第一章③
緊張した面持ちで取調室の中に入り警戒した様子で裕次郎を見つめる春李をよそに、裕次郎は、とりあえず二人の拘束といてお茶でも淹れてよと言って、皆にくつろぐように言った。
「あんた何企んでるの?」
お茶を差し出しながらそう言う春李に、裕次郎が心底呆れたように企むも何も仕事に決まってるでしょと答え、お茶を受け取った。
「まぁ、とりあえず。通常通りの取り調べを始めようか。」
そう言って裕次郎が功に視線を向ける。
「君もお茶飲めば?気楽にいこう。何もなければ何もしないから。」
そう言われて、功は緊張した面持ちでハイと答えた。
「まず、君の名前から教えてもらおうか。」
「楊功です。」
「年齢は?」
「覚えていません。」
「なんで自分の年を覚えていないの?」
「とうの昔に自分の年を数えることをやめてしまったので。修練で、人間である自分への執着を捨てるようにと、色々なものを捨てました。年齢もその一つです。人間であることに未練を残しては、人の領域の外側に辿り着くことはできない。仙人になるためには、まず人であることへの執着を捨て、その未練を断ち切ることを求められ、僕は言われるがまま年を数えることも、親兄弟や親しかった友人達、良くしてくれた大人達のこと想わないように、思い出さないようして。だから僕は、もう人間だった頃のことでハッキリ覚えているのは自分の名前だけなんです。名前は最後に捨てるもので、僕は最後までいけずに破門されてしまった。だから、中途半端に自分の名だけ覚えてる。自分の名しか解らない。それ以外は、自分が何処の誰でいったい何者だったのか、もう僕には思い出せません。」
「つまり君は、元々は人間であったけれど、修練を積むことで人間から離れた存在になったということ?」
「そうです。僕はもう人間じゃない。少なくとも数百年は生きています。」
「さっき途中で破門されたと言っていたけれど、修練を最後まで終えなくても人間をやめることができるものなの?」
「そうなんでしょうね。どういう原理で人間をやめることができるのかは、未熟者の僕には解りませんが。ひたすら修練に励む日々をおくる中で、ふと気付くと僕は年を取らなくなっていました。仙人にはなれなくても、年を取ることがなくなった僕は、やはりもう人間とは呼べるものではないのでしょうから。」
「ふーん。じゃあ、どういう理由でここに侵入したの?君の目的は何?」
「目的なんて。僕は、何も。侵入したも何も気が付いたらあそこにいた感じで。どうやってここに来たのかも全然。何も解らないし、何も覚えていません。」
「それを信じろと?」
そう裕次郎に見据えられて功は萎縮して言葉を詰まらせて俯き、信じてもらえないことにはしかたないですとぽつりと言った。そんな功を見て、裕次郎が沙依をちらりと見てからまた口を開く。
「話を変えようか。ここに来た目的も侵入方法も不明。名前以外の身元もハッキリしない。しかもただの人間ではないと。不審なとこだらけな挙げ句、脅威になる可能性有り、と。今のこの状況で、君を自由にすることは難しい。さぁ、どうしようか?とりあえず、君という人間を判断するのに情報が足りなすぎるから、君のこと、もっと詳しく教えてくれる?本当に、後ろ暗い事が何もないなら、ね。」
そう言われ、功が俯いたまま小さな声ではいと答えた。
「人間だった頃の記憶はない、と。じゃあ、人間じゃなくなってからの君のことを教えてもらおうか。」
