第一章①
「沙依。おーい、きいてんのか?」
数日前に起きたことを思い出しぼーっとしているとそう声を掛けられて、沙依はハッとして目の前にいる隆生に意識を向けた。
「どうした?珍しく悩み事か?とりあえず頼んだもんきてんだから食っちまえよ。」
そう机の上の甘味を示されて、沙依はそれを手に取った。いつ運ばれてきたんだろう、全然気が付かなかったな、なんて思いながらそれを口にして、自分を見ている隆生の視線に居心地の悪さを感じて、沙依は眉根を寄せた。
「やっぱお前、なんかあっただろ?手合わせしてるときもどこか上の空だったし。いくら遊びみたいなもんでもお前が戦闘に集中できないとか、甘味食っても気分が上がらないとか。なんか余程のことがあったんじゃねーのか?」
特段深刻そうでもなくいつもの調子で、自分の頼んだ銀鍔を口にしながらそうきいてくる隆生を見て、沙依は少し悩むように低く唸った。数日前、沙依の養父であり、ここ龍籠の第二管理棟統括管理官である青木行徳が、神になった方の沙依(末姫)と共にどこかに行ってしまったその事実は、簡単に口に出していいことではなかった。第二管理棟統括管理官の突然の失踪。重大な問題として取上げられるべきそんな事実は、極一部の関係者及び軍上層部でも限られた数名のみの知るところで、公にはされていない。その真意は解らないが、極て個人的な事情と思われることで軍の最高責任者の一人が神隠しに遭った。もとい、自らの意思で神と称されるモノについていったなどいう事実など、公にすれば酷い混乱が起きるから。だから、ただ休暇を取っているだけという風に、行徳の失踪は表向き処理されている。だからいくら気心の知れた相手であり、信用もおけると確信できる隆生相手とはいえ、そのことについて考えていたなんて気軽に話すわけにはいかず、沙依はどうしようかなと思った。
でも、ま、隆生相手だし。ずっとモヤモヤがおさまらなくて心地悪いし、少しくらい吐き出したってさ。周りにさえ気をつければ大丈夫じゃない?なんて考えて、沙依は周囲に気を巡らせて様子をうかがった。今近くに監視がいない事を確認し、慎重に自分達がいつも通りの休日を過ごしていると周囲には見えるように複数の術式を組み合わせて細工した上で、誰にもここでの会話や様子がわからない様に空間断絶の術式を使用し実質的密室を作り出す。その瞬間、術式の発動を認識した隆生が怪訝そうに眉根を寄せた。それを見て沙依は悪戯がバレた子供のように、ちょっと後ろめたそうな顔で笑ってから視線を泳がした。
「なんていうかさ。この件は機密扱いだから。普通にいつものノリで話せないんだよ。でも、これで話しても大丈夫でしょ?こちら側の姿や音は外には漏れなくても、外の事はこちらに伝わるようにしてあるし。情報司令部の上位の人達レベルがよほど疑って注視でもしない限り怪しまれることすらないはず。多分。」
そう言い訳するように言葉を吐き出す沙依に、隆生が呆れたような視線を向ける。
「あいかわらすしれっと簡単そうに恐ろしい程難度の高い術式組むな。」
そう言うと隆生は、何かが腑に落ちたというような顔をして、お前の悩みは行徳のことかと続けた。
「元々あの堅物が急に長期休暇取ってどっか羽伸ばしにいくとか誰も信じちゃいねーよ。裏があるのは皆承知で、ただ黙ってるだけ。大抵の奴は休暇にかこつけて特殊任務に従事してるんだろうなって考えてる。まぁ、俺もそのくちだったが、でも、お前がそうなるってことはそういうわけじゃなさそうだな。あいつが任務でこの国を離れてるならお前がそんなふうになるはずがない。そりゃ、高英も成得も何も漏らさないわけだ。いくらあいつらの口が固いっつっても、俺相手になら何かが起きたときに備えさせとくために少しは何か含みのあることを言ってもおかしくないのに、それもないってのがおかしいと思ってたんだ。任務じゃないのに隠蔽してるってことは、あいつの独断専行か。まさか軍のトップのうちの一人が、何も言わずに消えたなんて公にできる訳ないもんな。退役扱いじゃなくて、休暇扱いで処理されてるのがまたな。あいつの失踪の真意がわからないから、目下調査中。それしだいで処分をどうするか検討中ってとこか。」
