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終焉の時   作者: さき太
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第二章②

 家の前に着き、沙依(さより)は一呼吸置いた。うん。大丈夫。もう大丈夫。そう自分に言い聞かせるように確認して、扉に手を掛ける。そして扉を開け向かった先で、おかえりといつもの調子で成得(なるとく)に迎えられて、沙依はただいまと返した。

 「ナル。仕事はどうしたの?」

 どうして夫が今家にいるのか、解っているのにまるで普段の日常会話のような調子でそう声を掛ける。

 「今は大してやることもないしな。今日は早退してきた。なんか食うか?」

 成得の方もそうまるで何事もないように返してきて、二人は何事もないかのように少し早い昼食をとった。

 「あのさ、ナル。退役届け出したいんだけど。」

 そう言うと、まるでそう言われるのが解っていたかのように成得が退役届けの書類を差し出してくる。

 「このご時世だしな。理由は適当で良いぞ。埋めなきゃいけないとこだけ埋めてあれば、後は俺の方で処理しとく。」

 「ありがとう。」

 「別にわざわざ書かなくてもどうにでもするけどな。」

 「でも一応ね。ケジメというかなんというか。」

 「そうだな。とりあえず、完全に確定するまでは俺の方で預かっておく。もしかしたら、なんかで必要なくなるかもしれないだろ。」

 「それはないと思うけど。でも、そうだね。これをどうするかはナルの判断に任せるよ。」

 そんな会話をしながら用紙に必要事項を記入し、沙依は成得にそれを渡した。これでやることはお終い。さて、後はどうしようか、なんて考えて、沙依は机を挟んだ向かい側にいる成得に視線を向けた。

 「正直、お前はもう帰ってこないと思ってた。」

 目があった成得がそう言って、なんとも言えない顔で小さく笑う。

 「どうせ俺には何が起きたか解ってるから良いかって。顔合わせたところでどうなるって訳でもないし、顔合わせないまま消えた方が、なんてさ。お前ならそんなこと考えて、俺には何もさせてくれないんだと思ってた。」

 「でも、ここで待ってたんだね。ナルならわたしの居場所なんて簡単に見付けられるのに、会いに来るんじゃなくて、わたしがここに来るのを待ってた。」

 「何でか解る?」

 存外真剣な瞳で真っ直ぐ見つめながらそうきかれて、沙依は少し考えて、怖いから?と問い返した。そうすると成得が笑って、沙依は疑問符を浮かべた。

 「半分正解。半分不正解。」

 そう返されて、余計訳がわからなくなる。

 「俺は小っさい男だからさ。試したの。お前にとっての俺ってどれくらい価値があるもんなのかなって。解ってんだろ?俺が今どんな気持ちでいんのか。それ受け止めて、お前がどうするのか。それが見たかった。自分が動くんじゃなくて、お前に動いて欲しかったの。お前がどういう風に行動して、そんときどんな想いでいるのか。それを見て、お前にとって俺の価値を計ろうと思った。やってること女々しいと思うけどな。でも、お前の俺に対する気持ちを確認したかったんだ。今のうちに。まぁ、実際、自分から会いに行ったら、行くなって縋り付くんじゃないかってのが怖かったっていうのもあるけどな。」

 「絶対そんなことしないくせに。」

 「そりゃ、そんなことしたところでなんの益にもならないからな。でも実際そうしてたらどうだったか分かんねーぞ。腹決めてここでただじっとお前を待ってたから冷静でいられたけど。でも、お前が消える前になんて自分の欲求優先させて、なりふり構わずお前の事捕まえに行ってたら、取り繕ってられなかったかもよ。まぁ、少しでもそんな可能性が頭過ぎったから、そんなことしないように動かなかったんだけどな。」

 「流石ナルだね。確かに、そんなことしてわたしを引き留めてもいい事なんて何もないもんね。世界にとっても、わたし達にとっても、悪い方にしかならない。それを瞬時に判断して、自分の渇望を抑えて適切な行動がとれるのは、ナルくらいだと思うよ。」

