第三十五話
「天帝がそのような考えをお持ちになるはずはない。天之宮は天帝の意思をもって作り出されている特別な宮。
天帝が不要と思えば一瞬で消えてなくなり、望めば一瞬でもとの姿を取り戻す、砂の城と同じような物。
今回の延焼を食い止めることができなかったのは、天帝ご自身がご病気のため力を振るう事ができなかっただけのこと。
陛下はご自身のお力で火を消す事ができないとご判断され、泣く泣く天之宮を放棄なさったのです。ですから、天帝の御身に今回の火事の影響はほとんどございませんでした」
イマチの話を鼻で笑うように宮は言った。
「分かっているんだよ、イマチ。お前が天帝の後見の立場を利用して暗躍していたことは。今回は首尾よく東宮の位についたようだが、正当な者を排除して得たその地位は、いずれ返してもらうことになる」
それは、ご自身、タケハの宮へ、ということだろうか。でも、先ほどは自分は東宮にならないような口ぶりをしていたけれど。もしかしてアマツの宮のことを言っているのか。
「私にはお上を謀り自分が皇位につこうだなど、そのようなだいそれた望みはありません」
「嘘をつくな」
しばらくの沈黙。私は固唾を飲んで状況を見守った。アマツの宮も、カヤデもイマチが何を企んでいるのかその真意をはかりかねていた。だが、しばらく都から離れていたはずのタケハの宮が、妙な確信を持ってイマチと対峙している。
もしかしたらあえて都を離れる事で何らかの情報を得ることに成功していたのかもしれない。
その奔放な性情にカヤデの兄弟とは正直信じがたかったが、今のこの姿を見る限り根幹は同じに見える。この人はあえて愚かな人物を装っていたのではないだろうか。
「お前の父君、イハラ殿は持って生まれた美貌と才能に幼少の頃から将来の天帝にと望まれて育てられたと聞く。しかし、今天帝が・・・私の父が皇位に就くと決まり、失意のうちにほとんど屋敷から外に出なくなったときもあったようだね。
そのイハラ殿に、容姿も気質も全てが瓜二つのお前に、自分の叶わなかった夢を託したのではないか?それが天界の掟にそぐわぬものだったとしても」
カヤデがいつか話していたことと同じことだ。天帝になることが出来なかった、イマチの父君の話。やはり、理由はそれなのだろうか。
「宮様は久しく都を離れていらしたから、そのような夢物語を考えるお時間もおありになったのでしょう」
カヤデたちも、イマチが帝位を望んでいるのではと予想はしていたが、こうも直接的に質問を投げかけるとは。だが、そんな質問もイマチには何でもないようで、彼の顔色は相変わらずだ。
もし、宮様の言う事が本当だったとしても、ここでイマチが肯定するだろうか?
「まぁ、あくまで白を切りとおすというのならば、それでもかまわない。天帝に会わせてもらおう。御簾ごしではなく、直接、明るい光の中で」
一瞬だが、イマチの眉がピクリと動いた。宮様がそれを見逃すわけもなく、ずかずかと奥に進み天帝がいつも座っていた高座に足をかける。思い切り御簾を捲りその中に入り込んだ。
イマチは涼しい顔でその様子を眺めている。私はてっきりその行動をとがめるものと思っていたので、イマチのその態度に驚かされる。
「イマチ・・・おまえ・・・この方まで利用したのか」
御簾に映る宮様の影が立ち尽くしている。その狼狽を隠せない声音に私も急いでその御簾を潜った。
「利用したのではない。協力していただいただけだ」
部屋の奥には、私がイメージしていた初老の男性・・・天帝の姿はなく、代わりに華奢な女性が横たわっていた。年のころは三十を越えるか、越えないかの黒髪の美しい人だった。そして、この顔には見覚えがあった。
「私・・・?」
御簾の外でイマチがぷっと吹き出したのが分かった。
「あなたにも見られてしまっては仕方がないですね」
イマチは悠々と御簾をたくし上げた。と、同時に室内に明かりがつく。
その明かりのの下で見るその女性の顔は、鏡の中に見る私と瓜二つだ。
「その方は、エムサラ姫。いち姫、あなたの実の母上だ」
―この人が!?私の母というには歳が若すぎるこの人が、私が幼い頃に生き別れた母だというのか。そして、母は、もともとこの世界の人だったのか。イマチは、観念したかのように、ポツポツと語りだした。
「私は、幼い頃仲の良かったサクの宮についてよく下界に下りていました。サクの宮が下界に嫁がれたあなたの母上、エムサラ姫に懐かれていたことで、よく会いに行っていたのです。そんな時私は幼いあなたに出会いました」
「私に?」
こんな話、聞いたことが無い。私の驚きようにイマチは不思議そうに首をかしげる。
「ご存じなかったのですか?エムサラ姫と、九重の当主の息子の駆け落ち話は天界では有名なゴシップです。まぁ、天帝はそれをお認めにはなりませんでしたが」
私の母が、あのカヤデを助けたというアマツの宮の姉上・・・。では私は宮の姪っ子になるのか。イマチの話すことだ、全てを鵜呑みにはできない。けれど、確かに私は九重の当主の子供だと言われて育った。半分は話があっている。
「とにかく、その時にエムサラ姫に紹介されたのがあなたです。その時のあなたはまだ5歳くらいだったでしょうか。私が8歳の時でしたから恐らくそうでしょう。姫が大切に大切に育てられているのが分かる、可愛らしいお嬢さんでした」
「お嬢さん?私は男だ」
まるで、私が女だったとでも言う口ぶりに私は眉を寄せた。私にはどんなに記憶を辿っても自分が女だったという覚えはない。馬鹿にするのもいい加減にしろ、と言いかけたところで私は、ある物をイマチに差し出された。
「これは?」