うえあ!」
海原の部屋を出るとリビングから顔を出した海原ママに声をかけられた。
まさかいるとは思わなくて変な声が出てしまった。
「え、ええ。まあ。おかげさまで」
「それは良かった。海老名をよろしく頼む」
俺は初めて海原ママが笑ったところを見たかもしれない。
笑顔満開とはまではいかないが、頼れる笑顔って感じ。
「ただし不貞を働いた時には沈め。海でもコンクリートでも構わない」
その頼れる笑顔でこんな事言われると背筋の鳥肌が総立ち。
安心してほしい。
海原海老名と同格の攻撃力の持ち主なんてそうそういない。
いるとすれば......あいつだけだ。
海原が着替えて出てくると俺達はそのまま町へと繰り出した。
昼過ぎといっても外は寒くベッドから出たばかりの俺達には寒すぎる。
「それで先輩? どこに行きますか? ホテル? それともホテル?」
「一旦清楚になろ。なんか西急ハンズみたいなデカい場所はあるか?」
まさか簡単に許しがもらえてここまでとんとん拍子に行くとは思ってなかったからこの地域周辺を調べられてない。
「一か所でってのは難しいですけど、お店が集まってる場所はありますよ」
「ならそこに行こう」
「え、でもホテルは反対方向ですよ?」
「いいから行くぞ」
ポケットに手を突っ込みながら俺は歩き始めた。
「そんな怒らないでくださいよー。クリスマスジョークですよ」
「外が寒いんだからこれ以上冷やすな」
俺と海原は横に並んで歩いた。
「しっかし、歩道も車道も広いな」
「わたしのマンションからは一回も車と会うこともなく駅前まで行けますから!」
「俺のところもそうならないかな」
学校出てすぐは遊歩道だが途中から車道を走らなきゃいけない。
自転車なんだからそれが普通だし海原の地元と比べたら車の通りも少ない。
けど後ろにヒラヒラのスカートを乗っけた状態で車道をあまり走りたくないのも本心。
「二十年後にはそうなってそうですね」
「その頃には自転車には乗らないだろうな」
「免許取るんですか?」
「ああ、ないと不便だからな」
うちの民宿をやっていけるのも父さんが車を頻繁に出しているから。
だいたい挨拶に行ったり好意にしている人の手伝いだったり理由は様々。
その見返りとして繋がりが出来るわけだ。
「じゃあ一緒に取りましょうよ!」
「やだ」
海原の提案に俺は即答した。
「なんでですか!」
「海原が先に取れて俺が落ちたらすげぇへこむから」
多分一週間は再起不能になる。
俺自身、器用だとは思わないから何度か落ちると思う。
「それなら情けない旦那様のためにわたしが車を運転します」
本当にその光景がなくはないから嫌なんだ。
「いいじゃないですか。支え合いですよ。支え合い」
「動くことを封じられたら俺になにが出来るんだ」
フットワークは軽い方ではないが、それでもなにか技術が必要なことよりは比較的出来るというぐらい。
料理は海原の方が上だし愛想は海原の方が多分上。家事はお互いに同じくらい。
総じて俺の能力値が低い。
「ま、分担の話はこれから追々考えていきましょう?」
「それもそうか」
海原と話しながら歩くこと十分。
レンガで舗装された道の先には見上げるほどのビル群が姿を現した。
これ全てが量販店とか広すぎだろ。それが徒歩十分圏内に駅と併設されてるとか便利すぎる。
テレビで利便性だけ紹介されるも近所にはないから行けなかった店、西急ハンズには入っていない店、果てには中庭公園の看板まで見れる。
なんだここ。テーマパークかなにかか。
「あ、海老名じゃん!」
俺が都会の素晴らしさに関心していると背後から元気な声が聞こえた。