第十五話
「ところで、今日かぐや姫はご一緒ではないのですか?いつもどんなに追い払っても、兄上兄上と金魚の糞のように付いて回っているというのに」
場の雰囲気を変えようとしたのか、アマツの宮が普段より少し明るめの声音で言った。サクの宮は先ほどの表情と一変して、おかしそうにクスクスと笑いながら言った。
「金魚の糞とはひどいな。まぁ、確かに似たようなものではあるけどね。今日姫は朝から母上のお説教を受けていたから、その隙に出てきたのだよ」
かぐや姫。サクの宮には妹姫がいたのか。姫の話題が出たとたんにサクの宮の表情がまた和らいだことを見ると、お二人は仲が良いのだろう。
「あのお転婆姫、今度は何をやらかしたのですか?」
カヤデがまだ下にいた頃、よく先川さん・・アマツの宮に“お転婆”と怒られていたものだった。
その、元・お転婆に、お転婆と言われるほどのかぐや姫とは一体どんな方なのだろう。サクの宮の妹宮だというのだからなかなかの美貌を持っているだろうとは想像できるけれど・・。
「母上が大事にしていらした朱塗りの手鏡を、暴れて割ってしまったようだね」
暴れて割った・・・?私は頭の中で、美しい姫が、着物や袖を捲り上げて騒ぐ姿を想像して笑ってしまった。
サクの宮の視線に気がつき、あわててそれを誤魔化したが、宮はそっと
“笑ってくださって結構ですよ”と、耳打ちしてくださった。
「もう13にもなるのだからそろそろ、女性として慎ましやかになってくれたらと願うけれど、こればかりは仕方がないね」
宮は、やれやれと首を横に振った。
「そんな姫がかわいらしくてしょうがないという顔をしている」
「弱ったな、図星を指されてしまった」
カヤデに一本とられた、とでも言いたげにサクの宮は照れてみせた。
「あれとは、実の兄妹ではないけれど、幼い頃から一緒に生活していたからね、もう本当の妹と同じようなものだよ」
「え?実の妹さんではないのですか?」
実の兄妹だとばかり思っていた。サクの宮は、笑って首を振った。
「いいえ。彼女は父上の従兄弟、コワルの宮の姫宮です。姫が生まれて直ぐ姫の母上が産褥で亡くなり、それを追うようにコワルの宮も亡くなられたので、それを哀れに思った母上が、かぐやを引き取ったのです」
「そうだったのですか」
姫の事を話す宮の表情はやはり穏やかで、好感が持てた。
このサクの宮が溺愛している姫、一体どのような方なのだろう。ぜひお会いしたいものだ。
「お兄様!お会いしたかったわ」
そんなことを考えていた時だった。急に甲高い少女の声がして私はあたりを見回した。
宮たちにはこの声に思い当たりがあるようで、お互い顔を見合わせて渋い表情を浮かべている。
―例外として、サクの宮だけはうれしそうな顔をしていたけれど。
まだ童女の姿をした可愛らしい女の子が、部屋に入ってくるなりサクの宮に向って突進していった。
その腕の中に納まると、満足そうに鼻を鳴らした。
「かぐや姫、どうしてここに?」
やはり、かぐや姫だったか。
勝気そうな目をした少女は、件のお転婆姫だった。
その急な登場に驚きはしたが、先ほどまでの噂を聞くかぎりこのような事をしても特に不思議は無いのではと思う。
宮達も承知しているようで、姫の行動をとがめる様子は無い。
「門のところで雑用を片付けておりましたら、何やら可愛らしい泥棒が塀をよじ登っているのが見えましたので、連行してまいりました」
いつの間にか部屋の入口に控えていたあかるさんに、サクの宮は軽く会釈をした。
姫を追って走ってきたのだろうか、あかるさんの息は弾んでいた。
息を一つ二つ吸って呼吸を整えるとあかるさんは深々と頭を下げてそれに答える。
「それはご面倒をお掛けしたね、すまない」
「いいえ、構いません」
あかるさんも、慣れたこととでも言いたげな笑顔を浮かべていた。
「姫、悪い子だ。どうせ一人でお屋敷を抜け出してきたのでしょう?また母上に叱られるよ」
サクの宮の腕の中で、すっかりくつろいでいた姫の美しい髪をなでながら、宮はやんわりと言った。
けれど、それもやはり慣れたことのようで、少しも義兄の苦言は気にならない様子だった。
本当に、妹姫に甘い、仲のよい兄妹なのだなと、私は感心する。
「いいのよ!別に。母上は、私が何をしてもお怒りになるのですもの。だったら私のしたいようにするわ!!ところで・・」
姫は、すっと視線を私のほう向けた。凝視、といってもいい程に見つめられどうしたらいいのかと逡巡していると、サクの宮がかばってくださった。
「これ姫、いち姫様に失礼だよ」
けれど、やはり耳には入らない様子で、私を見つめたまま不機嫌そうに指を差してきた。
「ふーん、あなたがいち姫・・思ったより普通な方ね。これなら、私のほうが美人だわ!!それに、この方、男姫なのでしょう?そんな方がお兄様のお嫁様なんて私嫌よ」
その指先を義兄に制止されて、姫はまた頬を膨らませた。
カヤデがちらりとアマツの宮を見た。
宮は、相変わらずの笑顔のまま、事態を静観しているようだった。
宮達は恐らく、私の正体を、サクの宮のみに明かすつもりだったのだろう。
いくら、サクの宮の寵愛している義妹姫だとしてもその例外ではない。
私も、姫の質問に何と答えてよいか分からず、だた、下を向くばかりだった。
「その話、聞いていたの?」
サクの宮に問われ、姫はうなずいた。
「えぇ、さっき聞こえたわ」
「申し訳ご座いません、お止めしたのですが私の制止を振りきって走っていってしまわれて・・・」
あかるさんの表情が青ざめる。やっと緩みかけていた空気がまた張り詰めようとしていた。
どうしよう。私の秘密を知られてしまった。そんな私の心配も、サクの宮はなんでもないことのように、
「大丈夫ですよ、あかるさん。姫はお転婆ですが、言ってよいことと悪い事の区別はきちんとつく良い子です。ねぇ、姫」
サクの宮は本当に姫を信頼しているのだ。そのサクの宮を信頼しているカヤデたちが、姫を信じない訳にはいかないだろう。
「えぇ!私を見くびらないで頂戴」
そのお転婆な性格ながら、やはり宮の義妹を名のるだけあって姫は自信満々に答えてくれた。
「それは失礼いたしました」
アマツの宮が苦笑する。
「でも姫、いち姫に失礼な事を言ってはいけないよ。この方は私の大事なお妃様。あなたの義姉上になられる方だ」
「でも、男だわ」
サバサバとした姫だ。こんなにも簡単に私の秘密を言われてしまうと、どうにも格好がつかない。
それはカヤデたちも同じようで、顔を見合わせて苦笑している。
「姫、それは言わない約束だよ?」
義兄に優しく諭され、姫はうなずいた。
「・・・わかったわ。ごめんなさい、いち姫」
「いいえ、どうぞおきになさらず、かぐや姫」
ぺこりと頭を下げたそのしぐさに、思わず私も笑みがこぼれてしまう。
本当に可愛いらしい。素直な姫だ。あと数年して、大人の女性のように髪を結い上げたらどんなに美しい人になるだろうかと想像すると、今からその姿を見ることが楽しみだ。