「人間じゃなくなってからの僕、ですか。特にこれと言って何も。師事していた仙人に破門され、追い出されて。人でなくなってしまっていた僕には行く場所も、帰れる場所もなにもなくて。途方に暮れていたところをたまたま見付けてくれた別の仙人に拾って頂き、事情を知ったその人が僕を弟子として受け入れてくれました。師匠は変わり者で。僕以外に弟子もなく。師匠自身自分の名前を捨てることができないまま、仙号で呼ばれることを嫌い、人だったときの名で自分を呼ぶように人に言うようなそんな人で。だから僕も、師匠の所に行ってからは何も捨てろと言われませんでした。ただただ色々な知識や技術を教えて頂き、師匠と過ごす日々は穏やかで、暖かで、とても居心地が良くて。それまでの門弟生活と全然違っていて、自分はこんな風にしていていいのかなんて不安になるくらい、幸せでした。そんな不安を口にすれば師匠は、自分も弟子を取るのは初めてだからどうするのが正しいのかよく解らないんだなんて言っていました。他のとこはどうだか知らないけど、自分達は自分達の師弟の在り方で良いんじゃないかって。時間はたっぷりあるんだから、自分達なりの正しい師弟の在り方を二人で模索していけば良いなんて、そんなことを言っていたけれど。型に嵌められず、自由で掴み所がなくて、ふわふわしてるのに何処か危うい。いつもここじゃない何処かを見ているような、ここじゃない何処かにいるような、存在がおぼろげで現実感がない。そんな師匠だったので、僕はいつも不安でした。目が覚めたら何もなくなっていて、師匠と過ごしていた時間は全部夢になっているんじゃないか。目を離したら師匠はいつの間にか消えてしまっているんじゃないか。師匠と過ごす時間は全て、ただ自分が見ている夢幻なのではないか。そんな不安が拭えずに、師匠にはよく、功君は未熟だねと笑われました。いつかわたしのもとを離れていくのだから、いつわたしが消えてしまっても心乱されないようにならないと。知識や技術は申し分なく付いても、功君はまだまだ手が離せなさそうだなんて。今思えば、あれは師匠なりの修行の付け方だったのでしょうか。でも、僕は未熟なまま、結局師匠のもとを卒業することができないまま、ある日、師匠が大きな問題を起こして懲罰を受けることとなり、師匠は僕の前からいなくなりました。その時、師匠の数少ない友人の一人に、師匠はもう死んだのだと、戻ってくることはないと言われましたが、僕はそれを受け入れることができなくて。師匠の帰りをただずっと待ち続けていました。師匠が帰ってきたとき呆れられないようにと、一人で修練を積み、研究を重ね、家を清潔に保って。ただずっと、ひたすらずっと師匠の帰りを待ち続けていました。戦火に巻き込まれることとなったあの日まで。僕が師匠の帰りを待ち引き籠ってる間も、外の世界はめまぐるしく情勢は変わっていて、気が付いたときには自分が住んでいた場所も戦場になっていました。人間社会の戦争に仙人が深く関わり、それは仙人同士の戦争にまで発展して。師匠は最強の仙女と謳われるほどの方だったので、僕の所にも戦争に参加するように要請が来ました。師匠は死んでなどいなくて、罰を受けて封じられているだけだと言われました。僕の戦果しだいでは、また師匠を自由にしてやっても良いと。でも、何もできなかった。結局、僕は何もしなかった。あの場にいたのに、僕は動けなかった。本当の殺し合いを目の当たりにして、僕は身がすくんで、震えるばかりで。師匠を見殺しにしたんだ。師匠は、外の状況を知って、自力で無理矢理内側から封印を破って。そんな無茶をしてまで出てきて、戦って。皆を護るために戦って。戦って。でも僕は。僕は何もできないまま戦争は終わってた。戦争が終わっても師匠は戻ってきませんでした。確かにあそこにいたのに。僕の前に現れて、僕を助けて。大丈夫だからって、これで全部片が付くって。功君は平和になった後を築く人だよ。戦わなくていい世界で、戦わなくていい社会を。だから今は、自分が生き残ることだけを考えなさい。生きていれば先は繋がるって。そう言っていた。でも、師匠は帰ってこなかった。だから師匠は。あの戦いで・・・。」
そこまで話して、功はぐっと拳を握って何かを堪えるようにぎゅっと目を瞑った。暫くそうして、少し気を落ち着けて、功が口を開く。