そうあながち間違ってもいない憶測を語る隆生を見て、沙依は流石だなと思った。第一部特殊部隊の隊長を務め、顔が広く、多方面から信頼も厚い隆生の元には自然と情報が集まってくる。面倒見が良くて人の話を良く聞き、分別があるため、他人に漏らすべきではないことはその場限りのことで聞き流し何も聞かなかったことにしてくれるし。その一方で、それを忘れず心には留めておいて、いざという時には助けになってくれる。そんな彼には口が軽くなる者も少なくない。色々無遠慮なところや無神経なところも多々あるが、思い遣り深く気配りができる彼は、当たり前のことをするような気軽さでいつも周りのことを気遣って行動している。だからこそ多くの情報が彼の下には集まり、憶測も的確になる。そして味方も多い。龍籠内部での情報戦線なら、情報司令部隊の誰よりも隆生が強い気がするな、なんてどうでも良いことを考えて、沙依もいつも通りの世間話をするような気軽さで、現在情報規制がされている内容を彼に漏らしはじめた。
「行徳さんは別に、いなくなる時に何も言わなかったわけじゃないよ。行徳さんの行動の意図は解らないけど。でも、あの時はきっとそうするしかなかったんだと思う。まだ行徳さんもどうすべきか判断がつかなくて、でもその場ですぐ行かなくてはいけなかった。だから、その場に居合わせたわたしにコーエーへの伝言を残した。行徳さんが間違ってると思うならコーエーが止めろって。わたしには行徳さんが何を考えて何をしようとしてるのかさっぱりだけど、行徳さんがそう言うなら、コーエーなら能力で行徳さんの意思を覗く事ができるはずだし、行徳さんを追うこともできるんじゃないかな。でも、コーエーが何も動かずにまだ静観してるってことは、事態はまだその程度ってことでしょ。ただなにも決断できないでいるのかもしれないけど、非常事態にはほど遠い。まだ危険はないから答えを保留して放置。そういうことじゃないのかな。コーエーもあの通りだから何も教えてくれなけどさ。少しくらい状況教えてくれても良いのにね。何が起きたかは知ってるのに、その先を何も教えてもらえないのもモヤモヤするよ。」
そんな沙依の言葉を耳にして、隆生は少し考えるように視線をどこかに向けた。
「なんだかんだいっても結局、お前は青木行徳の犬だからな。お前はどこまでもあいつに従順で、あいつが間違ってるなんて考えもしない。前世では兄妹で、今は義理とはいえ親子。そんな繋がりがお前を盲目にさせるのか、それとももっと別の理由があるんだか。そこんとこは俺には解らねーけど。でも、もう少しあいつのこと穿った見方しても良いんじゃないか?それに、高英にとってもあいつはたった一人、血の繋がった肉親だからな。高英はあいつの失踪の理由が自分達に害あるものだと認めたくないってことはないのか?高英は身内に弱い。お前に過保護であるように、行徳に対しても妄信的なとこがあるだろ。双子なのに高英があいつを兄貴と呼んでるのは、自分があいつの庇護下にいることを無意識にでも望んでる結果じゃないのか?同じ立ち位置ではなく行徳の方が上、高英にはそういう意識が強い。だから、高英じゃ行徳の相手にならない。余程のことがない限り高英じゃ行徳には敵わない。そんなこと行徳なら良く理解してるはずだ。なのに、お前を使って高英に言付けをした。そもそも、いくら高英が最上級の権限をもった高官の一人とはいえ、家の問題だけで済まないと思われることを、身内だけに伝えて姿をくらましたんだ。そんなこと、普通に考えておかしいと思わないか?そこをお前はどう思う?」
そう話しをふられて、沙依は少し考えた。
