第百四十四話 命令です!
たこ焼きパーティーが終わり、少し休んだ後。
時刻は夜の二十二時。
会長はあゆが限界だったから先に帰って、伊吹先輩はコミケの準備のため帰宅。
「海老名。出るぞ」
「......はーい」
海原ママの言葉に海原が不満そうに答えた。
「いってらっしゃい」
母さんはいつも通りに言った。
「さよなら」ではなく「いってらっしゃい」。
毎回泊まりに来る人でも、初めて来た人でも母さんは必ず「いってらっしゃい」と言う。
「いってらっしゃい」
俺は初めて出ていく人に対して言ったかもしれない。
今まで「はよ出てけ」っていうスタンスだったし。
「はい。冬休みが終わったら帰ってきますから! 待っててくださいね!」
そう言って、海原は実家に帰省した。
外に出て見送った後、家に戻ると暖房がきいた部屋で人がとけていた。
「あったかいなぁ」
「鈴音さんも自分の自宅に帰ったらどうですか」
「いやーそれじゃあ龍輝くんが寂しいかなーと思っていてあげてるんだよ」
「ありがた迷惑という言葉がこれほど当てはまることそうそうない」
「でも海原さんがいなくなって少しは寂しいでしょう?」
「ま、テレビ見てる時とか寒いなーくらいは思いますけど」
今まで俺がテレビ見てると大抵俺の懐に座ってたし、風呂に入れば毎回髪を乾かしていた。
それが普通になっていた。
「ま、去年と同じになっただけで特別なことなんてなにもないですよ」
もしかしたら俺が海原になにも言っていなかったら今年もこんな静かだったわけだし。
海原海老名という一人の女子高生がいないだけでこの家はこんなに静かなんだと思い知らされる。
今日一日バカ騒ぎをしたせいか、部屋に戻って俺は睡魔に襲われた。
明日は冬休みでクリスマス。特にすることもない。
そんなことを思いながら俺の意識は落ちていった。
次に起きたのは、スマホが着信を告げていたから。
時刻は夜の一時。ド深夜である。
「はい......」
『寝ていたか』
声を聞いて寝起きだった俺の頭は一気に覚醒した。
電話越しでも伝わる威圧。機嫌が窺えない平坦な美声。
海原ママがド深夜に電話をかけてきたのだ。
「いえ、まあ、寝てましたけど」
『海老名が世話になった』
「え?」
『三学期からは海老名は実家から通う』
寝ぼけ半分で聞き返したつもりが唐突に告げられた宣告。
それはあまりに急であまりに冷たかった。
『用件はそれだけだ。夜分遅くにすまなかった』
一方的に突きつけられた言葉を理解する間もなく俺は声を出していた。
「ま、待ってください! 海原を実家から? 毎日四時間以上かけて学校に通う負担を娘に強いるっていうんですか!?」
『そうだ。それが一番安全だと思ったからだ』
「いや、でも! ほかになにか方法が!」
『実家から通う以外の海老名の安全が保証される道があるか?』
取りつく島もないとはこのことをいうのだろう。
実家から通うことより安全な道なんてない。
だがそれは四時間電車に揺られ、授業をしてまた四時間電車に揺られて帰る労力を加味しなかった場合の話。
「なにが......不満だったんですか。うちは宿屋です。失敗を見て見ぬふりは出来ません。出来れば答えてください」
『宿屋及び、君に対する不満はない。ただ海老名はアルビノ。本人が対策をしているといってもやはり心配なのだ。登校に関しても、私は年明けからリモートにしてもらうことにした。送り迎えをすればいい』
ダメだ。勝ち目がない。
相手は保護者で権力上でも向こうが上、言ってることも海原の安全を考えてのこと、ひっくり返す隙間すらない。
ド正論がここまで痛いとは思わなかった。
「そう......ですか。うみはっ......海老名さん。近くにいますか」
『すまないが変わることは出来ない。海老名も疲れている』
「わかりました。楽しい思い出をありがとう。と、伝えてください」
『わかった』
そういって電話は切れた。
ベッドへと落ちたスマホの待ち受けは海原が撮った俺とのツーショットだった。
いつの間に変えてたんだ人の待ち受けを。
激しい虚無感と脱力感が身体全身を襲い、なにかを考えることも出来ないほどに俺は呆けた。
高校生という未成年の自分の無力さを味わった。
今まで数十回と敗北してきたのに今回ばかりは悔しかった。
「こんなことなら、もっと伊吹先輩と言い合いしとくんだった」
一瞬は笑いで歪む頬もすぐに戻ってしまう。
海原といた時にはあんなに戻らなくて苦戦したのに。
「寝よ」
嫌な記憶は寝れば忘れるとなにかで聞いたことがある。
ふて寝をかまそうと毛布を被った瞬間にまたスマホが鳴った。
通知名は『海原海老名』だった。
「海原!」
被った毛布を弾き飛ばして俺は通話ボタンをタップした。
『先輩!先輩!』
「落ち着け。どうした」
嬉しみで緩む頬を引き締め直して俺は聞いた。
『ママがもう先輩の所には行くなって! 三学期からは実家から通えって!』
涙声で聞いた状況は俺と全く同じ。
だからまた実感してしまう。
高校生という未熟な自分の無力さを。
「ごめん海原。俺はなにも出来ない」
『そんなことないです!』
「あるんだ。俺は高校で未成年。弱いんだ」
俺が反撃した時に向こうから飛んでくる正論パンチは容易に想像がつく。
『責任が取れるのか』
この言葉が確実に飛んでくる。
その時には俺はやはりなにも言えない。
守ると豪語しておきながらこのざま。結局俺はなにも出来ないんだ。
ただ海原ママに与えられた猶予を守っていると勘違いしていた大馬鹿野郎。
『どうして......』
「海原?」
『どうしてそんな弱気なんですか! 守ると言ってくれた先輩はどこに行ったんですか! 先輩の悪い癖です。理屈が通らないと急に弱くなる!』
つい最近同じことを言われた。
まだ海原の怒りは止まらない。
『理屈が通らないことが出来ないというなら理屈を通せばいいんです! あの手この手でわたしの誘惑を振り切っておきながら出来ないとは言わせません! 逆の立場ならわたしは迷いなく迎えに行きます! 助け出します! どんな酷い言葉を投げられようと暴力を振るわれようと足掻きます! 絶対です!』
そういうところは本当にカッコイイと思う。
この状況ながらキュンとしてしまった。
「だけど通らない理屈もあるんだよ」
法律とか正論とか、子を守る親とかな。
法律にはまだまだ穴がある。そこを突けば勝てたりする。
だが今回は穴を見つけても一回突けば塞がれてしまう。そして即死級の正論が飛んでくる。
そんな理不尽にどう打ち勝てというんだ。
現役の弁護士ですら難しい。
『ならわたしが通します。そうすれば来てくれますか?』
「通ればな」
そして海原から通された理屈はかなり乱暴で無茶苦茶だった。
『命令です! わたしは先輩の家に泊まりたいです! もう一度! なので迎えに来てください! いいですか! これは命令です! 先輩、あなたに拒否権はありません! いいですか!』
電話口から聞こえる叫び声に俺は少しスマホを離した。
うるさい。今何時だと思ってやがる。
だがそんなド深夜に希望を見出し、ワクワクしてる俺も大概か。
「分かったよ。絶対に迎えにいく」




