第一章⑤
二人きりになった取調室で、沙依と裕次郎はこれからについて話し合うべく向き合っていた。
「君は確証が持てたら話すと言っていたけれど、でもね。僕としては、君を磁生に会わせる前に、君の考えを聞いておきたいんだけど。とりあえず、君はいったいあの腕輪を見て何を気付いたの?彼が天帝討伐戦に参戦しているかどうかは重要なこと?」
そう問われて、沙依は解らないと呟いて、少し考えるような素振りをしてから口を開いた。
「重要なのは、功君が参戦したかどうかじゃなくて、天帝討伐戦の結末、かな。功君が参戦せず、あの腕輪が使用されることがなかったって事は、天帝討伐戦の結末はわたしが知っているものと違うはず。そもそもそれがあったかどうか。たぶん、それが起こらない事はないと思うけど。そもそもが、アレに心を壊されて操り人形になってしまった天帝を止めることが春麗さんの目的で、あの時、郭さん達もそのために動いてたんだから。功君が参戦しなかった戦況は、わたしが知っているそれより苛烈を極め、厳しいものだったって想像は難くない。郭さんが亡くなった恋人の夢を見るって言ってたって、功君は言ってた。きっと春麗さんは天帝討伐戦で死んだ。参戦した人達の実力がわたしの知っているそれとさほど変わらないのなら。そして、功君以外に誰か実力のある助っ人を用意できなかったというのなら。きっと、最後は春麗さんが天帝と刺し違えるような形でどうにか勝利したんじゃないかな。それこそ、自分の魂さえも犠牲にしてなんとか。それが正しければ、ここに来た功君達がいた時間では、春麗さんの魂は失われている。そして郭さんは夢で春麗さんに呼ばれた。それを渇望するほど強く郭さんはその夢に惹かれていた。そして本当に引き寄せられてしまった。それにその場にいた人達も巻き込まれた。そういうことじゃないのかなって思うんだ。」
そんな沙依の見解を聞いて、裕次郎はあからさまな溜め息を吐いて、もう少し僕にも解るように説明してくれないかなと言った。
「少し情報を整理させてもらうよ。君は、郭と春麗という人物が再会する未来は厄災なのではないかと考えている。しかし、それがどういった厄災なのかは解らない。つまりそれによる被害を予測することができないかつ、そもそも厄災ではない可能性も考えられる。それはあってる?」
「うん。」
「でも君は、君が無自覚にそれを視てしまったというところに重きを置き、それが自分の身近な所に大きな災害を及ぼすものであると考えていて、それを阻止しなくてはいけないと考えている。そのため、郭の現在地を突き止める必要があると考えている。」
「うん。」
「君は、天帝討伐戦の結末が重要だと言った。それはその結果ではなく、そこに参戦した春麗の生存の有無。いや、その魂の存在の有無が問題って事でいいの?」
「そういうこと。彼女はわたしと同じ様に神様の欠片。最初からこの形をあたえられて、器自体も神様の一部なわたしと違って、彼女のあたえられた形は魂。人と同じように輪廻を流れ、人と同じように誰かと巡り会う事を望まれた存在。絶対に自由になれないある神様が、愛した人と巡り会い共にあることを願ってこの世に流した存在。その神様の想い人の魂を郭さんは持っている。郭さんの魂は、神様と契り神様に祝福された特別なもの。本人にその自覚はなくても、本人は覚えていなくても、一度神様と契った人間はその宿命から逃れられない。郭さんの魂は契った相手である神様のもの。この世に在って、郭さんが心の底から求め愛することができる相手は、その神様の欠片である春麗さんだけ。春麗さんと同じ魂を持った誰かだけ。それ以外の誰かとは、添うことはできても心の底から愛し合うことはできない。そんな特別な相手を永遠に失った。そんな郭さんが、夢でもその相手に呼ばれれば、それを求めてしまうのは必然。そしてこの時間では、春麗さんは生まれてきても天上界のお姫様。わたし達と同じ永遠に近い時を生きる事ができる身体を持ち、そしてかつてわたしが視た未来のような厄災に見舞われることなくきっと、天上界で平穏に過ごすしかないお姫様。郭さんと巡り会うためだけに流された春麗さんが、ここではその相手と巡り会うことができないままただずっと永遠に近い時を生き続けなくてはいけない。春麗さんもまた、神様の契りに縛られてる。記憶がなく自覚がなくとも、心の底で郭さんと巡り会うことを切望してる。それが神様の意思だから。それに抗う事なんてできない。だから神様の縁で繋がれた魂が、お互いを切望し、呼応し、引かれて、それにより神様の力が行使され本来越えることのできない境界線を越えてしまう道を作り出してしまった。そしてこれが起きた。そういうことじゃないかなって思うんだ。」
「つまり君の考えでは、郭は天上界にいると?」
「多分。まだ確証はないけど。そもそも、本当に春麗さんが天上界に生まれてきてるのかも解らないし。それが事実だとしても、天上界にいるなら、地上の子であるわたし達はそうそうに手が出せない。下手に手を出せば、天上と地上の均衡が崩れてしまう。天上と地上、お互いお互いのことには極力干渉しない方が良いというのが、この時間軸での共通認識。だから、慎重に事を運ばなくてはいけない。」