「あえて怪しまれるような行動をすることで、何かを探らせようとしているってとこかな。」
そう答えて、それを聞いた高英が、かもなとそれに返した。
「でも、探らせてなにかをさせようっていうなら、誰をどう動かすつもりなんだ?そんなことをしたらまず動くのは情報司令部だ。情報司令部がすることは問題に対し必要な処置を講じるための情報収集と各部隊への指令伝達。行徳が国の危機に対して行動を起こしているのなら、成得は全力を持ってそれを支援するため動くだろ。でも、行徳が私事で行動してるなら、あいつは絶対動かない。場合によっては私的に手は貸すかもしれないが、国内の安定を崩さない程度の協力のみだ。もしそれ以上の支援が必要なら、成得は絶対行徳の方を切り捨てる。自分が動かないだけじゃない、他の連中が動かないようにも手を回す。行徳がそれを理解してないはずがないだろ。だから俺的には、あいつの行動は、自分の目的からお前の視点を逸らし、かつお前の行動を縛る為のもののように思うぞ。実際、あいつの失踪直前に立ち会ったこととあいつの身内って事で今お前監査対象にされてんだろ。それで行動規制受けてるからこんな手のこんだ術式張り巡らせてじゃないと、この程度の愚痴すら吐き出せない状態になってんじゃねーのか?あいつの掌で踊らされてるのはお前だけだ。後は通常運転。その通常運転で監視が付いて行動が規制されて。あからさまにお前嵌められてるのに、それに気付かずただ訳のわからない現状にモヤモヤ溜め込むとか、お前バカだよな。」
そうしれっと指摘され、沙依は一瞬言葉に詰まった。
「でも、今は近くに監視してる人いなかったし。一応行徳さんの失踪は機密扱いだから人に聞かれないようにしとこうかなって思っただけで。まぁ、確かに、あからさまに内緒話してるのがバレると厄介だからいつもより丁寧に複数の術式張り巡らせて、内緒話してるのバレないようにはしたんだけどさ。そこまで行動が制限されてるわけじゃないよ、まだ。」
「そんなん、お前が嵌められてるだけで、お前を監視しても意味がないって解ってるから、形だけの監視に留めてるだけだろ、成得が。お前の夫としては無意味なことしてお前に負担掛けたくないけど、情報司令部隊の隊長として何も対処しないわけにもいかないっていうあいつの立場理解してやれよ。意味がないと解っていても最低限やることやっとかないとうるさい連中もいるしな。無意味なことに人手割くのもばかばかしいが、現状で何かやらかせばお前を拘束しなきゃならなくなるのも必然なんだから。行動する時はちゃんと頭使って行動しろよ。じゃないとムダに成得の心労が嵩む。」
そう更に追い打ちを掛けられて沙依は返す言葉が思いつかなくて低く唸った。
「でもさ、それならそうで意味が解らない。なんで行徳さんはそんなことする必要があるのさ。」
「さぁな。俺が知るかそんなもん。よほどお前が邪魔なんだろ。あいつにとって脅威になるのがお前だけって事なのかもな。つまり、あいつが本当に何かやらかそうとしてるなら、それを阻止するにはお前の存在が一番重要になるのかもしれないけど。流石に俺もあいつが敵に回るとは思えないし。私事で動いてるだけで、この国の脅威になるようなことをするつもりとも思えないが。どうなんだろうな。昔から、行徳は高英以上に何考えてるんだか解んねーから、俺には判断付かねーわ、全く。成得はそこんとこどう考えてんだ?」
「解らない。ナルは全くこの話ししないし、わたしにも何も聞いてこないから。」
「つまり、あいつはその件にお前を巻き込む気はないって事か。まぁ、お前はもう軍人じゃないからな。いくらその件に関わりがあったとしても、必要以上に関わらせる気も首を突っ込ませる気もないってとこか。その辺、あいつは線引きハッキリしてるからな。もし行徳の行動の裏に何かがあるなら、成得は自分と高英の二人でこの問題を処理しようと考えてんのかもな。必要に応じて他にも人員は割くだろうが。第三管理棟管内のごく限られた少数で処理して、他には一切漏らさないつもりなんだろ。このまま行徳が帰ってこなくても、適当な理由がでっち上げられて真相は闇の中。そうなったらなったでモヤモヤするな。事情知ってるからって、あいつ絶対どう処理したかなんて口割らないからな。」
