第二十八話
「かぐや・・ひめ・・」
入り口に立っていたのは先日、サクの宮様と一緒に亡くなったはずのかぐや姫だった。
亡くなった時の服装、髪型で佇む姫は、まるで生きているように頬はつやつやとし、うっすらと笑顔すら浮かべていた。
「どうして、姫・・・」
もしかして、姫が亡くなったというのは嘘だったのだろうか。私は結局彼女が倒れた所は見たけれど、この手でその死を確認したわけではない。
もしかしたら、あれはサクの宮様とかぐや姫の気持ちを知っている誰かが謀ったことだったのかもしれない。
私はおろか、カヤデやアマツの宮さえ騙すとは、なかなかのものだ。
「生きていたのですね。よかった・・・」
浴槽にいるのもじれったく、私はその姿をもっと近くで見ようと姫の傍に近寄ろうとした。
その時だった。
したたかに腕をつかまれた。
「姫?」
その姫とは思いがたい力の強さに、私は首をかしげたが刹那自分の浅はかな行動を恥じた。
瞳の色が、白色に変化していたのだ。口は、笑顔ではなく皮肉に満ちた形に歪められていた。
恐怖の感情が一気に生まれる。
「お前は、誰です」
けれど、それを悟らせてはいけない。私は震えそうになる声を抑え“姫”を見た。
「やはり、あなたは男か」
そう言われて、私はとっさに自分の姿を見た。着物を羽織っているとはいえ、水に濡れたそれは体にぴったりと張り付き、この体が女性のものではないということを如実に表してしまっている。
「!」
声こそは、なつかしい姫のものだった。けれど、姫がそんなことを言うはずがない。彼女は初めから私が男だということを知っていたのだから。
「放せ!」
すごい力で食い込んでいる“姫”の腕を外そうと私はもがいた。けれど、叶わない。
「私がおわかりになりませんか。いち姫様」
穏やかに笑う。その、笑い方、しゃべり方には覚えがあった。
「まさか、イマチ・・」
「ご名答」
何故・・頭の中が真っ白になる。先日の贈り物事件から、アマツの宮はより協力にこの屋敷に結界を掛けたと言っていた。イマチはそれを破ったというのか
「死者の体に意識を同調させることくらい、私には造作も無いこと。ましてやアマツの宮はご丁寧にこの屋敷の結界をかぐや姫には反応しないように掛けなおしてくれていたらしいですね。お蔭様で、私は誰にも見つからずにここまでくることが出来ました。宮に感謝しなくては」
「よくもそんなことを・・!!」
きっと傍にアリヨ殿が控えてくれているはずだ。声を出せば気がついてくれるはず。
そう思い、息を吸い込んだ瞬間、喉が凍った。
「ぐっ・・・」
「用事はすぐ済みます。それまで大人しくしていてください」
―イマチ・・・!
「体が冷えましょう。さぁ、これを」
そう言い、羽織らされた上着を私は払い落とした。付け焼刃の気遣いなど、身の毛がよだつ。
この男はなんと卑怯な男なのだろう。死んだ姫の体を利用し、こんなところまで忍び込んでくるなんて。
「・・・タケハの宮様は相変わらずお忙しくしていらっしゃるようですね。本日宮様が参内なさったようですが、いかんせんあれは宮様ではないようだ」
―気がついている。カヤデが、宮様の代わりに参内しているということに・・!!
「人それぞれ事情があるのですから、このこと私の口からは漏らすことではありません。ですが・・・あなたの態度によっては、その考えを覆さなくてはいけないかもしれません」
不適に笑う。体が、寒さではなく、怒りに震えていた。
「姫、私の屋敷にいらっしゃいませんか?私ならば、カヤデの宮以上にあなたを満足させて差し上げられる。待遇も、着物も食事も」
ー誰が行くものか!
言葉が封じられている代わりに私は憎い男の目をジッとにらみつけた。
「あぁ、怖い。流石は天帝の妃になられる方だ。これくらいの気性でないとつまらない。姫、あの事件以降私はあなたにお会いする機会がなかった。ですから、どうしても会いたくなって今日はこんな無茶をしてしまいました」
嘘をつくな。今タケハの宮の代わりをカヤデがしていることを知っているのだと、脅すために来たのだろう!と、そう言ってやりたかった。未だ凍ったように動かない喉が憎らしい。
「信じてくださらないかもしれませんが、私はあなたをお慕いしているのです。初めてお会いしたときから」
何が、お慕い、だ。この男、絶対に許さない。
私は、掴まれていた腕を勢い払った。と、同時に喉の戒めが解けたのか声が出た。
「汚らわしい男・・・!」
「汚らわしい・・ですか」
珍しく、殊勝な声音だった。だが、そんな演技に騙される訳が無い。
死人の体さえ思いのままに利用し、脅しをかけてくるこの男に、心などあるはずがない。
もしかしたら、カグヤ姫が亡くなったのもこの男の仕業なのかもしれない。
姫は、急に成人の儀を迎えさせられたと聞いた。この世界では、成人と同時に、女子は嫁に行くのが慣わしらしい。
姫の成人の儀を執り行うように、何らかの手で圧力をかけていたとしたら。この男ならやりかねない。
「成人の儀を急に姫に受けさせたのはあなたですね」
「はい。姫の為を思って。それが姫を殺したとでも仰りたいのか?」
姫、サクの宮様・・・。二人の姿が脳裏に浮かんだ。いずれは、姫もお嫁に行かなくてはならなかっただろう。
でも、何の覚悟も無いままに急に成人させられ、大好きな義兄と離された
可哀想な姫。そして、狂気のあまり変わり果てた姫を抱き、共にその命を散らしたサクの宮様。
全ての元凶はこの男・・・。
「帰れ。二度とお前の顔など見たくない」
殺してやりたい。今すぐその喉笛をかき切ってやりたい。
「では、今日はお暇いたします。また、明日」
そう言うと同時に、姫の体は消えた。
私は、悔しさのあまりその場に座り込みしたたかに床を叩いた。
恐らく私がとんでもない顔色をしていたのだろう。ろくに髪も拭かずに浴室から出るとアリヨ殿がひどく驚いた顔で私を見た。
「姫・・? 」
「たった今、イマチが私を訪ねにきました。かぐや姫の体を使って、この屋敷の結界を越えたそうです・・・」
「それは・・・なんという・・・」
アリヨ殿も驚きで声が出ない様子だった。当たり前だ。一番安全なはずであるこの屋敷に侵入を許してしまったのだから。
「イマチは、今カヤデがタケハの宮の代わりをしていることに気づいているようです」
「それでは、カヤデの宮が危険です。お帰りになり次第、相談申し上げましょう
髪から雫が零れ落ちる。私は強く頷いた。