第十話
確かに、姿を変えて私の世界に来ていたとは聞いてはいたが、まさか先川さんの本当の姿が少年だったとは・・・。
「もしかして、あなたがアマツの宮?」
「はい、こちらではそう呼ばれております」
天帝は何を思ってこんな少年を、先川さんのような歳の女性に変えたのだろうか。天帝の判断の基準が分からない・・。
「おやぁ、誰かと思ったら旦那じゃないですか!ご無沙汰ですねぇ」
部屋に、あかるさんの明るい声が響く。
入り口に茶器を置き座ると、あかるさんはわたしたちに向かって深々と頭を下げた。
先川さん・・・アマツの宮もあかるさんに向って一礼する。
私もつられて頭を下げた。
「あかるさん。お久しぶりです。勝手に入り込んで申し訳ありません」
「いいですよ。ここはもともと旦那のお宅だったのですから」
「ありがとう。そう言って頂けると私もこの屋敷に来易いです。ところで・・・」
「はい」
あかるさんは茶器を取ると部屋の中央付近まで歩みを進めた。そして私達から少しはなれた場所に座りなおした。
「カヤデの姿が見えませんが、彼は今どこにいますか?」
「先ほど、いち君様と一緒に一度天之宮からお戻りになってまた慌しく天之宮に参内されましたわ」
「そうですか、ありがとうございます」
そう言い、微笑む姿は歳若いながらなかなかのものだ。かもし出すものがちがう・・というべきだろうか。さすが、先川さんの本体というだけある。
「いち様慌しくして申し訳ございません。私も天之宮に参ります」
アマツの宮は頭を深々とさげると立ち上がった。
もう行ってしまうのかと驚いたが、それはあかるさんも同じようだった。驚いた顔をして宮を見ている。
「−よほどお忙しいようですね。旦那の分もお茶をお持ちしようかと思いましたが・・・」
「ありがとう、ですがすぐに戻ってまいります。お茶はその時にいれていただけますか?」
「はい。わかりました」
会って1日と経たない間柄ではあるけれど、あかるさんがいつも笑顔を絶やさない人なのだろうとは思っていた。その彼女の晴れやかな笑顔が、その時より一層輝いて見えた。
「では、失礼いたします」
宮もその笑顔に答えるように優しい笑みをあかるさんに向けると、音も立てず立ち上がった。
そして軽く頭を下げると部屋を出て行った。
「坊ちゃん、きっと大目玉ですよ」
アマツの宮の衣擦れの音が遠ざかった後、あかるさんがクスクス笑いながら言った。
「どうしてですか?」
いれてもらったばかりの温かいお茶を手に持ちながら首をかしげる。
カヤデの居所はきいていたけれど、特別カヤデに怒っている風には見えなかった。
「旦那がね、あんな笑い方するときは大概怒っていらっしゃるんですよ」
「あんな笑い方?」
「口元だけでフッと笑われたでしょう。坊ちゃんの居所をおたずねになったとき」
「はい、そういえば・・・」
ーよく見ているなぁ、とおもわず感心してしまう。
「きっと、坊ちゃんを連れ戻しに天之宮に行かれたのではないかしら」
「今カヤデは仕事をしているのではないのですか?それなのにどうして・・・」
「理由はお2人が帰ってきたら分かるのではないかしら」
「そうですねぇ・・・」
どうもあかるさんとアマツの宮の間には言葉にしなくても通じ合える部分があるようだ。
あまり人と接してこなかった私にはよく分からないが、それが”情”と呼ばれるものなのかもしれない。
一時間ほどして、カヤデが部屋にやってきた。いくらこの屋敷が天之宮に近いとはいえ随分なとんぼ返りだと思ったが、私の部屋に入ってきた2人の雰囲気はお世辞にも良好、とは見えなかった。
私に挨拶をしてくれた後、2人は黙ったまましゃべろうとしない。私はあかるさんと2人で目を合わせて首を傾げた。
この険悪な状況が嫌で私は恐る恐る口火を切った。
「あの。どうかなさったのですか?」
「申し訳ございません、ご心配をおかけいたしまして。大丈夫ですよ。ただ仕事とはいえ、いち様をお一人にしておくのはいかがなものかと、叱っただけです」
「はぁ・・・」
ー見るからにカヤデの方が年上なのに、年下のアマツの宮がカヤデを叱った?しかも、私を一人にしておいたという理由で?
質問に答えてもらったはずなのに、逆に疑問が増えてしまった。
「オババめ」
それに答えるように、カヤデは口を尖らせた。なるほど、この表情は少女だったころのカヤデにそっくりだ。
「−もう一度言わないと分かりませんか?いち様を屋敷の中とはいえお一人にするな、と?」
口調こそ穏やかだったが、その言葉には刺がたくさん含まれているようだった。
どうしていいのか分からず、私は首をかしげるばかりだ。
「オババめ」
またカヤデが小さく呟く。アマツの宮が”あの笑み”を浮かべてカヤデを見た。
「その口の利き方、何度言っても変わりませんね。困ったものです」
その時、誰かがプッ、と噴出した音がした。思わずその方向へ目を向けると、その音の主はあかるさんだった。
「あーおかしい!!」
あかるさんは首まで真っ赤にしてケラケラと笑っていた。そしてもうこらえきれないとばかりに、苦しそうに言った。
「この光景を拝見するのは久しぶりですわ。背こそお兄様を抜かされましたが、中身ではまだまだかないませんね、カヤデ坊ちゃん」
不機嫌そうな顔をして、カヤデが視線をそらした。
「え・・アマツの宮はカヤデのお兄さんなの?」
2人が兄弟?想像もしていなかったことに私は驚きを隠せない。
でも、あかるさんが言うのだから嘘ではないようだし、何より2人がそれを否定しない。
この世界では私には不自然とみえる、こんな逆転兄弟も普通なのだろうか。
「えぇ、そうでございますとも。アマツの旦那は昔から優秀でいらして、それこそ生まれて10年とたたないうちに、天之宮でお役目を頂き働いていらしたのですから!