「その戦争後、住んでいた場所もメチャクチャになってしまったので。僕は、戦中に知り合った師匠の古くからの友人だという人のもとに身を寄せて、彼の下男のようなことをしていました。彼も師匠と同じ変わり者で、実力はあるけれどあまり表には出ないし、仙人嫌いの仙人と有名な人で。彼を頼ってくる人も少なくなかったんですが、それを厭う彼の代わりに僕が客をあしらったりと。そんなことをしていました。」
そう語った功を眺め、裕次郎は興味なさげにふーんと言った。
「嘘は吐いてないですよ。全部、本当の話です。」
何を思ったのか焦ったように顔を上げてそういう功に、裕次郎は別に疑ってはいないよと返した。
「今の話しによると、君は、その目で直接君の師匠の死を確認していないってこと?」
「はい。でも、師匠の死に際に立ち会ったという人に話しを聞いたので。今回は間違いないと思います。」
「っそ。君の師匠は、その戦争の際に亡くなったと。因みに、君の師匠の死に立ち会ったという人物は誰?」
「なんでそんなこと?あなたたちとは関係ない人だろうし、僕がここに来たこととも関係ないんじゃ・・・。」
「いいから。君はきかれたことに素直に答えれば良いんだよ。訊かれたことの意味なんて、考える必要は無い。」
そう釘を刺されて功はその底知れない威圧感にぐっと息を呑み込んだ。
「磁生さんです。師匠とは戦争の最中に知り合ったそうなんですけど。ちょっとした経緯があって、戦中師匠と行動を共にする事になったそうです。それで、師匠の死に立ち会うことになったと言っていました。」
「磁生ね。君は彼もここに来ていることを知っているよね?さっき、外で話していたときに名前が出ていた。なのに、なんで僕達とは無関係で、君がここに来ることになったことと関係がないなんて思ったのかな?それともなにか隠してるの?」
そう突っ込まれて、功が顔色を青くしてそんなわけじゃ、と言い淀む。
「すみません。色々訳がわからなくて。師匠にそっくりな人は師匠じゃなくて、でも僕のことを知っていて。でも僕とは初対面だって。実際、僕の知ってる師匠とは雰囲気が違うし、別人みたいで。でも、やっぱ師匠っぽくて。訳がわからない。今の状況も。何がどうなってるのか、どうしてこうなってるのか。なんで僕はここにいて、どうすればいいのか。何をどう言えば。僕は・・・。訳がわからない。」
そう言って頭を抱える功を眺め、裕次郎はまたちらりと沙依を見てから功に話しかけた。
「安心して良いとは言わないけれど。この場は情報を整理するための場だ。僕達にも状況が解らない。だから、君から話しを訊いている。君が正直に訊かれたことに答え、それに嘘偽りがなく、また君が僕達に害をもたらさないのなら。君に大きな不利益がもたらされることはない。君がここにどうやって来たか解らず、帰ることができないというのなら、その問題が解決するまでここに留まり生活できるように手配もしよう。最初は窮屈な思いをするだろうが、うちは昔から移民が多い国柄で、外の者を受け入れることに寛容且つ、そのための制度が整っている。衣食住については心配することはない。そういう意味では、原因がわからないとはいえ、ここに現れたのは幸運だった。そして、死傷者を出さないように交戦していたこと、素直に投降に応じたことにより、君は今のところ悪い印象は持たれていない。どういう経緯があったか知らないけれど、うちの第一主要部隊の隊長と交戦になり、ボコボコにされてから縛り上げられて連行されてきた、もう一人の彼に比べたら、ね。君を解放するための手続きは速やかに進められるよ。だから、そう怖がらずにもう少し話しに付き合ってくれる?」
そう言って、裕次郎が春李に視線を向ける。
「さてと。こっちの彼はちょっと休ませてあげて、今度は君の聴取を行おうか?」
そう言って春李に向き直ると、裕次郎はだるそうにその口を開いた。
「君には、加重暴行の容疑がかかっている。どうしてそんな容疑が掛けられているのか、君は心当たりがあるよね?」
そう見据えられて、春李は気まずそうに視線を逸らした。
