婚約破棄された令嬢とその愛した人の話
前々作と同じ世界観です。
ここはファランサ王国の宮廷の第一サロン。今日は華やかな夜会が開かれ、貴族や王族が親睦を深め合っているはずなのだが、いやに物々しい空気である。
無理もない、王太子であるダニエル・キュヴィエは婚約者のシャルロット・サランジュ公爵令嬢を放り出して、代わりにアガト・ディディエ伯爵令嬢なる没落貴族の娘の相手をしているのだ。
先の王太子、リシャールが優秀な人物であったことを知る人からは元々ダニエルの人品は疑しいものであったが、事ここに至ってそれは完全に裏付けられたように思われた。
その時である。ダニエルが突如として会場の真ん中でシャルロットに向かって叫びだしたのは。
「シャルロット・サランジュ公爵令嬢。何故私がお前を呼び出したのかわかるか?」
「いえ、皆目見当もつきません」
ダニエルは隣にアガトを置いて、しかしシャルロットには威圧的な態度をとる。その姿にいくら何でもこれはないだろうと貴族達は辟易していたが、次に出てきた彼の口から発せられた言葉は彼らの酔いを醒ますには十分な一言であった。
「お前との婚約を破棄し、代わりにアガト・ディディエ嬢と婚約を結ぶ」
「……そうですか」
しかし、それでもシャルロットの姿は公爵令嬢らしく非常に凛としたものであった。
「ですが、理由をご教授願えませんか?」
「いいだろう」
ダニエルは尊大な様子で頷くと婚約破棄の理由を述べ始める。
「お前はアガトやその他令嬢たちを様々な方法を使って苛め抜いたと聞く。違いないか、アガト」
「……はい。相違ありません」
アガトは潤んだ目でダニエルを見つめる。
「では、アガト。彼女からされたことを言ってくれ」
「はい。まず、シャルロット様からはテスト前にノートを隠されたりしました」
シャルロットは否定も肯定もせず黙って聞いているだけである。多くの貴族はそれがあまりにも稚拙な言いがかりである故、呆れて物も言えないのだろうと思った。
「と、取り巻きの方を使って階段から突き落とされたり」
「それから?」
言葉に詰まるアガトをシャルロットはそれでも、優しく次のセリフを言えるように誘導する。
「シャ、シャルロット様は、私の家、家族の秘密まで根掘り葉掘り聞いてきて……」
「アガト、もうよい。お前はよく頑張った」
「ええ、ここからは殿下と私の会話ですから」
とうとう涙をこらえ切れなくなったアガトをダニエルは後ろへ下がらせる。正直、周囲からすれば茶番でしかないのだが、このシーンだけとってみると本当に様になっているのが面倒だ。
「……さて。シャルロット。アガトの言ったことを全て認めるか?」
「ええ、もちろん。全て、私がやるように指示したことですもの。それよりも、これは国王陛下の承認は得ているのですね?」
「当然だ」
「それなら良かった」
その言葉に会場がどよめく。完璧な令嬢として知られたシャルロットがそんなことをすると思えないのもさることながら、まさか国王がこんなことを許すとは思えなかったからだ。
その動揺をよそに、ダニエルは縋るようにしてシャルロットに言葉をかける。
「……最後の確認だ。さっき吐いた言葉に嘘偽りはないな?」
「当然ですわ。僅かに残った私の矜持にかけて誓います」
「……決して悪いようにはしないと、こちらも誓おう」
「お心遣い、感謝いたします」
ダニエルはどこか悔しそうに俯いた後、護衛達に彼女を外へ連れて行くように指示する。
「お待ちください!」
突如として開け放たれる扉。そこに在ったのは、この国随一の権力者の宰相にして、シャルロットの父――そして、ダニエルの叔父でもある――サランジュ公爵の姿だった。
「我が娘がそのようなことをするはずはありません。どうか、婚約破棄は御考え直しください」
サランジュ公爵は高位貴族のプライドをかなぐり捨てて、ダニエルに跪く。そこには王国宰相ではなく、ただ一人の娘を想う父親の姿があった。
ように見えた。
「お父様、どうかそのような心にもない芝居はおやめくださいませ」
シャルロットから出てきたのは余りにも冷たい言葉であった。
「お、おお。シャルロットよ。何故、そのようなことを言うのだ? まさか、王太子の圧力に負けてそんなことを言っているのか? なら、安心しなさい。ここでは私が何をしても守ってやろう」
「悪いが、ここではお前でなく私が一番の権力者だ」
大勢の足音と金属をこすり合わせる音が会場の後ろ側から近づいてくる。そこには、近衛兵団の姿があった。彼らは多くの貴族、それから当然サランジュ公爵も捕縛する。
