第三話
「加護を頂戴する代わりに、当主に近しい血を持ち、その手に証を持つ娘を天帝の妃として送り出しておりました。 しかし、長らくその資格をもつ娘が現れず、九重家もかつての栄光はありません。しかし先代様のお孫様に当たるいち様の左手に妃の証が現れたと連絡を受けたのです」
「この、花の痣のこと・・・?」
年が増す毎に鮮やかに、美しく浮かび上がってきた赤い花。それが、その証だったとは。なるほど、男の私にこの痣が現れては父も驚き、動転しただろう。ましてや、嫁として訳の分からない相手に、息子をとられるなどと聞いた、当時の母の気持ちは察するにもあまりある。
「はい。男のあなた様に現れるとは全くの予想外でした。恐らく、時の流れに従い近親婚が禁じられ、血の濃い子供が生まれなくなったことで、男性であるいち様にもその証を与えてしまったのでしょう。 妃の証は九重の血がより深い者に現れるものでございます」
今まで忘れられた存在のように扱われていた自分が、急に表舞台に引きずり出されたようだ。口を挟むことも許されないまま、老女はたんたんと続ける。
「ただし、嫁げるのは原則女のみとされております。ですから、くれぐれも先様にあなた様が男と知れませんようにお願いいたします。明日、天界へお送りいたします」
夢物語のような話だ。だが、今の世の流れに逆らって生きているような、古びたこの九重の家ならば、ありえなくもない。ただ、“嫁として送り出す”というのは儀礼的で、正しくは私を殺して生贄にでもするつもりなのだろうが。
―まぁ、それもいい。死んでこの部屋から自由になれるのならば。
「何かご質問は?」
「特に無いよ」
死刑宣告。執行は明日・・・か。随分急に人生がおわるものだ。あっけなさ過ぎて、むしろ笑いすらこみ上げてくる。ただ、私が急にいなくなってしまっては、カヤデが心配するだろう。手紙でも、残しておこうか。
その日の夜は、驚くほどによく眠れた。気がついたら朝日が一筋、障子のふすまから漏れていた。
私は、起き上がると身支度もそのままに、便箋を一枚取り出した。
便箋といっても普段手紙など書くことはないのだから、なんの変哲も無いただの白い紙だけれど。もちろん、カヤデへの手紙だ。
・・・何と書き始めていいのか分からない。
頭ではわかっていた。急にいなくなっても、自分のことは心配しないで欲しい、とだけ書けばいいのだと。
私を実の兄のようにしたってくれていたカヤデは恐らく、いや確実に私が急にいなくなれば悲しんでくれるだろう。そう思うとペンが進まない。
何も言わないまま姿を消した方が、いいのだろうか。変に後を残すよりは死んだと、言付けてもらった方が、彼女にとっていいのかもしれない。
逡巡している間に、部屋の襖が開いた。先川さんが、朝食を持ってきたのだろう。
特に視線を向ける事も無く、私は未だ白紙の便箋を前にしていた。
だが、いくら待っても食器が運ばれてくる音も、先川さんの声も聞こえない。
疑問に思って、首をそちらに向けると、やはり彼女はそこにいた。
だが、普段とは様子が違う。着ている着物が、黒地の留袖なのだ。
しかもご丁寧に紋まで入っている。姿勢を正し、座る先川さんの顔色は青白かった。
ブツブツと何かしゃべっている。
「どうしたの、まさかもう儀式が始まるの?」
問いかけても、先川さんは答えなかった。様子が変だ。立ち上がり、その肩に手を触れようとした時、ぱたりとその場に倒れこんでしまった。
「先川さん!?」
私はあわてて抱き起こしたがその体に力は無く、ふにゃり、と腕の中で脱力したままだった。
「だれか!だれかいませんか!?」
一体どうしたというのだろうか。気丈で、今日まで風邪など一度も引かず私の世話をしてくれていただけに、今の彼女の状況が信じられない。
私は先川さんをそっと床に下ろすと、恐る恐る開け放たれたままの襖の向こうに目を向けた。
普段厳重に鍵がかけられ、私がこの部屋から出ることは固く禁じられているのだが、今日は緊急事態だ。
―この部屋に入るとき以来、久々に歩く母屋へと続く廊下だった。
廊下といっても、高い壁に両側を固められた中にある、細い通り道といったほうが正しいのかもしれないが。
小走りに廊下を抜けて、母屋に通じる最後の襖の前に立った。
おそらく鍵がかかっているだろうと思ったが、予想外にその扉は難なく開いた。
そしてそこで私はその先に広がっていた光景に、言葉を失う。
そこには、家、というものはなくただ公然と広がる草原だった。
振り返ると確かに、私の部屋へ戻る廊下はある。
と、いうことは母屋と私の部屋の間には草原があったということなのだろうか。
幼すぎて記憶に残っていないだけで・・・。それとも、私は知らぬ間に道を間違えてこんな所へ出てしまったのかもしれない。
裸足のまま、外に下りた。どこまで続いているか分からない、先の見えない草原だった。
―これは、明らかにおかしい。