第七話
カヤデに手を引かれ、乗った牛車に揺られる事約10分。ガタンと大きな衝撃がしたので、そっと籠の小窓から外の様子を伺うと、そこは丁度どこかの大きな赤い門を潜り抜けたときだった。
「ここが、天帝の住まう天之宮だ」
「随分大きいね」
「この場所は、この世の中でもっとも安全であり、危険な場所だ。注意しろ」
その言葉の中に、カヤデが私に伝えたかった事、全てが含まれているように感じた。今更ながら、手のひらに汗がにじんでくる。
恐れ多くも天帝をだまし、男の身で皇子の、次期天帝のもとへ嫁がなければならないことが、いかに危険なことなのか再確認させられた。
だが一度結婚して、一夜を過ごせば私が男であるということを隠し通すことはまず不可能だ。それを承知で、九重の家は私を女と偽ってここに遣したのだろうか。
天界を偽り、男を嫁に寄越した九重家に天界は繁栄をもたらしてくれるほど優しい場所なのだろうか。
程なくして、牛車が止まると私はそのままカヤデに手をとられ、天之宮へ足を下ろした。磨き上げられた板張りの床は、一足進める毎にぎっ、ぎっと、音を立てた。
ある部屋の前まで来ると、カヤデは足を止めた。
「私が付いていてやれるのはここまでだ。この先はいち殿一人で行く事になる」
からり、と引き戸を開けて指された先には薄明かりしか灯っておらず、足元もよくは見えなかった。天上はとても高かったが、横幅は人一人がようやく通れるほどのスペースしか確保されていなかった。もちろん人の気配はない。薄気味悪い場所だと、私は感じた。
ここから先は、一人・・。不安や、緊張がないといえば嘘になる。だが今更引き返すこともかなわない事は分かっていた。
「行ってくる」
カヤデから手を離し、私はひとりその奥へと向った。そんな私の後姿を、カヤデは心配そうにいつまでも見送っていてくれた。
着慣れない女物の着物を身にまとい、私は恐る恐る奥へ奥へと進んだ。
ふと、今までの自分の生活の事が頭をよぎる。何もせず、ただ閉鎖された部屋の中で過ごしていた日々。ようやくあの部屋から開放されたかと思うと今度は女にさせられた。まったく、我ながら散々な人生だと思う。けれどたとえ男と知れて、殺されたとしても最期の瞬間まで誇り高くいよう。それが私に唯一残された、何者にも左右される事の無い私の、私としてのプライドだ。
やがて、大広間に出た。広間の奥の、少し高くなっている場所に御簾が下ろされていた。蝋燭に照らし出された影が、そこに人がいる事を示している。
私は意をけっしてその前へと進んだ。
「そこにお座りください」
まさに御簾の奥の人物に声を掛けようとしたその瞬間だった。柱の後ろから長身の男性が姿を現した。薄暗くて顔はよく見えない。
言われるままにその場に座ると、私はぎゅっと拳をにぎり、その御簾に映る影を見つめた。
「いち姫さま、ですね?」
また先ほどと同じ声がした。どうやら天帝とは直接話す事はできないらしい。
「はい」
緊張で声が震えたが、少しでも女性らしい声に聞こえるようにと心がけた。
影が、すっと右を差した。その様子を見ていた先ほどの声の主は黙って頷くと私に向って頭を下げた。
「おめでとうございます。いち姫さまはサクの宮様の元へ嫁がれることになりました」
私はほぅと、胸をなでおろした。天を治めるという、絶対の権力を持った天帝のお膝元に性別を偽り、ましてや今こうして対峙しているのだ。いくら外見を着飾ったとはいえ、全てを見透かされていそうで正直恐ろしかった。
私は黙って天帝に向って頭を下げた。その時どこからか一陣の風が吹き、唯一の光源であったろうそくの火を消した。広間の中は一瞬にして暗闇に落ちたが、間もなく一気に明るくなった。
そのまぶしさに、目を細めている間に、目前の御簾が巻き上げられていた。その奥に天帝らしき姿は見えない。
「以上で御選定乃儀は終了いたしました」
「は・・・はい」
あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまう。
妙に静まり返ったこの場所が恐ろしく感じられる。
もう終わったのなら戻っても構わないのだろう。きっとカヤデは入り口で私のことを待っていてくれるだろう。早く顔を見せて儀式が無事終わったことを伝えたかった。
帰ろうと、立ち上がろうとしたがその優美な着物が思いのほか足に絡みつき上手くいかない。
「お疲れ様でした。いち姫様」
慣れない衣装に手間取っていた私に手を差し出し、立たせてくれたのは先の声の人だった。
間近にきてようやくその表情が見て取れた。なるほど、その低く艶のある声にふさわしく、穏やかそうな表情を浮かべたなかなかの美丈夫だ。
「ありがとうございます」
「私は、イマチと申します。天帝陛下の甥にあたります。亡くなった父の代わりに天帝陛下の後見を勤めております。どうぞお見知りおきを」
「は、はい。よろしくお願いいたします。イマチさん」
「わたくしのことはどうぞ、“イマチ”と呼び捨てになさってください」
男の私でも思わず見惚れてしまう優雅さだ。これが世に言う貴公子、というのだろう。
「は、はい」
幼い頃からずっとあの部屋にいたせいで、私はあまり人に慣れてはいない。ましてや、今さっき会ったばかりの人に、エスコートをするためとはいえ、腕をとられては声も裏返ってしまう。
「帰りましょう。お送りします」
「はい。ありがとうございます」