「目を逸らしたって、君は無傷だったのに相手は酷い打ち身だらけで、あきらかに戦闘による負傷ではなく、侵入者の彼の方が一方的に暴力を振るわれたことが明白だという事実は消えないからね。報告書の内容では、侵入者を発見した君が通常通りの警告を行い、それに応じなかったので交戦、そして拘束に至ったとのことだけど。何か訂正は?」
「交戦はしてない。警告は彼を殴った後で。わたしは伸びてた彼に規定通りの警告をし、拘束連行した。彼は抵抗もしてないし、何もこちらに害を及ぼす行動はしてない。彼はこちらに対する敵対行動を一切していない。だから、彼は危険人物じゃないわ。」
「つまり、君は虚偽の報告を行ったと?」
「わたしは警告無視で戦闘したなんて報告してない。そもそもわたしは口頭報告のみで書類は上げてないから。あの日はわたし非番だったし。拘束して本部に連れてって身柄を引き渡して、後は当直の人に任せた。その時に、ちゃんとどこで発見したとかその時の状況とか伝えた。あの人を殴った経緯は話さなかったかもしれないけど、ちゃんとあの人が無抵抗で投降したことは伝えたし。あの人の立場が悪くなるような報告はしてない。でも、記録書いた人があの人の怪我の状態見て勝手にそう判断してそう記録したのかも。」
「つまり、記録作成者が君の立場が悪くならないように勝手に忖度してそうなったと。まったく、そんなすぐバレる虚偽の報告書を作成するなんて、君の部下は馬鹿だね。その行動で、自分自身も、自分が所属する部隊の隊長の首も締めるようなことになるのに。これは君の監督責任が問われる問題だよ。解ってる?これを些細な問題だと捉えずに、隊長として、この落とし前は君にしっかりつけてもらおうか。虚偽の報告書を作成した君の部下への処罰をどうするかは君に任せるとして、君にどんな罰を受けてもらうかは、君の嫌疑の詳細を明らかにしてからにしようか。」
そう言って一つ息を吐くと、裕次郎はまた口を開いた。
「君の話によると。君は侵入者を見付けたにも関わらず、規定通りの対応はしなかった。それどころか、無抵抗な相手に一方的に暴力を振るい怪我を負わせ動けなくした上で、形ばかりの警告を行い縛り上げて連行してきたと?それならそれで大問題だね。」
「一方的って・・・。いや、間違ってはいないかもしれないけど。でも、あれは、自己防衛だから。確かにあの人は抵抗してないけど。でも、殴られるようなことしてきたから殴ったの。だって、その。いきなり抱きしめてなんかくるから、咄嗟に手が出ちゃったのよ。自分は未来から来たとか、わたしが亡くなった奥さんだとか、訳がわからないこと沢山言ってくるし。混乱してんだか何だか知らないけど、好きだのなんだの言って、あんな・・・。詰め寄ってきて。その。それに。だから・・・。」
そうぶつぶつ言って真っ赤になった顔を俯ける春李を見て、隆生が呆れたように、何が起きたか手に取るように想像できるわと呟いた。
「普段なら一発食らわして終わりなのに、お前、パニクってメチャクチャ殴りまくったんだろ。いくら男慣れしてないからって、ちょっと言い寄られたぐらいで、フルボッコにするなよ。そんなんだから恋人の一人いつまで経ってもできねーんだぞ。チビなだけで、見た目も悪くなきゃ、家事全般得意で沙依なんかよりよっぽど女らしいのに。こいつが結婚できるのに、お前が浮いた噂一つないの、その暴力癖のせいだぞ。絶対。」
「うっさいわね。ほいほい彼女ができても、誰とも長続きしないあんたなんかに言われたくない。」
そんなことを言い合う二人を眺めて、裕次郎が面倒くさそうに溜め息を吐いた。
「まぁ、これで裏付けもとれたし、暴力振るわれた本人が自分のせいだって言ってるから、ここは厳重注意と減俸処分くらいでおさめとくけど。気をつけてね。君も一応立場あるんだし。過剰反応で過剰に暴力振るって相手に大怪我負わせたり、打ち所悪くて相手に何かあったらこれくらいの処分じゃすまなくなるから。」
そうどうでも良さそうにぼやいて、裕次郎はさらさらと内容を書面化し、春李への聴取を終了した。