第二十五話
準備といっても、依代になるカヤデが全身白装束に着替えただけだった。
シビラの民にとって、古くから“白”は純潔を示す色として儀式の際に重用していたそうだ。
心を無にしてタケハの宮様の精神が入りやすいようにするためにも白は重要だ、ともあかるさんは言っていた。
部屋の中心に座ったカヤデに向うようにして、あかるさんが少し離れて座った。私たちは、“呼び寄せ”の邪魔にならないように部屋の隅でその様子を見守る事になった。
深く息を吸ったあかるさんが、呪文らしき言葉を唱え始めた。当然だが、聞いたことの無い発音、言葉の羅列に私たちはただ黙って見守るほかなかった。
程なくして、カヤデが目を閉じた。
上を向き二、三回荒い息を吐いた後、座った姿勢のまま前に倒れこんだ。
「カヤデ・・?」
その尋常ではない様子に、思わず小さくその名を呼んでしまう。
あかるさんも、目を閉じたまま動かない。
張り詰めた空気の中、あかるさんがふいに大きく息を吐いた。と、同時にカヤデもその上体を起こした。
やがて、ゆっくりとその目を開ける。
その顔は確かにカヤデだった。
だが、表情が違うのだ。カヤデは普段喜怒哀楽をあまり顔には出さない。
カヤデの笑顔など、極端な話私は見たことがないかもしれない。
けれど、今目の前に座るカヤデは穏やかな笑みを浮かべて私たちを見ていた。
「タケハの宮様、お連れいたしました」
あかるさんがそう言うと同時に、“タケハの宮様”は瞬きをした。
「あれー?俺今、釣りしていたと思ったのに・・・ここどこさ」
その場にいた全員がその第一声に言葉を失った。
―この方が、タケハの宮様・・・??
放蕩癖があると話しに聞いていたので、自由な人なのだろうとは思っていたが、予想外の反応に体の力が抜けた。
「タケハ。お久しぶりです。私がわかりますか」
アマツの宮の語調が厳しかった。察するに相当気分を害しているのだろう。眉がピクピクと動いていた。
「よっ!アマツじゃーん。ってことは、お前の屋敷か、ここ。それにしてもアマツってばいつこっち帰ってきたの?帰ってきていたんなら、連絡くらい寄越せって。つれないなぁ」
「・・・・」
刹那、アマツの宮の拳が固く握られた。アリヨ殿も渋い顔をして“タケハの宮”を見ていた。
あのカヤデの兄だというからには、しっかりした人なのだろうと内心思っていたけれど・・・。
「あいにくと、あなたの行方がわからなかったのでご連絡の仕様がありませんでした」
確実に、アマツの宮の逆鱗に触れている・・・。私も、先ほどまでの緊張した空気が嘘のように思えてしまった。
この方が、今天之宮の将来を左右しようとしている、タケハの宮・・。
「あ、そうだった。ごめんごめん。で、何で俺ここにいんの??瞬間移動??すげー俺ってばそんな能力いつの間に身につけちゃったの??天才じゃん」
「・・・・・」
おもむろに、アマツの宮が立ち上がったとき、横からアリヨ殿が小さく助言した。
「アマツの宮、どうぞお気をお静めになってください。お気持ちはわかりますが、体はカヤデの宮様のものです。早まった事はなさらないで下さい」
一発、殴るつもりだったのですね。宮・・・。
私も思わず苦笑してしまう。冷静沈着なアマツの宮を怒らせるとは、“タケハの宮”はなかなかの大物だ。
どすんと、アマツの宮は腰を下ろすと、刺々しい口調で一気に捲し上げた。
「タケハ、緊急事態の為、今はあなたの精神のみここに呼びました。のん気に釣りなどしていないで、今直ぐ、直ちに、速やかに屋敷に戻ってきなさい」
「なんで、嫌だし」
即答だった。今更ながら、天帝が私とことがなくてもサクの宮を東宮に選ばれただろうと思ってしまった自分が悲しい。
「・・・・宮。ふざけている場合ではないのです。先日、サクの宮が亡くなりました。その為、天之宮は混乱しています。そんな中、私もカヤデもすぐにでも都を離れなくてはならない事情ができました。ですからあなたにはここに戻ってきていただかないと困ります」
「え?サク死んだの?」
流石の“タケハの宮”も驚いたのかその表情を固くした。
「はい」
「ふーん。ま、あいつ根が真面目な奴だったからな。胃でも壊したか?」
―事情を知らないとはいえ、この無責任な発言に私も流石に頭にきた。
サクの宮様と、カグヤ姫の悲しい最期をバカにされたようでもう我慢がならない。
「“タケハの宮”みなさんあなたがいらっしゃらなくて、本当に、心から困っているのです。ふざけるのもいい加減にしてさっさと戻ってきてください!!!!」
思わず大声を出してしまった。宮は、そんな私をあっけにとられたように見ていた。
「お前、誰?」
やはり、このような反応しか返ってこないのか・・。
私はひどく落胆した。
「私は、いちと申します。次期天帝の妃になるべく九重の家から参りました・・・・」
こんなアホ宮のせいで、カヤデたちの身が危ないなど考えたくも無い。
「ふーん。サクの元婚約者か。なかなか可愛いね〜」
「・・・・」
もう、駄目だ。例え上手くタケハの宮を連れ戻すことが出来たとしても、この器量ではとても将来の天帝として天之宮をまとめていく能力はないだろう。
「アマツの宮、この人が本当に“タケハの宮”なのですか」
私は、指を刺して聞いた。
「・・・残念ながら」
どうやら思うことは宮も同じらしい。頭を抱えて苦悶の表情を浮かべていた。