第一話
私には、いつまでこの部屋で生きなければならないのか。
幼かった私は、父に手を取られこの家の、九重の家の門をくぐった。周りを木に囲まれて、昼間でも薄暗いこの屋敷は、俗世から隔離された牢獄だった。その一室に閉じ込められて12年が過ぎようとしていた。
多くの使用人に傅かれ、衣食住の不満は何もない。けれど、6歳の春まで私は母と共に普通の生活をしていたように思う。
私が何故、この立派な屋敷に突然閉じ込められることになったのか。それは全て身に流れる呪われた血のせいだった。
私の体に異常な模様が現れたのは、私が6歳の頃だった。当時、父と母は離婚していて、私は母に引き取られ小さな田舎町に二人で暮らしていた。
貧しくも、母と二人平和に穏やかに過ごしていたある日、左手の甲全体に、真っ赤な花の形をした痣が突如浮かび上がった。それは、痛みも、痒みも全く伴わなかった。どこかでぶつけただけだろうと、母は笑っていた。
だがそれは日を追うごとに鮮やかさを増し、知らぬ間に、左肘にまで痣の範囲は広がっていた。まるで、私の腕を軸に蔓を巻いていく朝顔の花のように。
母に連れられて来た病院でも、医師は首を傾げるばかりで原因は分からなかった。
しかし私の痣が大きくなるにつれて、母の顔色は悪くなっていき、夜隠れて一人で泣いているのを私は見た。何故母が泣くのか分からなかったが、もしかしたら私がこうして軟禁生活を送らされることを知っていたのかもしれない。
父から掛かってきた電話が、私の運命を決定付けた。
電話で何か母は父と言い合っているようだった。電話口で、母は泣き崩れていた。今となっては、母の顔さえおぼろげになってしまったが、そんなことばかり記憶に残っている。
しばらくして、家に父が現れ私はこの家に連れてこられた。それ以来、両親には会っていない。もう、一生会えないかもしれない。今更母を慕う歳でもないが、やはり会えるものならもう一度会いたい。
けれど、私はここで生き、老い、やがて朽ち果てさせられるのだろう。
「いち様、お夕食をお持ちいたしました」
深々と頭を下げ老婆が引き戸を開けた。見慣れた私専属の使用人の一人
だ。若かりし頃の美しい姿を彷彿とさせる、未だ劣らぬ容姿と、優雅な物腰は彼女がそれなりの家柄の出身であることを想像させる。
「いい、食欲がないんだ。申し訳ないが下げてくれないか?」
「はい、畏まりました」
パタリ、と戸が閉まった。と、同時に重い金属音がした。鍵がかけられたのだ。
私はこの10畳にも満たない私室から出ることが許されていない。唯一自由になるのは、この部屋についている小さな庭のみだ。
今年で18になるが、大切な成長期に十分な運動をせず、太陽もろくに浴びなかったせいか、私の体は極端に細く、白い。
この貧弱な体が憎くてなまらないが、最近食欲が全くでない。これではまた痩せてしまうと思うのだが、食べ物が口を通ってくれないのだ。
使用人は私のことを“いち”と呼ぶ。だが、それすら私の本名なのかわからない。
私は何の為にここで暮らさせられているのか、どうしてこの間から出ることを許されないのか。
その疑問は永遠と私の中に渦巻き、答えを求めて全身を廻る。
何度かこの部屋に来る使用人に尋ねたことがある。だが、決ってこう答えるのだ。
「いち様は、居てくださるだけでよいのです」
いっそ死んでしまえたら、とさえ思う。黄泉の国に籍を置けば、真実は容易に手に入るのかもしれない。だが、小さな木の机と鏡台しかないこの部屋では、命を自ら絶つことさえままならない。
縁側に続くガラス戸を開け放ち、私は畳の上に横になった。板張りの何の変哲も無い天井が目に入る。風が、さらりと頬を通り抜けていった。膨大に有り余る時をどのように消費しようか考える。
だが、答えなど出るはずが無い。いくら“様”付けで呼ばれようと、使用人を持っていようと、私はこの家に巣食う物言えぬ幽鬼にしかすぎないのだから。
不意に、涙が零れた。考えても想像すら出来ない、自分の未来の姿。もう、誰でもよかった。この場から自分を助け出してくれるのならば、鬼であろうが、悪魔であろうが構わない。
鍵が開けられる音がして、私はあわてて涙をぬぐった。食事の時間でもないのに、人が訪ねてくるなど珍しいことだ。
起き上がるのも面倒で、入口に背を向けたまま背を丸くした。扉が開き、無言のまま誰かが近づいてくる気配がした。
この部屋に、挨拶もなく入りこんでくる者は、私が知る中で一人しかいない。