「そうだね。厄災かどうか解らない未来を阻止するより、そのために君が勝手に動いて均衡を崩される方が僕達にとっては大問題。そんなことを強行しようとすれば、それこそ確実に君は粛清の対象になる。」
「だから、わたしは下手に動けない。ちゃんと情報を集めて、何が起きようとしているのか見極めて、わたしが視たものが確実に皆に大災害を及ぼす厄災だと解るまで、郭さんを探しに行くことはできない。じゃないとナルは、わたしを粛清対象にしないために、わたしがしようとすること全てを邪魔してくるでしょ?そして、龍籠にいる皆がわたしの敵に回る。この場合は、コーエーも絶対味方になってくれない。隆生やシュンちゃんも。そうしたらわたしは何も動けなくなる。そうなって本当にわたしの視たものが厄災だったなら、わたし達はなすすべなくそれを受け入れるしかなくなってしまう。勘だけで動くにはリスクが高すぎる。それは避けないといけない。つまり、ナルがわたしに指令書をよこしてきたのは、わたしにそれを認識させて軽率に動かないように警告をするといった意味合いと、ユウちゃんの下にわたしを置くことでユウちゃんにわたしを監視させるため。でしょ?きっと磁生がここに現れた時点でナルはわたしが何かしらの行動を起こすことを予測していた。そして、わたしの行動を抑止する準備が整うまでわたしが勝手に動かないように、ナルは磁生がここに現れたという情報がわたしの耳に入らない様に情報規制をしてた。」
「ご名答。そして解っているだろうけど、僕には君の監視と共に、君の援護を期待されている。合法的に君が目的のために動ける状況を作り出すこと。そして君の安全を確保すること。それがあの人の意思。そのための手段がこの指令書。これはあの人が君にあたえた恩恵だ。本当、うちの隊長は君に激甘で困るよ。あの人は君のためなら苦労も苦じゃないのかもしれないけど、巻き込まれるこっちの身にもなってほしいものだね。でも、まぁ、君の妄想が杞憂とは限らないから、対策できるなら対策するに越したことはない。仕方がないから、命令通り僕は君の手伝いをしてあげるよ。」
そうどうでも良さそうに口にした裕次郎に、沙依はありがとうと言って微笑んだ。そして、不安げに視線を少し落として口を開く。
「ユウちゃん。思うんだ。今のわたしには一つの未来しか視えない。それってさ。今この時には、その一つの可能性しか存在していないって事なんじゃないのかなって。それは絶対に確定されている未来で、それを止めることはできないんじゃないかって。なら、わたしにできることなんて今の時点でもうなにもないんじゃないかなってさ。結局これが厄災でも、わたしはただこのまま何もできず、今視えている運命を受け入れるしかないのかななんて思わなくもないんだ。」
そう言う沙依を見て、裕次郎があからさまな溜め息を吐く。
「情報収集系統の能力者。特にその能力が優秀な者にありがちなことだけど。自分が把握できることが全てだと思い込んでそれに縛られてしまうことは愚かなことだよ。そのもっともたる例を、君は間近で見てきたでしょ。その愚かな行為をやめさせるために、君は、いや君たちはどれだけ奮闘してきたの?一つの未来しか視えないからって、それ以外の道を諦めたら、君が止めようとしたいつかの誰かと同じじゃないか。そんな誰かさんみたいに君はなるつもり?それ以外の道があるとは考えず、それだけが絶対に正しい道だと頑なにその一つの未来に向かうことを望み続け、勝手に運命を決めつけそれに他者の運命までも当てはめて、全ての行く先を一方的に決めつけ強制する。そのせいでどれだけ多くの犠牲が出たのか。どれだけの不幸が生まれたのか。彼があんなことをしなければ起こらなかった悲劇を、君はその身をもって知っているよね?僕は運良く救われた。でも、救われなかった者がどれだけいるか。今もまだ傷を抱え続けている者がどれだけいるのか。彼の改心でいくら今がどれだけ平和だとしても、僕は彼のしたことを今でも許せないし、彼を恨んでる。でも、彼には彼の信念があったことも理解している。たとえその行動が大間違いだったとしても、彼にはどれだけの犠牲を払ってでも叶えたい望みがあった。護りたいものがあった。そんな彼の願いが完全なる間違いだったとは僕には言えない。だから僕は、許せなくても受け入れることができている。あんな悲劇を巻き起こした彼と同じように、一つの未来しか目に入らずにそれに向かうにしても、その未来を目指す目的もやる気もない分、今の君の方がどうかと思うよ。やり遂げる気がないのなら、リスクばかりが大きいそんなものに人を巻き込んで欲しくないね。そもそも、君が言うであろうワガママを叶える為に、あの人がどれだけの苦労をし、僕達がどれだけの労力を割いてると思ってるの。やる気がないならそれこそ余計なことは一切言わずに口を噤んで、何もしないでいて欲しいよ。その方が余計な労力も使わないし、煩わしい想いもしなくてすむ。」
