第十九話
高座に座り、御簾ごしに広間を見た。
一体何畳あるのだろうか。とても大きな部屋・・・広間にはすでに何百人もの天之宮の要職についている天人、公卿たちが集まっていて、私たちが姿を現したとき、大きなざわめきがおこった。
部屋のぐるりには、女性用だろうか、御簾の下ろされたスペースが見える。
「緊張しなくても大丈夫ですよ」
顔をこわばらせている私を心配してくださったのか、サクの宮様がそっと声をかけてくださった。私は気を取り直し、もう一度大広間の方を向いた。
私は、隣にいるサクの宮様とこの人たちの頂点に立つのだ。そう考えると、鳥肌が立つ。
間もなく儀式が始まろうとしていた時だった。私から向って左側の御簾のうちがにわかにざわめきだした。
「どうしたのだろう。何か問題でもおきたのだろうか。確かあそこには、カグヤがいたはずだ」
サクの宮が心配そうにその様子をうかがっている。私も何か胸騒ぎがした。公卿たちも何事かと首をかしげている。
ふいに、小さく名前を呼ばれた。
「いち、姫」
この声には、聞き覚えがあった。その声の聞こえてくる方向は、ざわめいている御簾の方だ。
「いち・・・ひ・・め」
「かぐや姫?」
姫の傍に控えていた下女たちの制止を振り切り、御簾を自ら開け放つと、広間へと足を下ろした。瞬間、青白い光が姫を包んだのは気のせいだっただろうか。
久々に見た姫は、成人の儀を迎えた女性らしく、長く美しい黒髪を結い上げていた。そのあまりの美貌に、広間に集まっていた大臣たちが息を飲むのがわかる。
けれどいつも見せてくれていた、あの明るい笑顔の姫ではなかった。眉を吊り上げ、口を真一文字に結び、私をにらみつける姿は、13の少女には見えない恐ろしさを感じさせた。
「姫、どうぞ御簾の奥へお戻りください」
アマツの宮が慌てて立ち上がり、姫を制したが、まるで何かに憑かれたかのようにまっすぐと前を、私たちのいる高座目掛けて進み続けた。
「かぐや・・」
私の隣で、サクの宮が心配そうな声を上げた。今にも高座をおり、姫のもとへ行かんばかりのその様子に、傍に控えていたカヤデがそっと耳打ちした。
「様子がおかしい。おそらく何者かに操られている。今、兄がその術の正体をさぐり急ぎ解く。それまでは、ここを離れないで欲しい」
サクの宮は、姫に向って伸ばしかけた腕をぐっと引き戻し、拳をにぎった。
愛しい妹を自身で助けられない事に憤りを感じている兄の姿は、横で見ているだけでも胸が痛む。
私も思わず姫のもとへ駆け出したくなる衝動を必死に押さえ込んでいた。
ここで私が下手に動き、女ではない事が知れてしまったら、それこそカヤデたちの身が危ないからだ。
どうにもならないふがいなさだった。
「コロス、イチ・・・ヒメ」
その声が聞こえた瞬間、背筋が凍った。どうか聞き違いであってほしいと願ったがどうやらそれは叶わないらしい。カヤデがいつになく厳しい表情を浮かべて私たちを見た。
「ー恐らく、姫はいち殿を狙っている。何をしでかすか知れない。決してこの場を動かないように」
私は、姫に何か恨まれるようなことをしただろうかと、一瞬考えたが、姫が初めて会ったときのことを思い出した。
姫は、私がサクの宮の妃になることを嫌がっていた・・・。それは、単に兄を取られる妹の嫉妬なのかと軽く考えていたけれど。
そう考え出すと、もうひとつ思い当たる事があった。あのスージャオフォワの曲。もしかしたら、あの時姫は思っても決して通じない相手・・サクの宮様を思って弾いていたのではないだろうか。
「心配しなくてもいい」
カヤデは高座と、姫の間に立ちふさがった。
「姫、お戻りを」
カヤデをにらみつけるその瞳に生気はない。憎しみの炎のみ燃え立っているように見えた。−最愛の人を目の前で奪おうとしている私への。
「どけ、邪魔だ」
すさまじい殺気だった。傍にいる公卿たちも、その勢いに圧倒され声すら出せないようだ。さっと波が引くように姫の周りにいた公卿たちが姫に道をあけた。
「方々、どうか落ち着いてきいてください。姫は蝕玉術にかけられています」
そのアマツの宮の一言で、一気に公卿たちがざわめいた。と、同時にサクの宮が先ほどにもまして顔色をなくした。
「蝕玉術とは一体・・」
どう問うた私に、サクの宮が震える声で答えた。
「蝕は、“隠す”を指し、玉は“命”を指す。今、姫に触れたものはその命を姫に吸い取られる」
「なっ・・・!」
私は、目の前に立つカヤデの背を咄嗟に見た。もしこのまま姫が私を目指してきたら、必ずカヤデがそれを阻もうとするだろう。けれど、姫に触れないで姫を止めることなど・・。
もしかして。
もしかしてカヤデは。
「カヤデ!逃げて!!私の為に死んではいけない」
カヤデは答えない。振り向きもしなかった。聞こえていないはずなどないのに。
「サクの宮様、姫を止める方法はないのですか?」
このままでは、カヤデが死んでしまう。私はそう確信していた。
「・・・方法は、ひとつ。刃を持ち、姫の懐に入りその胸を貫く事。
もともとこの術は三大禁止呪術の中でももっとも難易度が高く、危険性が高い為、長く操れるものすらいなかったと聞く。
ましてや、天之宮では許可がない限り術の発動は禁じられている。そんなものがどうして姫に・・・・」
サクの宮の顔色が目に見えて色を失い、両の膝で固く握られた拳は小刻みに震えていた。