当然、これは明らかに常軌を逸した行動である。
「どういうことですか、ダニエル王太子。ただではすみませんよ!」
「ただでは済まないのはお前の方だ!」
サランジュ公爵の必死の請願にもダニエルは雷鳴の様な声で返す。
「さて、ここからが本番だが……。シャルロット、最後の力添えを願えないだろうか?」
「無論ですわ」
ダニエルとシャルロットはアガトを庇うようにして捕縛されたサランジュ公爵の前へと立つ。
「まず、この男が私の叔父、即ち外戚であることはここにいる貴族諸兄ならご存じであるかと思う」
というよりも、ここ三代ほど王家の妃はサランジュ公爵家か、その一族から出されている。そうしたこともあって公爵家は強い権力を持っているのだが、それは今や他の貴族や王家へも自由に干渉を行い得るほどのものになっていた。
「まず、十年前のベージル・ディディエ伯爵、つまりアガトの父の処刑について覚えているものはいるだろうか?」
恐らく、覚えていない人間はいないだろう。当時外務大臣であったディディエ伯爵が敵国イルキンティラと内通していたというのだ。
そして、その際彼の弾劾の先頭に立っていたのが――
「サランジュ公爵だ。この功績を認められて、彼は宰相位に昇ったとされるが事実は違う。そうだな、アガト?」
ダニエルは震えるアガトに確認を取る。彼女は、おびえた様子であったが頷きディディエ伯爵に相対する。
「は、はい。そんな事実は真っ赤な嘘ということは母から教わっていました。第一、父はかなりの対イルキンティラ強硬派だったということは確かな記憶として残っています。――実際は公爵の手の者によって暗殺されたのだと母は常々言っていました」
「まさかまさか……。つまり、殿下は私が伯爵を嵌めたというのですか? しかもそれを裏付ける証拠が小娘の証言一つだけとは。いやはや、いくらなんでも流石にお粗末が過ぎるというものですぞ」
確かにそうなのだ。状況的には不自然とはいえ、だがアガトの言葉を信じる人間と公爵の言葉を信じる人、どちらが多いかと言えば無論後者だろう。
だが、それをダニエルは鼻で笑う。
「まあ、その辺りの詳しい証拠は三部会司法委員会で聞くが……。お前にはもう一つ大きな罪の嫌疑がかかっている」
「はあ。一つお聞きしましょうか」
公爵は余裕な態度を崩さない。だが、次に発せられた言葉にその顔が凍り付く。
「三年前の我が兄リシャールは当時彼の婚約者だったシャルロットと外遊中に盗賊に襲われて殺された、ということになっている」
無論王族の護衛がついていては起こりえないはずの失態、しかも犯人は全く見当がつかず、足取りを掴むことすらできなかった。これによって王家の評判は地に落ちたのだが、それを何とか立て直したのがサランジュ公爵だったということになっている。
「だが、おかしいと思わないだろうか。シャルロット一人が生き残り、そしてそもそもなぜそんな事件が起きたのかと」
実際、それは当時の人々が疑問に思ったことではあった。だが、それも時間が経つにつれ風化していったのである。
その答えが、三年越しにいま紐解かれる。
「答えは簡単です。身内に下手人がいたからです」
シャルロットの言葉にまさか、と息を呑む音が聞こえてくるようだ。
「その黒幕の名前を言ってくれるか?」
「はい。その人間は――我が父、サランジュ公爵です」
会場は波を打ったように静まり返る。だが、シャルロットは静かに言葉を続ける。
「彼は私にとても良くしてくれました。けれども、我が実家の専横については常々文句を言っていたのです」
それは有名な話だった。事実、いつかはサランジュ公爵の封土を減じると息巻いているのを見た人間も多くいたのだ。
「それが父には邪魔だったのでしょう……。我が婚約者リシャールは公爵家の手の者によって殺され――そしてダニエル殿下と婚約を結ぶことになりました」
仮にそれが真実であれば、一臣下に過ぎないサランジュ公爵が国王の改廃を実質的に行ったということになる。
「先ほどとは違い、身内からの証言だ。何か申し開きはあるか?」
公爵は顔を赤くして、護衛の制止も聞かずにシャルロットに掴みかかる。
「何故。何故だ。私はお前に良くしてやった。全てをやった。香水も、花も、そして王妃の地位も――。何故だ」
「お父様は確かに私にくれないものは有りませんでした。――ただ一つを除いて」
シャルロットは悲しそうに首を振る。
「私は。私は、リシャール様と一緒にいられればそんなものは無くてもよかったのです」