大して感情の籠もらない声で淡々と、でも少しだけ怒りをにじませてそう沙依を一度突き放してから、裕次郎は少しだけ表情を和らげた。
「でも、それが厄災だと思うなら、それが大切なものを害するモノだと思うなら、例えそれ以外に道が見えなかったとしてもそれを回避するため足掻くのが君じゃないの?ねぇ、思い出してごらん。いつか、ここではない何処かの未来の君が言っていたでしょ。実際にそれが起こるその瞬間までどうなるかは解らない。ちょっとしたことで未来なんて大きく変わってしまうものなんだとね。一つの未来しか視えないからといって、実際にまだそれが起きていない以上、本当にそれしか可能性がないのかは解らないじゃないか。実際に、君は昔、青木行徳の精神支配の影響下で視れる未来を制限されていたでしょ?それと同じように何らかの影響でそれしか視えなくなっている、それだけのことかもしれない。だから、一つの未来しか視えないからとそれに縛られる必要なんてない。考えてごらんよ、今の君は、一つの未来しか視えなくなっている以外は、とても恵まれた状況にいる。不安を一人で抱える必要も無ければ、私的な目的のために公的機関を利用して動ける権限を得てるんだから。君は元来強欲でワガママだ。だからいつもみたいに使えるものは全て利用して、全てが上手くいく理想の未来を勝ち取ってみなよ。そのために、くれぐれも行動は慎重にね。」
そう言う裕次郎に真っ直ぐ視線を向けられて、沙依は気が抜けたように小さく笑った。
「そうだね。ありがとう、ユウちゃん。全てが上手くいく未来なんてものがあるかどうかすら解らないけど、でも、わたし頑張るよ。未来が確定するその時まで、足掻くだけ足掻いてみる。」
そう言う沙依を見て、裕次郎も小さく笑い返した。
そして、これからのことを簡単に打ち合わせし、磁生に会うために取調室を後にする沙依を見送って、裕次郎はそこに誰かがいるかのように何もない空間に視線を向けた。
「彼女は単純だ。これでしばらくは時間稼ぎできるだろうけど、正直、僕にはこんなこと意味がないように思うよ。過保護に事実から目を逸らさせたところで、結局彼女自身の運命は変わらない。青木行徳が君に能力を返したのは、こんなことをさせるためではないと思うけどね。」
そんな裕次郎のぼやきに対し、裕次郎の頭の中に返事が返ってくる。
『どうせ沙依には何もできない。なら、何も知らないままでいる方が良い。』
「それは君の見解であって彼女の意思じゃない。うちの隊長も表面上は同意してるみたいだから、僕も今のところは従うけれど。でも、青木行徳は違う意見なんじゃない?だから、彼女に沢山のヒントをあたえているし、彼女がそれに気付き、自分を追えるように道も作っている。何も知らないままその時を迎えるより、知って足掻けるだけ足掻く方が彼女にとって良い気がするけど。まぁ、僕は彼女の身内でも友達でも何でもないしね。それは僕が気にすることじゃない。でも、このままでいてその時を迎えたとき、うちの隊長が後悔しないのか、それだけは気になるよ。うちの隊長はぶれない。例え相手が最愛の妻であっても、他と同じように平等に天秤に掛け、平等に切り捨てる。それで自分がどんな思いをすることになっても。隊長が君の横暴を黙認しているのは、あの人には世界を切り捨てるという選択肢ができないからだ。彼女を失うしか選択はないのに、それ以外を求めてしまわないように自制するため。そして彼女が事実に気付いて、犠牲にならない未来を選択させないためでしかない。僕はもうあの人が苦しむ姿を見たくない。でもそれを回避できないなら、同じ苦しむでも、後悔しない選択をして欲しいと望むよ。彼女の意思を一切無視して、彼女を騙して他に目を向けさせて、そのために精神にさえも働きかけて。彼女が感じている不安は、厄災が起こる未来しか選択できないのではないかという恐怖から来るものじゃない。本当は、もっと根源的なもの。彼女自身が昔から持っているもの。それを君の精神支配の能力でそんな風に勘違いさせて。それが彼女のため?ただ君が向き合いたくないだけでしょ。例え迎えるのは同じ結果でも、そんな風に彼女を蔑ろにして迎えた未来を、あの人は受け入れることができるのか、僕はそれが心配だ。だからといってあの人に、世界のために消えてくれと、本当は失いたくない大切な人に告げさせるのも酷だとは思うけど。でも、あの人にだってそのどちらを選ぶのか自分で決める権利はあると思う。だけど君は、君が望まない行動を誰かがとることを許してくれないんでしょ。あの人から、その時が来るまで彼女とどう過ごすのかを選ぶ権利さえ奪って。一体君は何様なんだ。本当、君たち青木の双子のことは好きになれない。青木行徳のことも君のことも僕は大嫌いだ。」
そう忌々しげに吐き出す裕次郎の言葉に、もう何も返事は返ってこなかった。