第二十七話
すっかり回復したカヤデは仮面を受取ると複雑な表情を浮かべた。
当たり前だ。もし一つでも歯車が異なっていれば、カヤデは仮面など付けなくても天之宮に次期東宮候補として参内できていたのだから。
何と声を掛けていいのか戸惑っていると、カヤデがぼそりと漏らした。
「この仮面・・相変わらず趣味が悪い」
・・・趣味が悪い?てっきり自分の不遇の待遇を嘆いているのかと思いきや、だった。
カヤデはその仮面をつけ首を振った。
「しかも通気性が悪い」
私は笑ってしまった。カヤデは、こんなことで悲観するような人ではなかった。
自分の待遇を不満に思うのなら、とうの昔に何らかの行動を起こしていただろう。
ましてや、相手はあのタケハの宮だ。勝算が無い訳はない。それをしないということは、カヤデは今の地位に満足しているということなのだろう。
確かに、窮屈な天之宮での生活よりも、こうして自由に外を行き来できるほうが幸せだろう。
「龍の意匠ですよ、よくお似合いです」
「そうか・・・」
アリヨ殿にそう言われても、まだ不満に思っているのだろうと私は思った。
翌日、カヤデは仮面を付け“タケハの宮”として参内することになった。
その夜、カヤデは私に一つ質問した。
『私が天帝の息子だと黙っていたことに怒らないのか』
と。
そう言われれば、多少の驚きはあったにせよ案外自分がすんなりとその事実を受け容れていたことに気がつく。
この世界は、とても複雑で今目に見えているものが真実なのかそれすら時折わからなくなる。
けれど、カヤデやイマチの宮だけは何が起きようと信じようと、私は自分でも気がつかないうちに決めていたのだ。
だから、今回のことも戸惑いが少なく受け止めることが出来たのだろうと思う。
―そんな本当のことを言うのは気恥ずかしい。
「“訊かなかったから、”とは言わないの?」
カヤデは笑っていた。
その屈託のない表情を、また次も、その次も見ることが出来るように、私は私のできることをしよう。
正直、天帝妃として立ちこの世界を治める手助けをすることにまだ実感は沸いていない。
重要な役目に就き、責任を果たさなければならないとは思っているけれど。
私は、まず私の直ぐ傍にいる人たちの笑顔を守ることから始めてみようと思う。
サクの宮様やカグヤ姫の悲劇。殺されてしまう可能性のある天帝の招かれざる子供たち。
もう二度と、同じ過ちは繰り返したくないから。
翌朝、髪を整え仮面を付けたカヤデは皇族用の牛車に乗り天之宮に向っていった。私も一緒に参内したかったが、いかんせんまだ“穢れ”が払いきれていないらしくまだ天之宮に行くことは出来なかった。
その後姿を、あかるさんと見送りながら、これから先の事が何事もなく過ぎていくことを願っていた。
カヤデの帰りを待っている間、私は日課となったアリヨ殿の清めの儀式と、禊を行なった。
秋も深まり、紅葉もちらほらと見え出したこの季節に、室内とはいえ水に浸かることは容易ではない。
けれど、これがこの世界の決まりだというのならば大人しく従うしかない。
しかも、今日でその儀式は最後なのだという。望めば、明日からでも天之宮に参内することが出来る。
そう聞かされて、私はいつもよりも気合を入れて浴室に入った。
白の一重の着物のまま、水の張られた浴槽に体を下ろす。
近くの川の水を引いているのだろう。壁に設えられた竹の水差しからは、とめど無く新しい水が注がれ、体は冷える一方だ。
どうか、カヤデの正体が知れないように、そしてアマツの宮が無事に都に帰ってこられるように、と私は願い続けていた。
そんな時だった。ふいにぴしゃりと、水面の水が跳ねた。初めは偶然だろうと気に留めていなかったが、それは二度、三度と続きだした。
―これはおかしい。
私は急いで立ち上がり、浴槽を出ようとした。が、目前に現れた予想外の人物に私は言葉を失った。




