第三十七話
「では、あなたが今望むのは何ですか?」
「あなたが追いやったカヤデや、アマツの宮をこの世界に戻して欲しい」
「―そうですね。本来ならば、私が継いではならないこの役目もお返しすることにしましょう。あなたがどうやっても手に入らないのならば、東宮の地位も、約束された未来も必要ない。無理やりに奪ってみても、むなしいだけだと、あの結婚の夜気がつきました」
「イマチ・・・」
胸が痛む。だが、ここで情けを出してはいけない。イマチは、憎い相手だったはずだ。けれど、涙が出るのは何故だろう。
静観していたタケハの宮が口を開いた。
「この騒ぎが収まったら、改めて話を聞こう。それまではこちらの監視下におかせていただく」
監視下におく、といってもこの場所には私たち3人しかいない。イマチ私たちを振り切って逃げようとすればそれも不可能ではない。
宮はどうなさるおつもりなのか。
宮を横目で窺ったその瞬間、私は信じられないものを見た。
「何をなさいます!」
直ぐに手を伸ばしたが間に合わなかった。宮様は懐から出したナイフの切っ先で自らの喉を引き裂いたのだ。
「宮!」
その場に倒れた宮を抱き起こしたとき、私はその体に違和感を覚えた。傷口からは一滴の血も流れておらず、紙のように軽かった。
「なるほど、宮様は衛士の方でしたか」
「え・・・じ?」
「中界に住まう役人の役職ですよ。天之宮や下界の治安を維持する・・・」
「タケハの宮が?」
「全く想定外でしたね。あの奔放さは任務をごまかす為のものでしたか」
イマチはふふ・・・と笑いその場に座った。母の頬を撫でながら私を見上げる。
「姫、今度お会いするときは、どうか私のために誰よりも美しく装ってください。私はその御髪に一番映える簪を贈りましょう」
思わずあとずさってしまった。イマチはふと優しい笑顔を浮かべると目を閉じた。そして母に被さるようにして倒れこんでしまった。
「い・・まち?」
「イマチは私が拘束した」
だが、すぐに体を起こし私を見た。だが、その声はイマチのものではなかった。
「え・・・」
「私だ。タケハだ」
「ど、どうして?」
腕の中にあるタケハの宮様の体はその瞬間ふわりと風に掻き消えた。
信じられない思いでイマチを見る。
「私は中界にある閻王庁の役人。閻王庁は、主に天下界に住まう全ての人の生前の罪業を裁く権限を持ち、天帝すら口出すことを許されない、治外法権的特殊機関のひとつだ。
その衛士である私は、私自身の体を持たない。平時は仮の体を作りその中に入っている。私の任務は犯人の精神をのっとり裁判まで拘束することだ。
また、必要ならばその記憶を覗き真実を確かめる」
あかるさんと少し似た能力だ。だが、自分の体を持たないとはどういうことだろう。宮は次代の天帝になる可能性のある人だ。それなのに。
「どうして、あなたのような身分の人がそんな仕事を?」
「私は、鬼籍の人間だ。別名黄泉の国という」
鬼籍・・・。
「では、宮様はもう亡くなっているのですか?」
「そうだ。カヤデと共に生れ落ちたとき、一度この命を無くしたが黄泉の国の王の命令で、この世界を監視する任についた。天帝の皇子という立場は天之宮を見張るには好都合だからな・・・もう、質問はいいだろう。エムサラ姫にかけられていた術も直に解けるだろう。戻るぞ」
タケハの宮は、エムサラ姫・・・母を抱き上げ踵を返した。
宮様の腕の中で力なく腕を垂らす母の横顔は、鏡の中に見る私の姿に瓜二つだった。懐かしさと、切なさで胸が熱くなってくる。 もう二度と会えないと思っていた人にこうしてまた会うことが出来るとは。
「イマチは、どうなるの」
「イマチは、中界へ連れて行く」
「そう・・・」
後悔はない。昔の約束を守り続けてくれたが故に、その身を落とした男。たとえ、その心が真実だったとしても、私は、何度生まれ変わってもイマチが同じ過ちを繰り返すかぎりその約束には答えない。




