第二十九話
カヤデが帰ってきたのは、夕方になってからだった。仮面を外したカヤデは、神妙な面持ちのまま私の話を聞いてくれていた。そして、予想外のことを口にした。
「そうだとしても、一度被ってしまった仮面は脱ぐことは出来ない」
「タケハの宮の振りをし続ける、ということ?」
それは、あまりに危険すぎる。カヤデの正体が知れたら、アマツの宮を含めて身の破滅だ。けれど、ようやく参内したタケハの宮が急にまた姿を消しては怪しい。そして、今度こそ東宮の位をイマチに奪われてしまう。
「そうですね。そうする外ないと私も思います。どうか、お気をつけて」
アリヨ殿の言葉を私は黙って聞いているしかなかった。
「でも、心配です。私も明日天之宮に参内してカヤデの様子を見に行ってもよろしいですか」
「ダメだ」
「どうして、カヤデ!」
「危険だ」
「私は、東宮妃です。イマチも大っぴらに害を加えることは出来ないでしょう」
「しかし・・・」
「カヤデの宮、いくら後見の家からあまり出る必要がない東宮妃でも全く参内しないでいる訳にはいきません。しかも、先の事件を受けて天帝が姫のお体の様子を心配していらっしゃるようです。ここは、一度参内なさったほうがよいかと」
アリヨ殿に言われてカヤデは考え込んだ。私はいかにカヤデが反対しようとも絶対に明日参内するつもりだ。そうでないと、心配で夜も眠れない。本音を言えばカヤデの傍に常にいてイマチを警戒したいくらいなのだ。
「わかった。屋敷を抜け出されて勝手に参内されても困るからな。明日、共に行こう」
「ありがとう、カヤデ!」
翌朝、あかるさんに女物の衣装と化粧を施され、私は東宮妃として天之宮に参内した。
道中の牛車の中、私とカヤデは無言のまま向きあっていた。その表情は、すでに仮面の奥に隠され、読みとることはできない。重苦しいその沈黙を破ったのはカヤデだった。
「緊張しているか?」
私は首を振った。緊張の度合いならば今日にも正体が知られてしまうかもしれないカヤデの方が上だろう。それにも関わらず、彼はいつも通りの落ち着いた声音をしていた。
「次期東宮は、ほぼ確実にタケハがたつだろう。東宮宣下は早ければ来週早々に行われる。いち殿も心構えをしておいてくれ」
こんな時にまで、カヤデは私のことを気遣ってくれるのか。私は、カヤデにかける言葉すら見つからないというのに・・・。
私は、うなずき黙った。
自分が情けなかった・・・。
久々の天之宮は、サクの宮様がいらした頃と何も変わっていないように思えた。天之宮の機能は正常に戻りつつあるのだろうか。
宮中に入ると、侍女たちに囲まれカヤデとは別の部屋に通された。綺麗な庭の見える少し小さめの部屋だった。広くもなく、狭くもない、私にはちょうど良い大きさだ。
「天帝陛下がお呼びでございます」
到着して、しばらくたったとき、部屋に侍女が現れた。私は、彼女に従い席を立とうとしたとき、イマチが現れた。
「おや、せっかくご機嫌伺いに参ったのに、もうどちらかへ行かれるのですか?」
私はその問いかけに答えなかった。
黙って彼の前を通り過ぎようとしたとき、イマチが言った。
「間もなく天龍殿にて清めと、験直しを兼ねて舞が催されます、もしよろしければご一緒いたしませんか」
「天帝陛下に呼ばれているのです」
この男と話しているとイライラする。
目もあわせずにそう答えると、イマチは不思議そうな声を上げた。
「陛下も舞をご覧になりますよ。舞が終わってから会いに来るようにとおっしゃったのではないの?」
侍女にそう尋ねると、彼女は顔を真っ赤にして頷いた。
「大丈夫ですよ。誰にでも失敗はある。この事は秘密にして差し上げますから、もう下がっていいですよ」
イマチに優しく言われ、侍女は深く頭を下げると元来た廊下を戻っていった。
「さて、ご一緒してくださいますね。姫。サクの宮達への舞ですよ」
そう言われてしまったら抗えない。
天竜殿といえば、先日サクの宮様たちが亡くなった場所。清める対象は、浮かばれない彼らの魂なのか、それとも・・・。
私はイマチに導かれるまま長い廊下を下っていった。