 そう当たり前のように返す沙依を見て、成得は立ち上がると少し寂しそうな顔をしながら手を伸ばし、彼女の頭をそっと撫でた。そしてそのまま食器を片付けに行く。

 「それでも俺は、割り切れないよ。頭では解ってても、実際そのように行動しても。全然割り切れるもんじゃない。でも、結果が目に見えていて、口に出すべきではないと思うから、全てを呑み込むんだ。呑み込んで、平気なフリしていつも通り。それしか俺にはできない。いつだって俺にはそんなことしかできない。でも、お前はさ。解ってんだろ。俺が今どんな気持ちでいんのか。俺がどんだけ繕ったって、解ってんだろ。夫婦なんだからさ。」

 そう食器を洗いながら語る成得の背に、沙依は立ち上がり近づいてそっと額をそこにあてた。

 「ナルが行かないでって言ったら、わたしは行かないと思う?」

 「思わない。」

 「だよね。わたしもそう思う。結局、わたしもナルも、答えの行き着く先は同じなんだよ。」

 そう、わたし達は結局、自分のワガママで世界を終わらせる決断なんてできない。でも、お互い離れたくないから、お互いそう思っていると解っていても取り繕わない本音を口に出してしまえば、きっとこれからを耐えきることができない、そう思うから。本音は口に出さないまま、普段通りのまま、少しだけ晒して、少しだけ甘えて、お互いの気持ちを確かめ合う。それだけでいい。それだけがいい。本音なんていらない。本心なんて知らなくて良い。ただこれからの自分に都合良く、相手の気持ちを解釈できる材料があればそれだけで。お互いのことはお互い解ってる、そう思い込むことができれば、それで良い。それに実際は決断をするのはここにいる誰かじゃないから。どうするか決めるのは神様だから。どうなるのかはその時が来るまで解らない。その時がいつ来るかも解らない。そんな自分ではどうすることもできない不安感に苛まれて、沙依は成得の腰に腕を回し、ぎゅっと彼を抱きしめてその背中に顔を押しつけた。

 「さてと。お前はそうやって俺の背中くっついてるだけでいいの?」

 食器を洗い終わった成得がそう口にする。

 「俺には正面から抱きしめて欲しいんじゃなかったっけ?」

 そうからかうように言う成得が実際は表に出しているよりずっと切羽詰まっているのが解って、沙依は回していた腕をほどき、素直に、ぎゅってして欲しいなとお願いした。振り向いた成得に正面から強く抱きしめられて、その想いを感じながら彼の背中をそっと撫でる。

 「ついでをいうと、キスもしたい。」

 そう普段絶対言わないようなことを言って、そっと彼の頬に手を添えて自分からキスをする。普段はこんなことはしない。もししたとしたら、成得は凄く驚いて、柄にもなく戸惑って。でも、今日の彼は驚くことも戸惑うこともなくそれをそのまま受け止めて、自分からもキスを返してくる。お互いを確かめ合うように。互いの存在を、想いを、約束事を、お互いの全部それで確かめ合いように、そっと、そして深く口づけを何度も交わし合う。

 「ついでに三人目もこさえとくか?」

 唇を離した成得がそう沙依の耳元で冗談とも本気とも言えない声で囁く。

 「やめておく。」

 そう返されて、つれないなと呟いた成得に、沙依は微笑みかけた。

 「だって、それで本当に三人目ができちゃったら、ナルは後悔するでしょ?」

 そう続けられて、成得は何かを諦めたように溜め息を吐いた。

 「俺とお前の性別が逆だったらともかくな。お前についていくしか選択できないなんて、どう考えても子供にとって良いことないからな。それに実際事が起きたら、今のお前の中にできた子が無事でいられるのかどうかさえ疑わしいとこもあるし。だから、三人目は諦めとくか。残念だけど。」

 そう言って、成得がまた沙依にキスをする。

 「好きだ。沙依。他のモノは何一つやれなくても、俺のこの魂は、この心は、永遠にお前のモノだ。そしてお前のその心はずっと俺のもの。だからいつかその時が来たら、俺はお前を連れ出しに行く。絶対に、連れ出す手段を見つけ出して迎えに行くから。もう二度とお前にあんな想いはさせない。お前を独り耐え続けさせたりなんかしない。そんなお前の代わりも誰にもさせない。俺達で終わりだ。全部。それでいいだろ?」

 「そうだね。その時が来たら、二人で世界を終わらせてしまおうか。例えその先では全ての意味が意味を失い、その時の全てが無になるとしても。その一時、ナルが背負うであろうものを、わたしも一緒に背負うよ。ナルのモノはわたしのモノ、わたしのモノはナルのもの。ナル一人には背負わせない。それでいいでしょ?」

