第百三十一話 風邪の時に会いたくない人
鈴音さんと話していると家のチャイムが鳴った。
宿泊客である鈴音さんに出てもらうわけにもいかず俺が出た。
そして出たことを後悔した。
「やあ」
「うわ」
思わず素の反応をしてしまうほど意外な人物がいた。
「なんだい? その「嫌な人が来たな」という反応は」
「間違ってないですけど」
俺の家を尋ねたのは伊吹環先輩。
体力が少ない時にこの人の相手はしたくない。
いや、体力が減ってないとしてもこの人と話したくはない。
「本当は会長もくる予定だったんだけどね、あゆちゃんが熱出したみたいで大急ぎで帰っていったよ」
「わざわざ俺の様子を見に来たんですか? 受験生が? わざわざ?」
俺は強調して言った。
「そうとも。受験生が貴重な時間を削ってまでわざわざ来てあげたのだ。ま、それだけじゃないがね」
そういうと伊吹先輩はスケッチブックを取り出した。
「さぁ聞かせたまえ」
「なにを」
「看病されただろう? その内容さ」
「特別なことはされてないですけど。ただお粥作って貰って食べただけですけど」
「うーん。海原くんなら「体温で温めてあげますね♡」的なことはやってのけると思ったんだが。おかしい」
おかしのはあんたの頭だ。
病人に海原がそんなことするわけないだろ。
どんだけ海原のこと暴走者だと思ってんだよ。
「病人ですよ?」
「関係ないさ。彼女がいう愛の前ではね」
確かに、前に欲求不満宣言されたばかりだし我慢の限界となったら病人だとかそういったことは関係ないのかもしれない。
昨日の調子で海原の欲求を解消できるとは俺は到底思えないけどな。
「そもそも。病人の看病なんてどこも同じでしょ。奇をてらうなら聞くより考えた方が早いと思いますよ」
「生々しい実体験からくる表現の破壊力を知らないのかい? 処女のぼくがセックスの快感を知らないように、風邪を引いていないぼくには看病の大変さも風邪の大変さも分からない。そしてそこに生じる、看病する側とされる側の感情も当人しか知りえないのだよ!」
やべ。変なスイッチいれた気がする。
てか表現云々言うが、あんた直感で作品を作る側だろうが。
その直感にその生々しい表現が乗るとは思えないけど。
「本当になにも無かったですって。昨日は一日寝てたんで」
「でも耳触ってたよね?」
「見てたのか」
「うん。風邪を引いて自制心がなくなった龍輝くんが海原さんに襲い掛かったりしてないかなーと期待したけど普通に寝てたよね」
助けて。この人達頭のなかドピンクすぎてついていけない。
「ふむ。耳かぁ。具体的にどういった耳が好きだい? ぼくのはどうだろう」
伊吹先輩は俺の手を取ると自分の耳へと持って行った。
さっきまで外にいたからか冷たい。そして柔らかい。柔らかすぎる。
ふにゃふにゃと抵抗なく曲がるさまはすべすべの布を触っているかのよう。
「柔らかすぎですね」
「そうかい。んじゃあ成人女性の耳はどうだね」
鈴音さんの耳に手を持っていくと部屋の中にいたからか温かい。
そして硬い。
人の耳だからあんまり力は入れられないが少し力を入れた程度では曲がらなかった。
鉄板のような硬さ。
「硬すぎ」
「おっぱいは柔らかいよ?」
鈴音さんのセクハラをガン無視して伊吹先輩に先を促した。
「ぼくのは柔らかすぎで市川くんのは硬すぎ......我儘だな君は」
「いやどうしろと」
どうせ二人ともいいと言えば「節操がない」とか「欲張り」とか言われるに違いない。
「年上女性の耳を触っておいて赤面すらしないとは本当に幼女にしか欲情しないんだね?」
「ちょっと待て。その言い方には語弊があります。男が女なら欲情すると思ったら間違いですよ」
「じゃあ君は海原くんにしか欲情しないんだね? 絶対? どんなにぼくがえっちい下着を来ても? ぼくもそこまで発育がよくない。胸のサイズはちょっとばかり上回るが十分幼児体型と言っていい。どうかな?」
自分のワイシャツを後ろに持っていき胸を強調する伊吹先輩。
確かに大きいか小さいかで言えば小さい。
だが伊吹先輩は決定的なところを勘違いしている。
「別に海原の身体が目当てなわけじゃないですから」
「バレたか」
「バレないと思ったんですか」
「思った」
そういうところだけ正直だな。
前髪の奥に見える緑色の瞳は純粋無垢を貫いている。
伊吹先輩には邪知暴虐が一番似合うと言うのに。
「てか本当になにしに来たんですか。これなら電話でもよかったでしょ」
「夏コミの資料作りさ」
夏コミ。名前だけは聞いた事がある。
大型の同人即売会だっけ。
柳市という場所に大型のイベント会場があるからそこで毎年開催される。
「冬にもありましたよね? そこはいいんですか?」
「今年の冬コミはクリスマスだよ。作品ならもう出来てる」
「朝からとか大変だよねー。毎年改札あたりで猛ダッシュが起きるじゃん?」
「朝から行くのは後輩さ。ぼくは昼頃から。後輩二人分の電車のチケットは取ってある」
酷い部内カーストが見えた。
そして特急電車で行くというガチさ。
そこまで行くと尊敬の域だ。朝一出発とかほんと無理。
「その分利点は用意してある」
「そうじゃなかったらパワハラで捕まりますよ」
高校生がパワハラで訴えられるとか前代未聞すぎる。
「ま、そんなわけでお邪魔したわけさ。君がダメなら海原くんに直接聞くとしよう」
伊吹先輩がそういうとちょうど玄関が開いて海原が帰宅した。
そして真っ直ぐ俺の膝の上へ。
「おちつくぅ~」
「そりゃよかった」
「海原くん。彼はぼくの身体で欲情したよ。女なら誰でもいいみたいだ」
さて。面倒なことになりそうだしそろそろ部屋に戻ろうかな。
伊吹先輩が心底楽しそうでなにより。
風邪が悪化しそうだから逃げたい。




