第十六話
結局その後、姫の居所がサクの宮の母上に知れたらしく、迎えが来て姫は無理やり連れ戻されていった。
「いち様、驚かせてしまって申し訳ありませんでした。姫はあの通りですが、言ったことはきちんと守る子です。いち様の秘密を誰にも漏らす事はないでしょう」
漸く落ち着き、また4人で話し始めた時サクの宮が真っ先に私に頭を下げてくれた。
「そんな、気になさらないでください。姫は、本当に宮様のことがお好きなのですね」
「恥ずかしながら、歳が離れているせいか甘やかしてしまってね。母上にもよくそれで叱られるのだけれど」
そんなサクの宮の表情に、私は心からの笑顔で返した。
「それはそうと、間もなく姫も成人の儀ではないですか?」
カヤデがうなずいた。どうやらこのアマツの宮の質問はきわどい所をついたらしい。サクの宮が苦笑した。
「そうなのだけれど、どうにも姫が嫌がってね。母上も頭を抱えていらっしゃる。天帝の血を継ぐ者として、それ相応の婿を迎えなければならないのに、婿どころか、髪を結い上げることすらさせてくれない・・と」
「“お兄様”以外の殿方には嫁ぎたくないのではないですか?」
冗談交じりに、アマツの宮が言うと、サクの宮はただ笑って首を振った。
長い間私たちは話し込んでしまった。サクの宮の幼い頃の話、カグヤ姫の話。カヤデたちとサクの宮の出会いの話など、話題は尽きる事はなかった。
その話の中に時折イマチの名前が出てきた。その名を聞くたび、体が怒りに震えたが、サクの宮の手前それを隠した。
どうやら宮は、従兄弟宮のことをそこまで悪くは思っていないようだったから。
話の中で聞くイマチの幼い頃の姿は、誰よりも抜きん出て才を発揮し、将来を有望視された子供だった。
和歌をたしなみ竜笛にいたっては、プロも敵わない腕らしい。
あの容姿から幼い頃から女性に声をかけられることは多かったようだが、驚いたことに未だに結婚はしていないらしい。
理由は定かではないが、どこかに思う姫がいるのではないかと、サクの宮が言っていた。
あのイマチが焦がれる女性とは一体どのような人なのだろうか。
単純に興味がわいた。恐らく好きな姫の前では己の黒い部分は上手に隠し、流麗な恋文でもしたためて愛をささやくのだろう・・。
サクの宮が帰ると、あたりはすっかり暗くなっていた。渡り廊下から空を見上げると、美しい満月が輝いていた。
「いち殿、中に入れ。風邪をひく」
肩にふわりと上着をかけられ、私は後ろを振り返った。
「ありがとうカヤデ。でも、もう少し月を眺めていたい」
天界でも、今更ながら月が見えることに私は驚いていた。
「私は、月が好きだよ。とても温かだ」
闇の中に輝く月は、真昼の太陽よりも私には魅力的に見える。優しく、穏やかに見守ってくれるその光は私の思う母のまなざしに似ていた。
「天界には、天之宮が介入しないもう一つの地域がある。それは月界と呼ばれ、月に守護されている」
「何だか、ロマンチックだね」
月に守られた一族、か。そこにはいつか物語で読んだ竹取物語のかぐや姫が住んでいるのだろうか。
カヤデも天を仰ぐ。その横顔が月明かりに照らされ、いつもよりどこか大人びて見えた。
「元々月界は、許されない恋人同士が手に手を取って天界から逃れた場所だと言われている」
「すごい、やっぱりロマンチックだ。一度行ってみたいな」
「もう一度聞く。私の嫁になる気はないか」
唐突に言われて、私は驚き目を見開いた。けれどカヤデの瞳はとても真摯で、とても冗談で言っているようには見えない。話をはぐらかしてしまお
うかとも思ったが、それもいけない気がした。
「私は、男だよ。カヤデ。ただ、役目だからサクの宮のもとへは嫁くけれど、やはりカヤデの気持ちには応えられない」
「そうか」
そう言い、カヤデは踵を返した。
「もしあなたが私を伴侶として選んでくれるのならば、全てを捨ててあの世界に逃げ込むつもりだった」
「私の、九重の血が天之宮には必要なのでしょう?」
「あぁ。けれどあなたを得ることが出来るのならば、この世界が崩れてしまっても私は構わない」
「カヤデ・・・」
カヤデの後姿を見送りながら、私はこの青年がひたむきに向けてくれている愛情を思った。
それはとても尊いものだけれど、やはり応えるわけにはいかない。
それを恐らくカヤデも承知しているのだろう。承知した上でもなお、カヤデは私を慕ってくれているのだ。
もし、私が女だったら。
そう考える時が最近ままある。
女だったら、母から離されあの部屋に閉じ込められる必要はなかった。女だったら、何の物理的障害もなく私はサクの宮に嫁ぐことができた。
もし、私が女だったら、カヤデの気持ちに応えていただろうか。
―わからない。けれど恐らく、応えなかっただろう。そんな、気がする。何故なら私が九重の妃である限りこの思いは成就してはいけないからだ。
けれど、胸は、カヤデを思うと男の身ではあるけれど少し痛んだ。
私がその痛みの答えを知る為には、私はあまりにも世間知らずで経験がなかった。
恋も知らず、人を慕う気持ちがどのようなものかと考えることもなかった。
私の今まで過ごしてきた人生は本当に色彩のない、モノトーンな世界だった。
私は、カヤデにかけられた上着をぎゅっと握り締めながら部屋に戻った。
月は浮き雲に姿を隠し、夜空はただ漆黒の闇に包まれていた。