そんな隆生の言葉にそうだねと相槌を打って、沙依は少し考えた。隆生の言っていることはもっともだと思う。実際、そうなんだろう。そう思えば凄くその行動は行徳さんらしいというか、兄様らしい行動だ。自分の目的を隠して、自分一人で何かをしようとして、それをわたしに邪魔されないようにわたしを操る。兄様はずっとそんなことばかりしてきた。兄様とはずっとそうやって兄妹喧嘩を続けて来た。いや、兄様が喧嘩をしていたのはわたしじゃない。わたしはただの駒だ。神様になった方の自分の駒。実際に兄様と喧嘩し続けていたのは、兄様を連れて行った方の自分。神様になってしまった自分。同じ存在のはずなのに、全く違うもの。繋がっているはずなのに、わたしにはわたしが何を考えてるのか解らない。きっとあっちの自分には自分が何を考えているのか筒抜けなのに。そう考えると何だか遣る瀬無い気持ちがしてきて、沙依は少し気が沈んだ。そして、本来実態を持って人の世に干渉することができないはずの神様がどうして実態を持って現れたのか、その意味を問われた事を思い出し、沙依はひっかかった。わたしに邪魔されないようにしているだけなら、兄様がわたしにあんな事を問いかける意味が解らない。わたしも兄様も無事でいられるこの未来を手に入れて、兄妹喧嘩は終わりを告げた。その時兄様も変わった。自分以外の家族が幸せになれるたった一つの未来への道のりをなぞり続ける事に拘っていた兄様も、それ以外の道を歩むことを選んで今がある。だから兄様だってもう、自分が導き出した答えだけが絶対に正しいなんて本当に思ってるわけないと思う。自分だけを犠牲にして全てを丸く収めようとなんて・・・。そう考えて沙依は、行徳が神になった自分と一緒に行ってしまったときの胸のざわつきを思い出した。もしかして兄様は神様になった方の自分の贄として選ばれたのかもしれない。神様になったわたしは言った、兄様だけはわたしに頂戴と。神の孤独に耐えられなくなったわたしが、兄様を贄に求めた。だから兄様は連れて行かれた。そして、たぶんもうここには戻ってこないと兄様も言った。贄に選ばれたのなら、行くしかない。行かなければ、他の誰かを贄にするしかない。でも、それを兄様は望まない。多分、神様になった方の自分も。だから行徳さんでなければダメだった。でも、もしそれ以外に選択肢があるとしたら。父様の贄にわたしも兄様もならない未来が選べたように、誰も神様になったわたしの贄にならずにすむ方法があるとしたら。そうすれば、兄様をここに取り戻すことができる。いや、それじゃ神様になったわたしが実態を持ってここに現れた意味は解らない。それに、わたしが邪魔をしないように足止めする意味も。いや、違う。そもそもが違うんだ。行徳さんが邪魔されたくないのは行徳さんがしようとしてることじゃない。きっと神様になった方のわたしがしようとしてることだ。神様になった方のわたしもわたし。わたし達は同じ存在。だから、わたしなら干渉できる、神様になった方のわたしの意思に。行徳さんははわたしに、わたしがしようとしていることを止めさせたくないんだ。そう考えが至った瞬間、沙依の脳裏に一つの映像が鮮明に浮かび上がった。
どこか解らない、見たこともない場所の見たことのない扉が開く。その扉の前に立っているのは。そして、その扉の向こうにいるのは・・・。
「どういうこと?」
自分の視たものの意味が解らず思わずそう呟いて、沙依はハッとした。
「なんか視たのか?」
そう隆生に聞かれて言葉を濁す。
「余程良くない未来でも視えたか?」
そうきかれて、沙依は首を横に振った。
