第三十四話
名前を呼びかけたが、言い表しようの無い違和感を覚え私は黙った。
ゆっくりと近寄ってくるその青年は、確かにカヤデと姿かたちは一緒のように思えた。だが、雰囲気が違うのだ。妙に冷たい。それに、仮面をつけている。
「あぁ、やはりいち姫だ。こんなところで何をしているのです」
カヤデに似た姿をして、仮面を付けた、男・・・。それはもう一人しか思い当たらない。
「もしかして、タケハの宮様・・・?」
「ご名答」
烏帽子も被らず、長い黒髪を後ろでに縛りこの状況下でも悠々とした態度を崩さない。あかるさんの術越しでしか会ったことはないが、確かに私のイメージする宮様その通りの人だ。
「ここは危険ですよ。早くお逃げなさい」
「それならあなたも同じことです。何故こんなところにお一人でいらっしゃるのですか?」
天之宮に帰ってきてくださっているなら、もっと早く出てきて欲しかった。そうすればイマチではなく、タケハの宮が東宮に立つことが出来たのに。
「アマツの宮は?ご一緒ではないのですか?」
「ん?いるけど。今は姿隠している。カヤデが下界追放になったって話聞いたから」
「そうですか。でも、あなたが帰ってきたなら、東宮の位はあなたに移るのでしょう?」
イマチに比べれば、数倍この人の方がましだ。この問いかけに、タケハの宮はあっけらかんと答えた。
「東宮?むりっしょ。だって俺がこの火事の犯人だもの。逃げなくちゃでしょ?でも、その前にどうしても真相をこの目で確かめたくてね。今その確かめに行く途中」
「なっ・・・!!」
この火事を起こしたのはタケハの宮!おかしな人だとは思っていたが、何故天之宮に火を点けたのだろう。驚き言葉を無くした私を見て、タケハの宮様の口元がにやりと歪む。
「ここで会ったのも何かの縁。あなたも私と共に参りますが?東宮妃様」
手をうやうやしく出される。こんな事態を引き起こした理由や、彼の知りたがっている真実を私も知りたい。けれど。
「でも、私はこの人を安全な場所に連れて行かないと」
「もう死んでるよ?その人」
「!」
私が抱き起こしていた侍女にもはや顔色はなく、目を薄く開けたまま息をしていなかった。思わず息をのむ。体が震えた。
「怖いかい?死体に触れたのは初めて?」
クスクスと宮様は笑った。何故こんな時に笑えるのか。この人が亡くなった原因はこの火事。この火事を起こした張本人なのに何故・・・。
「あなたは、最低な人ですね」
カヤデの双子の兄妹だとは思えない。私は無言のまま宮様を見た。
「そんなこと、とうの昔に知っていると思っていましたよ。姫。さぁ、私と一緒にきますか?それとも帰りますか?」
そっと侍女を横に寝かせると、その瞳を閉じさせた。私には、知る義務も権利もある。
「行きます」
「流石だな、いち姫」
宮は満足げに息を零した。
タケハの宮様は、炎の中でも怯まずどんどん天之宮の中枢に入っていった。今にも天井から梁が落ちてきそうな気配だがそれすらも気に留めていない。
死出の旅に見えた。息が苦しい。視界もぼんやりとしてはっきりと見えない。煙のせいだろう。もしここで宮様の姿を見失ったら確実に私は死ぬだろう。
だが、不思議なことにある一点を過ぎるとまるでそこが異世界かのように炎は消え、息苦しさもなくなってきた。そこは見覚えのある場所だった。
選ばれたもののみ通ることを許されるこの廊下を抜けた先にあるのは、天帝の私室。
予想通り、すこしも火事の被害を受けた様子のない部屋の中はいつも通りに薄暗かった。
「これは、どういうこと・・・?」
「いるんだろう?イマチ。出て来いよ。それともこの場所を守ることに精一杯で話すことも出来ないか?」
宮が大声でそう言った。
「お出ましか?」
柱の影から姿を現したイマチは無言のまま私たちを見据えていた。
「やはり、天帝など最初からいなかったのだな。イマチ」
納得したように宮様は言った。それにイマチもいつも通りの口調で答える。
「おっしゃることの意味が分かりませんが?タケハの宮様」
この場に流れる空気が、凍り付いていることに私は気がついていた。
おどけたような口調でタケハの宮様は続けた。
「ここまで天之宮が延焼すれば、天之宮をその体の一部としていらっしゃる天帝自身無事ではすまない。天帝陛下は恐れ多くも世をはかなみ自らそのお命を絶とうとなさったならば、話は別だが」
イマチはいつもと変わらない表情を浮かべて宮様を見ていた。そして何の事でもないようにくすりと息を漏らす。