九重の家にいち君様がいらっしゃったと連絡を受けて、その優秀さをかわれ若干15歳ながら、いち君様のお世話役に抜擢されたのですよ。
ですからこの世界での旦那の体の成長は15歳の時のままで止まっているのです。
魂が抜けた体は育ちようがありませんからね。まぁ、直にカヤデ様を追い抜くほどに大きく、立派な殿方になられるでしょうけど」
10歳から仕事、しかも政治の中枢を担う仕事をしていたとは。驚かされるばかりだ。
しかし、よく考えると、私はたいして歳の変わらない青年を母のように慕い、ずっとお世話になっていたということか・・・。まったく恥ずかしい話だ。
宮は、居心地が悪そうに軽く咳払いした。
「はい。あかるさんのおっしゃる通り、このような姿をしておりますが、私の実年齢は27歳です。 カヤデは私のようにずっとあちらにいたわけでなく、暇を見ては降りてきていたようなので、体の成長は現年齢とほとんど差はありません。
まったく、隙を見ては勝手に天界を抜け出すのですから、私は天帝に見つかりはしないかと冷や冷やしておりました。原則、下界へは天帝の許可がないものは出入りを固く禁じられておりますので、見つかればどんなお咎めがあるか・・・」
「まぁ、坊ちゃんもてっきりいち君様のお世話を天帝から命じられていたのとばかり・・・」
そう聞いてあかるさんが今度は驚いた。
「いいえ。カヤデは勝手に下界へ来ていただけですよ。そのままの姿では目立ってしまうので、童女の姿に変わるようにとは言いましたけれど」
チラリと横目でカヤデを見ながらアマツの宮はチクリと言った。
「全く、いくつになっても子供のようですからあの童女の姿のほうが、今の姿よりカヤデにはむしろお似合いなのかもしれませんけれどね」
カヤデはぐうの音も出ない、と言う風にそっぽを向いていた。
こうして姿だけ見ていると兄弟逆に見えるが、やはり精神面では宮が圧倒的に上をいっているようだ。私ももし、兄妹がいたのならばこんなやりとりをしたのだろう。
自分より小さな弟や妹の頭をなでてやったり、抱き上げてやったりしてみたかった。
「アマツの宮」
「はい、いち様。申し訳御座いません。兄弟の見苦しい争いをお見せしてご気分を害されましたか?」
私が急に表情を固くし、姿勢を正したので、宮は驚いたのか身を軽くこちらに乗り出してきた。
「いいえ、そうではなくて、私はあなたに謝らなければいけないと思って」
手を床につき私は頭を深く下げた。この世界の作法はよくわからない。けれどこれが私の知る最大限の謝罪の作法だ。
「宮の大事な成長の時に、知らずとは言え、私の面倒など見させて申し訳ありませんでした」
自分より後に生まれたはずの弟に、いつの間にか背も、体格も抜かされて、兄として弟を可愛がる時間すら奪ってしまったのは、この私だ。
しかも彼は、十代の一番花のあったであろう季節を私の為に棒に振ったのだ。
お役目だったとはいえ、申し訳ないではすまない。自分ばかりが九重の家の被害者だと思い込んできた自分が恥ずかしい。
宮はふっ、と優しい笑顔を浮かべて私の手をとった。
「どうぞ、お顔を上げてください。いち様。私はあなた様のお世話をさせていただいた事、本当に誇りに思っております」
「でも・・」
宮は静かに首を振った。部屋の中が、しんとした空気に包まれた。
「いち様、あなた様は私が思った以上に、優しく、芯の通ったお人に育ってくださった。私は、そんなあなた様の日々の成長を傍で拝見する事が何よりの幸せでございました」
そう言って笑った宮は、確かに私を長い間育ててくれた先川さんのそれだった。少年の向こう側にみた母の面影は、私の心をじんと暖めてくれる。思わず涙があふれそうになって、私は空をあおいだ。
「何よりいち様は、この世界にとって、待ちに待った待望の妃候補。天帝は、妃に支えられてこそ、その激務をこなす事ができるのです。
長い間正しく妃になる娘が現れなかったせいで、天帝の力は代を重ねるごとに弱まり、今ではこの都を維持するだけで精一杯になってしまいました。
例えあなた様が男の身であろうと、その左腕に現れた証は紛れも無く妃としての適正を表すもの。もし男だと結婚後天帝に知られたとしても、あなた様を無下にはなさらないはずです」
カヤデが兄の言葉に強くうなずいてみせた。
「一度交わした結婚の約束はめったなことがない限り取り消されない。ましてや東宮と九重の妃との婚姻ならなおのこと。だから、いち殿が男であると言うことは最悪結婚の儀まで隠し通せればいい」