「違う。そんなものじゃない。良いとか悪いとか、全然判断が付かないけど。でも・・・。」
「なんだよ。」
「ありえない。あの人がこの時間軸に存在するはずがない。いや、もしかしたらよく似た別の人なのかもしれないけど。でも、それならなんでそんなものが視えたの?無意識にわたしが視る未来はいつだって、わたしの周辺に関わりがあって且つ重要なものなのに。いるはずのない人が、見たことのもない場所の扉の前に立ってる映像なんて。いや、違う。あの扉の向こうには誰かいた。アレはあの人と関わりのある、わたしも知ってる人だった気がする。この時間軸に存在しない人が二人も視えるなんて。おかしい。こんなの絶対におかしい。それに、わたしは未来が視えなくなってたのに。なんで、突然こんな・・・。」
「まぁ落ち着けよ。悪い未来が視えた訳じゃないならそんな深刻になる必要ないだろ。今までなかっただけで、たまにはどうでもいい未来が視えることもあるってだけのはなしだろ。気にすんな。ほら、術式といて追加注文しようぜ。甘いもんたらふく食って気分転換しろよ。とりあえず俺の水饅頭一個やるから。水饅頭好きだろ?ほら、食え。」
そう言って水饅頭の入った皿を押しつけられて、沙依は受け取って口にした。そして、言われた通り術式を解除して、二人でまた追加注文をする。
「ここにいるはずのない奴が視えたね。話しは変わるが、ありえない存在の出現って言ったら、最近、春李が連行してきた侵入者がありえない奴なんだよな。そいつが、なんつーか、ターチェではないのは確かなんだけど、でも、人間でもありえないっていうか。いや、人間には間違いなさそうではあるんだけど、俺達みたいに神の血を引いていないのに、人の領域を越えた存在でな。人間の癖に不老長寿の肉体を持ってるだとか、言ってることはメチャクチャだしありえないって思われてたんだけど、実際にそいつの言う通りそいつは術式も使用できれば、高英が聴取して嘘がないことも明確で。敵意もない事はハッキリしてるが、国外追放するにも色々不明瞭な点が多すぎて野放しにしていいもんだかどうだか。そいつの処遇をどうするかでちょっと揉めてて拘留中って事態が今発生してんだよな。」
そんな隆生の話しを聞いて、沙依は人間だけど人の領域を越えた存在ね、と考えて、まさかねと思った。この時間軸に彼らが存在するはずがない。だって、かつてのどこかの未来で人間に人ならざる力と不老長寿の肉体を与えターチェと全面戦争をさせたあの人は、この時間軸ではそれを起こす前に倒した。この世界のこの時間軸の上であの人に力を与えられ人間を辞めさせられた存在が現れるはずはない。人間を人ならざる領域へと昇華させることができる能力も、その人物と共にこの世界からは失われているのだから。それとも、他にも人間が人ならざる領域に到達するための術があるとでもいうのだろうか。そんなことを考えて沙依は胸がざわついた。
「あのさ。軍人じゃないわたしにそんなことペラペラ喋っていいの?後で始末書書かされてもしらないよ。」
「まぁ、始末書ですむ程度の情報漏洩だからいいんじゃね?それに、いくら今は正規の軍人じゃないって言っても、お前だしな。一応、特権があるだろ。お前には。」
「特権ね。そんなの、いつでもうちを利用できるように軍に繋いでおくための鎖なだけだけどね。実際、大した権限ないし。」
顔を顰めながらそう言って、沙依は運ばれてきた追加注文した甘味を口にした。
「そう卑屈な言い方すんなよ。確かに軍の縮小に伴ってお前の部隊は解体されはしたし、お前含めお前の部隊の連中は正規の軍人ではなくなったが。それでも緊急事には臨時部隊として活動できるように、一般人には認められてないもろもろが認められてんだろ。お前にも隊長権限の一部が残されてるんだしさ。これくらいの情報のやりとりなんて、お前の特権の範囲内だと思って、普通に軍にいた頃と同じ調子で話ししてろよ。」
