第三十二話
式が終わり、私はイマチに抱き上げられその場を下がった。
忌々しいこの薬の効果はいつまで続くのか。別室に移り、私は寝かされた。イマチも着替えに行ったのだろう。私を下ろすと直ぐに部屋を出て行った。
そこで漸く侍女に頭の上に載せられていた重い冠を外され、金銀の刺繍が施された豪奢な婚礼衣装も脱がされた。まるで着せ替え人形だ。着るときも、脱ぐ時も自分の意思ではなかったのだから。
白の単を着せられ、私はまた寝かされた。この頃になって漸く喉が動くようになり、大きな声は出せなかったが、言葉がひとつふたつ、出せるようになった。
程なくして、イマチが御簾を捲り部屋に入ってきた。彼も簡素な単姿だ。
ゆっくりと私に近づき、膝を付いて私を抱き起こした。
「イマチ・・・私は、お前の思い通りには絶対にならない」
精一杯搾り出した声は擦れてしまっていた。イマチは、ふと笑って私を見下ろした。
「あなたが、何を思おうと、あなたはもうすでに私のものです」
言うと同時にさらりと、髪を梳かれて私は肩を強張らせた。
「この髪も」
その手が顔の輪郭を辿り、私の頬をなでる。私は嫌悪感に体を振るわせた。構わずイマチは指を進める。
「この頬も・・・唇も」
先ほど思い切り噛み締めた傷跡を触れられ、シクリと痛んだ。
「痛いでしょう」
2、3度指先で唇をなぞられる。私はじっとイマチを睨み付けていた。
「昨夜のことといい、あなたは本当に目が離せない人だ。油断をするとすぐにこの手から飛び去ってしまう。いっそあなたの足を折り、手を縛って部屋に閉じ込めてしまいたい」
顔を近づけられる。案の定、私の唇をイマチは吸った。傷跡を何度も、何度も執拗に。刹那堪えていた涙が溢れた。私は、本当にこの男のものになってしまうのか。
そう思うと、悔しくて、悲しくて涙が止まらなかった。恐らくこの部屋は夫婦の為の寝室。体の自由が利かない以上、私に抵抗する力はない。
イマチは黙って私の目元に唇を寄せた。私が零す涙を吸うように、あやすように、そっと。
サクの宮や、かぐや姫を死に追いやり、カヤデもこの世界から追い出した。私はこの男のせいでたくさんの大切なものを失った。こんな男に汚され、陵辱されるくらいなら、舌を噛んで死にたい。
「・・・私は男だ。それでも、お前の妃にするつもりか」
どうせ、この男は知っていることだが改めて私がこう口にすると流石のイマチも一瞬たじろいだ。
「えぇ、あなたが何者であろうと私はあなたを愛しています」
私は、思わず嘲笑する。
「そこまで、九重の血が欲しいのですか?」
男の私を妻にしてまで。イマチは、何故か酷く真面目な表情で私に答えた。
「天帝は九重の血を持った妃と交わることでその力を増し、より大きな力で天之宮を、天界を統治することが出来るのです。例えあなたが私を憎んでいるとしても、その役目は果たしていただきます。今日は、花嫁のご機嫌が悪いようなのでやめておきますが」
イマチは、私に軽く最後に口付けると部屋を出て行った。安堵のため息が思わず洩れる。
私は、東宮妃となった以上、イマチの言うその勤めは果たさなくてはならない。でも、それは今の私には難しいことだった。けれど、あの真面目な表情・・・。まるで天帝の地位を欲しているのではなく、天之宮のことを思う、天帝になりたいとでも言いたげな表情だった。まさか、イマチが。そう思いつつ私は目を閉じた。
―何時の間に、眠ってしまっていたのだろう。微かに悲鳴が聞こえたような気がして目が覚めた。部屋の中に、人の気配が無い。普通なら2、3人傍に侍女が控えているはずだが。
私は疑問に思い、廊下に出ると美しい白木で造られた天之宮の柱の一本一本に赤い炎が揺れているのが目に入った。
火事だ!そう思うが早いか、侍女たちの悲鳴が響き渡る。
まだ火の勢いは激しくないようだが、ここまで火の手が伸びる可能性はある。逃げなくては。
「姫様、姫様、どうかお逃げください!火事でございます。どうぞこちらへ!」
侍女に導かれるまま、私は燃えゆく天之宮の中を走った。女物の、長く裾を引くこの衣装もじれったく、私は途中でその上着を脱ぎ捨てた。
「天帝は、どこにおわしまする!」
「我が主人、オリワの宮様をご存じないか!!」
天之宮は混乱の中にあった。普段ならば、主だった大臣たちの行動は全て把握されているはずだ。勢いを増す火の手と、息苦しさに私は口元を覆った。