「そんなもの、だと」
「あの方といるだけで私の心は満たされていました。――それを、邪魔だからという理由だけで殺したのはお父様なのです」
その言葉を聞いて、サランジュ公爵は肩を落とす。
「……私は政治もわからず、父としても娘を理解できなかった、か」
「……」
「連れていけ」
その言葉に兵士たちは何も言わずに黙って、サランジュ公爵を始めとする彼に連なる貴族たちを連れていき、事態に慌てたその家臣たちが次に自身の領土や宮廷への報告へと出ていく。
結局、会場の中には五分の一程度の人数しか残らなかった。残っている人間も多くは王族に連なる人物だ。今回捕まった貴族の多くは取り潰しとなり、その領土は王族の直轄地となるであろう。
その財を以てすれば、王国が今抱えている問題の殆どは解決できるだろう。
だから、残る問題は、シャルロットの婚約についてだけだ。
「シャルロット。改めて、貴女の今後について話し合いたい」
「承知しました。アガト様もどうぞついてきてください」
そういうと、ダニエルとアガト、そしてシャルロットの三人は閑散とした会場を退出した。
彼らは人のいない王宮のある別の部屋で向かい合っていた。
「シャルロット。サランジュ公爵を排除するため必要だったとはいえ君にこのような役回りをさせてしまって、申し訳ない」
「ごめんなさい」
ダニエルとアガトは揃って頭を下げる。
「お二人とも、頭を上げてください。もとより、これを望んだのは私なのですから」
シャルロットはしかし、静かに笑う。それが、かつてのリシャールといた頃のダニエルにとってはこの上なく辛いものであった。
「……さて、君のこの後の処遇に関してなのだが。さっき言った通りだ。悪いようにはしない。出来る範囲で何でも言ってほしい」
ダニエルはそれこそ、何でも与える気でいた。きっと、それはアガトも同じだろう。アガトに至ってはさっき手に入れたはずの王太子妃の座を譲ることすら覚悟していた。
だが、シャルロットの口から出た言葉は二人の予想を大きく裏切るものであった。
「でしたら、私を修道院送りにしてください」
「なっ」
シャルロットは驚きで完全に固まってしまった二人を無視して話を続ける。
「私は確かにあの場で殿下から言われたことをアガト様に行ってきました。でしたら、その罰を受けるべきでしょう」
「でっ、ですが。それはサランジュ公爵を欺くために必要な行動であって、私自身それを知ってます。だから、そこまでお気に病むことは」
「どんなに取り繕おうと罪は罪であり、貴女に私が害をなしたのは事実です。ならば、相応の罰が必要でしょう」
シャルロットは強い言葉で話す。
「それに、家の無くなった私にどこか行き場があるというのでしょう」
「……貴方が望めばもう一度王太子妃にすることも出来る」
「殿下は私に人の愛する男を寝取った女として振舞えというのですか」
実のところ、アガトもダニエルもシャルロットには感謝してもしたり無かった。そして、ダニエルは優しい兄嫁として、アガトは賢く勇敢な同級生としてシャルロットを慕っていたのだ。だからこそ、彼女には幸せになってほしかった。
けれども、それをシャルロットは否定する。
「私の幸せは最早今生にはありません。ただ、リシャール様。あの方が私の幸福だったのです。だから、今はあの方の菩提を静かに弔いたいのです」
「……」
ダニエルはアガトも何も言わないのを確認してシャルロットは部屋を退出しようとするが。
「そうでした、すっかり忘れていましたが……。婚約おめでとうございます、ダニエル殿下、そしてアガト様。どうか、いつまでもお幸せに」
その後、ダニエルの予想通りサランジュ公爵を始めとする貴族の多くが取り潰され、王権は飛躍的に強化された。そして、彼は王位に就くと強力なリーダーシップを発揮してファランサを大陸一の強国へと押し上げていく。
一方で、シャルロットの評判は芳しくなかった。事情を知らない人間から見ればアガトを虐めた人間であるし、そもそも黒幕として大規模な政変を引き起こし、そして唯一生き残った裏切り者として見ることも出来る。そのため、現在に至るまで彼女は毒婦と見る向きが強い。
――だが、王になったダニエルと被害者であるアガトが度々シャルロットのいる修道院を訪れていたのはあまり知られていない事実である。
前三作と違ってある史実の事件をそのまま落とし込んでみたのですが、色々粗があるように感じられます。
何卒意見を頂けるとありがたく存じます。