さらっとそう言われて沙依は、わたしに与えられてる特権は緊急事態の時限定だからねと釘を刺した。
「平時に特権は利用できないよ。こっちが一方的に情報提供はできても、それ以上の干渉もできないし、軍の方針に意見する権限だって今のわたしにはない。隊長だったわたしがそんな扱いだからね。今の第二部特殊部隊は、昔と違ってそれこそ本当に軍の都合の良いただの捨て駒部隊だよ。必要なときだけ駆り出されて、必要ないときは蚊帳の外。わたしも含め、うちの連中は色々やらかしてきたし、あまり良い印象持たれてないし。特に主要部隊の人達に。あの時、第二部特殊部隊に特権を与えて軍の機能の一部に残しておくこと自体にも反対意見は多かったしね。こういう形でしか残せなかったのは仕方がないことだとは思ってるよ。でも、少しだけで良いから平時にも動ける権限があればなって思う。せめて軍に流れる情報を同じように得られる権利や、情報開示請求の権限くらいはさ。反対組を納得させるにはしかたがないことだったとは思うけど。でも、これから先もずっとこのまま戦争が起きないとも限らないのにうちの戦力を完全に失うなんてそれこそ不利益なんだから、もっと譲歩してくれても良いじゃん。主要部隊の面々の頭でっかちめ。本当、シュンちゃん以外の主要部隊の人って好きじゃない。ってかさ、完全にうちの部隊を解体させてもしもが起きたときどうするつもりなの、あの人達。非常時に一般市民が兵士として召集されることはあるよ。そのためにここには軍役義務があるんだしね。でも、それで急に集まれ動けって言われても、現役当時と同じような実力が発揮できるわけないじゃん。身体も感覚も現役の時より鈍るの当たり前だし、連携とれとかもっとムリだし。もしそれで現役当時と同じように前線出ろとか言われたとして、うちの連中が素直に言うこときくわけないからね。ってか、そもそも、部隊を解体させられてヘソ曲げたあいつらが素直に招集に応じるかすら怪しいから。招集されても、お前等が俺たちのこといらないって言ったんだろ自分らでなんとかしろよとか言いそう。あいつらガキだから。そういうの解ってたのかな?それとも非常時には自分達だけで対処できるとでも思って言ってたの?主要部隊だって人員縮小してんのに、それでどうやってずっとうちがこなしてたとこまでカバーできるって言うのさ。本当、完全にうちを排除しようとするとか意味が解らない。本当さ、あの条件で軍からうちの部隊切り離すのにあいつら説得するのメチャクチャ大変だったんだよ。やっぱ何人かは離れていったし。今わたしのもとにいるのはそれでもわたしに付いてきてくれるって言った奇特な連中だけだけど。実際扱いはこんなんで、あいつらもプライドがある訳でさ。正直わたしがこの現状に甘んじてるのを快く思ってないとこもあるし。本当、隊長って面倒臭い仕事だよね。色んな方面の色んな事情に挟まれて、色々考えて色んな事しなきゃいけなくて。軍人じゃなくなったのに、そういう面倒臭い仕事だけは継続してるんだよ?本当、嫌になっちゃう。」
そう愚痴る沙依に隆生が、お前の好きな白玉やるから機嫌直せよと、沙依の器に自分の餡蜜の白玉を押しつけた。
「ありがとう。でも、これ、単純に隆生が食べたくないからわたしに押しつけてるだけだよね。」
「今日はやけに突っかかるな。いいだろ?実際お前、白玉好きなんだから。味しねーから俺はあんま好きじゃねーんだよ、それ。」
「隆生の場合、先に餡子とか甘いとこだけ食べちゃうからダメな気がするんだけど。白玉自体にあまり味なくても他のものと一緒に食べれば美味しいよ。わたしは案外白玉だけでも好きだけど。隆生は甘いもの食べ過ぎで味覚おかしくなってんじゃない?銀鍔とか平気で何個も食べるくらい甘党だし。そういえば、隆生って餡子系好きだよね。」
