第二十二話
今日の帰りは、いつもより随分早い。天之宮の事態が多少は収集したということだろうか。
程なくして、二人が部屋に入ってきた。
「姫、只今戻りました」
「いち殿。しばらくぶりだ」
疲れた顔をして、カヤデが腰を下ろした。
その二人の顔色から、やはり事は難航している様子が伺える。
「アリヨ殿も、姫のお相手ばかりさせて申し訳なかった」
アマツの宮も続いて座った。
「とんでもございません。私も姫とお話する機会を得ることが出来て逆に幸運だと思っております」
アリヨ殿は、私が男だということを知らない。禊の時に知られてしまうかもしれないと思ったが、結局一人で水に浸かっていただけだった。
天帝の命だからかもしれないが、アリヨ殿が二人の留守中に私を訪ねてくることに関して特別何も言わない。カヤデ達もまた、以前から彼と親交があり、個人的にアリヨ殿を信頼しているのかもしれない
「ところで・・タケハの宮様についてなのですが・・・」
アリヨ殿が、言い難そうに口を開いた。
「お二人は、タケハの宮様が今どこにいらっしゃるかご存知なのですか?」
「え・・?タケハの宮様は行方不明なのですか?」
私は驚いた。この非常時に、天帝の息子ともあろう人が、天之宮にいないなど信じられない話だ。アマツの宮はやれやれと首を振って言った。
「実はこちらの世界に戻ってきて以降そのお姿を見てないのです。タケハの宮の後見役を命じられておきながら、お恥ずかしい話です」
カヤデ達はいつものこと、とでも言いたげにため息をつくばかりだった。
「タケハの宮とは幼いときよりの仲が縁でその後見を命じられておりますが、彼には放蕩癖があって、よく行方をくらましていたのです。 どんなにきつく叱っても、糠に釘といいますか・・。
今回の事件を受け、大至急探させてはいるのですが、なかなか居所は掴めず、私も頭を抱えています」
「天帝はそのことご存知なのですか?」
この、しがらみに溢れた天之宮での生活を、甘んじて受け入れている人ばかりなのかと思っていたが、そうではない人が、意外なところにいたことに驚いてしまった。しかも、天帝の息子が・・・。
「恐らくは。今までの公式行事は、風邪で欠席にするか、カヤデがタケハの代わりに出席していましたので、公卿達はなんとか騙せていたものと思っていましたが、アリヨ殿がご存知ということは、タケハ不在の話は周知の事実、ということでしょうか」
アマツの宮が、深いため息と共に手を額に当てた。余程悩んでいるのだろう。けれど、カヤデがタケハの宮様の代わりを務めた、とはどういう意味だろうか。
もしかして、二人は顔が似ているのだろうか?
「いいえ、私はこれでも天之宮中枢の末端に席を置く者。アマツの宮のご苦労のお話がそれとなく聞こえてきただけです。
表向きはちゃんと今も、宮のお屋敷にタケハの宮が住んでいらっしゃることになっています。
タケハの宮様は普段、顔を隠して生活していらっしゃったから、背格好の似た者が宮様と同じ仮面さえ被ってしまえば、宮様か否か判断できる者はまれでしょう」
「・・まったく、迷惑な話だ」
「カヤデ、そのようなことをいうものではないよ。気持は分かるけれどね」
「どうして、顔を隠していらっしゃったのですか?」
もしかして、顔に大きな傷でも負っていらっしゃって、それを隠すために・・・。
「ただ単に顔を知られてしまうと、出歩くことが困難になるから。というだけですよ」
私は笑ってしまった。お話を聞く限り、タケハの宮様という人は自由を求める人なのだろう。ここでの生活を嫌い、のびのびと外の空気を吸い、
自分の思うように生きる・・。
それは何とすばらしいことだろう。
私もそのように生きることができたなら・・・・。いや、いけない。そんなことを考えていては、東宮妃という重圧に耐えていくことができなくなってしまう。
「居場所を占ってみましたが、その高貴な血筋ゆえ、大まかな場所は特定できても詳しい場所までは見ることはできませんでした。この世界にいることは確かなのですが・・・」
「−そうですか・・・。では、もしこのまま宮様が見つからなかった場合は、天帝を継ぐものがいなくなってしまう、ということですね」
「はい。最悪の場合・・・。サクの宮さえ、生きていてくれたら・・・何故あの時私は彼を助けられなかったのか・・・」
サクの宮様が亡くなったことは、思いのほか深く精神的にも現実的にもアマツの宮を追い詰めているようだ。
私も、あのときの光景を・・・目の前で二人が倒れていく様子をずっと夢にみてうなされていた。悲しみは癒えるどころか日増しにその傷を深くしている。
「アマツの宮、それなら私も同じことです。姫は、私を殺すつもりでいた。あの時、私が死んでいればよかったのです」
それは、私の本心だった。あの時、カグヤ姫に殺されていたら、どれほど気持ちが楽だっただろうか。私を恨み、憎しみながらその身を鬼へと変えた、哀れな姫に・・。
「もし、そのようなことになっていたら、私はすぐに後を追った」
「カヤデ・・」
語調こそ落ち着いていたが、その言葉にうそ偽りは感じられなかった。アマツの宮も、そうだっただろう、と同意した。
「姫が亡くなれば、それこそまた次の妃候補が生まれるまで、何年待たなくてはいけないか・・・。
ただでさえ均衡を失いかけている天之宮が、それまで存在しているかどうかも怪しい。
―あの時のことは、仕方のないことだった。例え、サクの宮を止めていたとしても、誰かが必ず犠牲にならなければならなかった。
姫も助かることはなかった。私は、互いに愛し合う二人が、あのような最期を迎えたこと、残念とは思うが、ある意味幸せな結末だったのでは、とも考える」
「そうですね。愛する人と、共に死ねる、ということは最高の贅沢かもしれません。どちらかが残され、悲しむこともない。黄泉路も二人でならば迷うことはないでしょう」
アリヨ殿が続ける。その二人の言葉に何か感じるものがあったのだろうか。アマツの宮の頬に一筋の涙が零れていた。
私も、その話を聞いて何だか救われたような気がしていた。