第二話
「元気か?」
「まぁ、いつもと変わらないよ」
「では、庭ばかり見ていないでこちらを見てくれ」
相変わらずの物言いだ。この妙に年寄りじみた口調は誰に教わったのか。
私より十は歳が離れているだろうに、態度だけは一人前だ。
「今日は早いね、カヤデ。学校は昼まで?」
ごろりと転がって、顔を向けた。
「―そうだ。土曜日だからな」
肩で切りそろえられた黒髪が愛らしいこの少女は、カヤデといい何が面白いのか暇があればいつも私の部屋に遊びに来ていた。
離れと母屋の境の廊下に、大きな扉があって硬く鍵がかけられその出入りが禁じられている(らしい。これはカヤデから聞いた) そこから分かるように、私が住むこの離れは関係者以外立ち入る事を禁じられている。もちろんカヤデもその例外ではないはずだ。
だがその扉をどの様にして毎回潜り抜けて来ているのか、訊ねてもカヤデは答えてくれない。
「こんな所に勝手にまた入り込んでいると、先川さんに怒られるよ」
先川とは、先刻私の食事を運んできた使用人のことだ。その凛とした姿に似合わず、怒らせるとなかなかに恐ろしいのだと、カヤデがぼやいていた。
私のことを叱ったことはないが、カヤデはよく叱られている。主に、この部屋に入り込んでいて、または入り込もうとしている所を見つかって大目玉、というのがいつものパターンだ。
「オババが今日はだんな様に呼ばれたとかで、お昼から母屋のほうにいる。だから入り込めた」
カヤデは自慢げに鼻をならした。
「そう、めずらしいことだね」
先川さんは私付きの女中のひとりで、私が幼いときからずっとこの部屋で面倒を見ていてくれている。いわば、私の母代わりの人だ。
めったに母屋には行かずこの離れに詰めていることが多いと本人から聞いていたので、私は首をかしげた。ましてや旦那様・・・九重家の当主に呼ばれたとあれば何か事が起きたのではないだろうか。
そんな心配そうな私を横目に、カヤデはその大きな丸い瞳で私をじっと見つめてきた。
「何、どうしたの?そんなに見つめられたら顔に穴が開いてしまう」
「いち殿。今日は折り入って頼みがあって来た」
「なに?妙にかしこまって・・・」
今まで聞いたことがないその真剣な声音だった。まさか、先川さんが旦那様に呼ばれた理由を知っていて、それをこっそり伝えてくれるのではないだろうか・・・!?
カヤデは正座すると私の前につと、手をついた。
「私の嫁になってくれまいか」
「ぷっ!」
予想外の言葉な上に、妙に真剣な顔で言うものだから、笑いが一気にこみ上げてきた。
「何故笑うか!人がこうして頭を下げているというに、姿勢すら正さないとはどのような了見だ」
頬を通り越して首まで赤くしたカヤデが、妙に可愛らしくてまた、笑いがこぼれる。
「これは失礼失礼。年下の、しかも女の子に嫁になって欲しいだなんて言われた事は今までなかったからね、つい・・」
冗談だとしても随分とかわいらしい事を言うものだと、私は起き上がってカヤデの頭をなでた。
「馬鹿にするな。私は本気だ」
頬を膨らませて、カヤデは私の手を払った。
「私の嫁になるのか、ならないのか、どちらだ」
「うーん。残念だけど、私ではカヤデのお嫁さんにはなれないよ。私はこれでも一応男だからね。それにカヤデは結婚するにはまだ年が若すぎるよ」
―ましてや、この部屋に訳も分からず何年も監禁され続けているのだ。
例え、カヤデが私と年がつりあっていたとしても、結婚など許される状況下でないのは確かだ。もっとも私自身、カヤデと・・だなんて想像もつかない。彼女は可愛い妹のような存在なのだから。
「そうか、いち殿は男だったか」
「・・・知らなかったの?」
「ふむ・・・」
カヤデは何か考え込むようにして腕を組んだ。
くるくると表情が本当によく変わる。飽きない子だ。本当に、この子が時々こうして訪ねてきてくれるだけで、心がほんの少し温かくなる。
「この部屋に住まうのは妙齢女子のみだと思っていたのだが、そうか、いち殿は男だったか」
「そうだよ。こんなに細っこいけれど、列記とした男なんだ」
そう答えると、カヤデはすくっと立ち上がった。
「・・・・ババも人が悪い。これだから・・」
「え?」
「出直す」
パタパタと軽い足音をさせて、カヤデは部屋を出て行ってしまった。
一体なにがしたかったのか?基本的にカヤデの行動は謎が多いから今更たいして驚きはしないが・・。
夕方、先川さんが少し機嫌悪そうに部屋にやってきた。
「また・・こちらにお邪魔したようで、申し訳御座いません」
「いや、いいよ。私もカヤデと話すと少し気が楽になるから」
この部屋に無断に近づく者は誰であれ厳罰、というのがこの家の決まりらしいが(これもカヤデから聞いた)何度も見つかっているというのに、ここに出入りできているカヤデはやはり、九重の家の中でも特別な地位にある者の娘なのだろう。
「いち様、今宵は大事なお話があってまいりました」
「はい」
妙に引き締まった声に、私は姿勢を正した。
「こちらの離れにいち様がお住まいになって早12年。明日、いち様は18歳のお誕生日をお迎えになられます」
「あぁ・・もうそんな時期だったね。カレンダーもないものだから、気がつかなかったよ」
少し嫌味を含めて言った。18になるのだから、もうここから自由にしてやるとでも言うのか。私は、先川さんの次の言葉を待った。
しかし、聞かされたのはまるで小説の中の出来事のような話だった。
「この世界は、天界・中界・下界と3つの世界に分けられ構成されています。私たちの住まうのは下界。これよりいち様に向かっていただくのは、天帝の住まう天界です。
代々、九重家はその始祖が天帝に繋がる唯一の下界の一族として、天界の庇護を頂戴し今日までの栄達を極めたのです」
九重家は、古く天皇家とも血縁を持つ日本でも屈指の名家として名高い。そんな話はきいたことがあった。
まるで全てを見てきたかのように、老婆は続ける。
私は黙って耳を傾け続けた。