「お前は餅系が好きだよな。白玉もそうだけど、求肥とか信玄餅とか安倍川餅とかくず餅とか。あと団子類。団子とかあれもう甘味じゃないだろ。俺の中じゃ、あれはもう菜の内だからな。まぁ、お前がそういうもんが好きなおかげで、一緒にいると俺のいらないとこ押しつけられてありがたいけど。」
「うん。薄々さ、隆生がわたしを甘味処に誘うのってそういう理由じゃないかなって思ってた。小さい頃はずっと隆生がわたしの好きなもの譲ってくれてるんだと思ってたし、ナルに指摘されるまで気付かなかったわたしもわたしだけどさ。隆生って、けっこうしれっとそういうことしてくるよね。」
「お前、単純だし、色々無頓着だからな。あいつに入れ知恵されないとそれに気がつけない辺りが、本当バカだよな。本当、日常生活はポンコツで、戦うことしか能が無かったお前が、今は一般人で二児の母親なんだからな。なんか不思議な気分だ。もうずっと戦争なんてないし。このままお前の部隊が必要ない時代が続きゃ良いんだけどな。お前等みたいに前線で命張って、時には命捨てに行かなきゃいけない部隊なんて、本当に必要なくなっちまえば良い。まぁ、お前の部下共はそれをプライドが許さないだろうけど。頭で解ってても心が受け入れられない事が色々あるからな。大変だろうが、お前は覚悟して今の立場に立ったんだろ。だから頑張れよ。今の窮屈な状態はずっとは続けさせない。そこは、軍に残った俺達がちゃんと変えていく。時間がかかってもちゃんと。だから、これからもより良い未来を作るために頑張っていこうぜ。皆でな。」
そう真面目な顔で笑いかけられて、沙依も、そうだね頑張っていこうと応えて微笑んだ。
「沙依、悪い。伝令が入った、俺はちょっと行くわ。」
ハッとした顔をしてそう言うと、隆生は立ち上がり、釣りはいらないと言って会計を机に置き慌ただしく店を出て行った。それを見て、沙依は咄嗟に彼を追いかけていた。
「なんで付いてくんだよ。」
そう問われてなんとなくと答える。
「非番の日に急な呼び出しとか不穏な空気しかしないし。向かってる方、管理棟じゃないよね?って言うことは、今まさに攻撃を受けてるって事?さっき隆生、何かに備えておくような指令は受けてないって言ってた。平和にどっぷり浸かった今の平時の防御態勢で、予想外の急な攻撃に対し、第一部特殊部隊の隊員はどれくらい俊敏且つ的確に動くことができる?平時にずっと気を張り続けてるなんて、そんな疲れるバカな事するのはナルぐらいだよ。そのナルすら気が付かなかった脅威に襲われて、その不意打ちにどれだけの人がまともに対応できる?もし体制が崩れているのなら、持ち直すのには圧倒的な力を示しこちらの盤石さを意識付ける事が効果的。わたしなら、一対多の戦闘で効果的なパフォーマンスができる。隆生が部隊を纏めて体勢を立て直すまでの時間稼ぎもできる。」
「流石だな。だが、その必要は無い。ただの侵入者だ。侵入経路は不明。空間転移の術式の発動の感知もなく、突然北門付近に現れたんだと。それである意味お前の読み通り、うちの連中がパニクって通常の段階を踏まずに交戦。しかも相手は一人らしいのに手間取ってるらしくて、尻ぬぐいに呼び出されたんだよ。そういうことだから、付いて来ちまったもんは仕方ないけど、そこまで緊急事態でもねーし、お前はおとなしくしてろよ。今、お前が余計なことすると色々面倒だ。」
「わかってるよ、それくらい。ナルに余計な仕事増やさせて負担掛けたくないし。にしても、また侵入者か。シュンちゃんが連行した人と会わせて二人目?関係あるのか解らないけど、続くとなんか焦臭くなってくるよね。コーエーのことだからその辺ぬかりなくチェックしたと思うけど、本人は無自覚で人に操られてる可能性もあるし、もう一度徹底的に洗い直してもらう必要が出てくるかもね。」
「だな。一応あとで高英の耳に入れておく。」
そんな会話をしながら走って行った先での騒動を見て、隆生は額を抑え、沙依は人混みで全く騒動の中心が見えなくて疑問符を浮かべた。