 そう言い合って、そして笑い合って、二人はまたそっとその唇を重ねた。唇を離し、沙依は俯いてそっと成得の胸に顔を埋め目を閉じた。

 「扉は開かれた。ゆっくりと、でも確実に世界は一に戻ろうと動いている。でも、まだわたしが消える気配がしない。神様になった方のわたしが、まだどうするのか決断できてないのかもしれない。」

 そう言って沙依は目を開けて、成得の背中に腕を回して彼をぎゅっと抱きしめた。

 「ナル。ごめんね。本当は、最後の瞬間まであなたの傍にいようと思ってここに来た。でも、神様になった方のわたしが決断できないのであれば、わたしは彼女に会いに行こうと思う。世界が一になろうとしている今、全ての境界線があやふやになりつつある今、わたしという個の存在のまま全ての世界を渡ることができると思うから。」

 そう言って腕を放し離れようとする沙依を成得が捕まえて力一杯抱きしめた。そして暫くそのまま固まって、そっと身体を引き離す。

 これで別れるわけじゃない。ただ会えなくなるだけ。でもずっと、心はずっと繋がっている。姿は見えなくても、言葉を交わすことができなくても、触れ合うこともできなくても、それでもずっと傍にいる。永遠に。そう思うから、別れの言葉を言うのはおかしいと思った。そう思うけど、実質これで最後だと思うから、何か伝えておきたくて。でも、それを言葉にしてしまえば本当にもう永遠に出会うことはできなくなりそうで、互いに何も言えないまま沈黙だけが流れていく。そして、その沈黙を沙依が破った。

 「わたしは行くよ。神様になった方のわたしと話したら、もしかしたら本当にその退役届けが必要なくなるなんて奇跡が起きるかもしれないしね。」

 そう言って、沙依が冗談っぽく笑う。

 「期待しないで待っててくれる?」

 そう問われて、成得は困ったような顔で笑った。

 「あぁ、期待しないで待ってるよ。お前が何事もなかったようにしれっとここに戻ってくんのをさ。そしたらまた、お前の食べたいもん作ってやる。」

 それを聞いて沙依が満足げに笑う。

 「ナル。今まで一度も言ったことがなかったんだけど。愛してる。」

 それを聞いた成得が一瞬酷く驚いたように目を見開いて、そしてすっと目を細めると泣きそうな顔で笑った。

 「俺も、愛してるよ。どうしようもないくらい愛してる。」

 お互い今まで一度も言ったことのない言葉。思っていてもずっと口には出さなかった言葉。言葉にしなくたって解ってた。どれだけ相手が特別で、自分にとって大切な存在なのか。でもいつも好きとか大好きとか他愛のないじゃれ合いのような愛情表現を重ね、その想いを深くまで確認しようとしたことはなかった。それで良かった。それが良かった。いつか、何かあれば殺し合う。唯の儀で縛られながらもそれができてしまう夫婦だったから。だから唯の儀で縛られて、どうしようもなく実感を伴って理解できてしまっても、目を逸らしていたかった、自分達の本当の気持ちに。例え自分や相手の中の、本当にどうしようもないくらいの掛け替えのない唯一無二のその想いを否定できなくても、相手のことより、自分は自分が正しいと思うことを優先できるのだと、するのだと。間違っても私情に流されてしまわないように。唯の儀に縛られているからという言い訳で、重要な判断を見誤ることがないように。お互いが相反する決断をし敵対したとき、お互いの意思を肯定し、お互いの判断を受け入れて、想い合っていながらも殺し合う。いつかそうなるかもしれない覚悟をお互い持っていた。絶対にそんなことは起きないと言えなかったから。秩序を護る成得と、私事でそれを気軽に破る沙依の関係は、いつそうなってもおかしくなかったから。だから今まで一度もお互い口にしたことはなかった。心の内ではどれだけ思っていても一度も。でも、言葉を交わせるのはこれで最後かもしれないから。きっと最後だと思うから。だから今のうちにちゃんと・・・。

 そうやって今まで口にしたことのない想いを明確な言葉にして伝え合って、そして、それ以上はもう何も言葉を交わすことなく、ただお互いに視線を交わし微笑みを交わして。沙依は踵を返すと、その世界からいなくなった。


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