「あいつ等、なに躍起になってんだよ。相手の方が冷静だし、完全に動き見抜かれていなされてんじゃねーか、バカ。これで相手に敵意があったら全滅してんぞ。ったく。大昔、春李がここに逃げこんで来たときも、パニクってたあいつをガキだと思って甘く見て、ムリに抑え付けて捕まえようとして余計パニック起こさせた挙げ句、たった一人のガキ相手に一班全滅させられるなんてしゃれになんない事態起こしてるくせに。うちの連中は学習能力無いのか?これはまた暫く笑いものだぞ。面倒くせー。とりあえずあそこにいる連中は後できつめにしめとくか。」
そうぼやいて、隆生が全員退避と大声で叫んだ。その声を皮切りに、野次馬の壁が割れ、侵入者を取り囲んでいた第一部特殊部隊の隊員達が退く。
「うちの連中が悪かったな。あんたには敵意がないのに変に突っかかっちまったみたいで。うちのバカ共を殺さないでおいてくれたことには感謝する。でも、こっちも仕事なんでな。あんたにゃ悪いが、捕縛させてもらうぞ。争う意思がないなら武器を捨ておとなしく投降しろ。投降するなら危害は加えない。でも、抵抗するなら容赦はしない。死にたくなけりゃ、武器を置いて手は上に、そしてそこに膝をつけ。」
自分の声で開いた道を通って侵入者に近づきながら、隆生はそう気安い調子の声と態度で、でもその目は警戒の色を濃くしたままそこにいた人物に語りかけた。
その声に反応した侵入者が隆生の方を見る。そして、その視線が隆生を通りすぎでその後ろにいた沙依の所でとまり、その瞳が驚きで大きく開く。
「師匠?」
侵入者の呟きに隆生が怪訝そうに顔を顰めた。
「功君?」
そして自分の背後から聞こえてきた沙依の戸惑いを含んだ驚いたような声に、隆生は半分身を返して沙依と侵入者の両方を視界に入れられるようにし、沙依に知り合いか?と確認した。
「いや。知り合いって言うかなんて言うか。知っていると言えば知ってるけど・・・。」
そう戸惑うように言葉を濁す沙依とは裏腹に、侵入者の青年が今にも泣き出しそうな嬉しそうな顔をして師匠生きていたんですねと呼びかけながら沙依に歩み寄ろうとして、それを隆生が静止した。隆生に睨み付けられて戸惑う青年に、沙依がとりあえず今は言うとおりにしてと声を掛ける。
「師匠、どういうことなんですか?投降しろって。ここは何処です?気が付いたらここにいて急に襲われて、それで武器置いて投降しろとか。言ってる意味が解りません。説明して下さい。」
「ごめん。功君。わたしはあなたの師匠じゃない。わたしとあなたは知り合いじゃない。」
「何言ってるんですか、師匠。あなたが師匠じゃないって。僕と知り合いじゃないって。じゃあ、何で僕の名前を・・・。」
「今は説明できない。わたしにも何が起きてるのか解らない。あなたがわたしを師匠だと思うならそう思ってていい。わたしは確かに知ってるから。わたしのことを師匠と呼ぶ、楊功という青年のことを、わたしは確かに知ってる。あなたがわたしの知ってる功君と同じ人だというなら、わたしの弟子だと言うのなら。意味が解らなくても今は言うことを聞いて。大丈夫。抵抗せず素直に指示に従うのなら悪いようにはされない。少しの間嫌な思いはするかもしれないけど、酷いことはされないから。」
そう言うと沙依は青年の方に歩み寄り、途中で隆生に自分の刀を預けた。
「功君。わたしと一緒に行こう。わたしも一緒に捕まるから。」
そう言って戸惑う青年に手を差し伸べて彼から武器をそっととりあげると、沙依はそれを隆生にわたし、自分達を捕縛するように告げた。
「いいのか?それに別にお前を縛る必要なんて・・・。」
「いい。どっちにせよこの状況じゃわたしは拘束されることになる。それにこの子のことは縛らないわけにはいかないでしょ?わたしがおとなしく縛られておいた方が、この子も少しは安心できるんじゃないかなって思ってさ。」
そんな沙依の言葉を聞いて、隆生は悪いなと溜め息交じりに呟くと二人に縄を掛けた。