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無題  作者: 雨地草太郎
9/41

皇帝陛下は火種を撒く

 慶王朝にとって、首都である英都(えいと)は政治の要とも言うべき場所である。


 呈州より遥か北東、英州(えいしゅう)の中央に、英都城はどっしりと構えていた。


 四方を囲う石造りの城壁は、

 東西六キロ

 南北五キロ

 高さ二十一(メートル)

 厚さ六米

 ――という非常に堅牢な造りになっていて、皇帝の威厳を見せつけるに相応しいと言える。


 さらには四方に一ヵ所ずつ、計四ヵ所の鉄扉(てっぴ)が取り付けられており、これは二重扉になっている。


 もっとも、未だにここを包囲されたことはない。

 その存在感が、付近の反乱を抑制していることは間違いなかった。


 そんな城壁に囲われた巨大都市の中心に、英都城はあった。


     †


 赤く彩られた正門を、一人の男がくぐる。


 二十過ぎの小柄な男だ。銀縁のついた冠を頭に、白い法衣に身を包んでいる。


 ふあぁ、とあくびをして、どこかけだるそうに宮廷に足を踏み入れた。


「これは関周(かんしゅう)様、おはようございます」


「ああ」


 警備兵と軽い挨拶を交わして、関周は回廊を左に進んでいく。


 ……ああ、眠い。


 何度もあくびが出て、そのたびに涙がにじむ。昨日は遅くまで書類と睨めっこをしていたため、十分な睡眠がとれなかった。


 彼は軍監(ぐんかん)という、将軍、副将に次ぐ高い地位にある。


 本来なら、この若さで軍監というのは異例の出世である。それも、彼の才能を早いうちに見出だしてくれた主のおかげともいえた。


「関周」


 不意に呼び止められ、関周は足を止めた。


 正面、回廊の角から金縁の冠をかぶった男が現れた。


 鳶色の髪をした大男で、肩幅がある。目つきは鋭く、立派な顎髭を蓄えた四十過ぎの人物だ。


 官軍を指揮する十二人の将軍の一人、雷紹(らいしょう)。関周の主だ。


「昨日は無理を言ったが、もう出てきていたか」


「一応全ての書類は片付きましたので」


「ふむ、早いな。さすがだ」


「雷紹様には及びませぬ」


 生意気な奴め、と笑いながら、雷紹は顎髭をいじった。 


「ところで」


「なんだ」


「先日出陣していった第七軍から報告は?」


「第六軍も苦戦している、とのことだった。煉州軍め、想像以上に強い。我が軍はともかく、手を抜いた調練をしていた連中では押さえきれぬだろうな」


 雷紹の重い吐息に、関周も合わせて息を吐く。


 少し前に反乱を起こした煉州軍は、まもなく州境(しゅうきょう)を突破して隣州にまで進出するかと思われるほどの勢いだ。


 そして、主――雷紹の気分が沈んでいる理由を、関周はだいたい察している。


 この英都まで攻め寄せられる不安ではなく、官軍のふがいなさを嘆いているのだ。


 かつては圧倒的な力で、民衆に反乱を企てる気さえ起こさせないほどだった官軍。


 それが煉一州に惨敗の山では嘆きたくもなろう。


 もはや、各地で頻発する小さな反乱にはかまっていられないのが現状だ。


「関周、お前はこの先、煉州軍を抑え切れると思うか」


「無理でしょう」


 雷紹の問いを、関周は一切の遠慮なしに切って捨てた。


「すでに官軍の弱体化をさらしてしまった以上、煉州軍を退けても意味がありませぬ。第二、第三の煉州軍が現れるのも時間の問題かと」


「お主は遠慮がないな」


「楽観視できる状況ではございません。それほどまでに、慶は堕落しております」


「確かにその通りではある。全く頭の痛い話だ」


 二人で苦笑いしながら回廊の角を曲がる。


 と、誰かとぶつかって雷紹がよろけた。同時になにかが床にぶちまけられる。色とりどりの果物だ。


「も、申し訳ございません!」


 女の声だ。


 関周は相手を見て、まだ自分より若い娘だと気付く。

 少し赤みの混じった黒い髪は、桃色の着物とあいまって、より美しく感じられる。


 娘は慌てた様子で果物を拾い集めて籠に戻し、深い一礼とともに立ち去った。


「小間使いの女か」


「そのようです」


「あまり見ぬ髪の色だが、あれは煉州の女に多かったはず」


「ええ、煉州出身の女が一人おりました。名前は確か燐夕(りんゆう)だったかと」


「よく覚えておるな。確かに美しい娘だが――」


 娘の背を見ながら、雷紹が言った。


「目つきが気に入らぬ。おびえたような声を出しておきながら、目はわしを睨んでおった」


「確かに」


 関周は即座に相槌を打つ。


「あれは刃向かう者の目でしたな」


「わかったか」


「は、目は口ほどに物を言うと申します」


「どうも煉州は、根本から陛下が嫌いと見える」


「煉州生まれと陛下に知れたら、何をされるやら分かったものではありませんな」


 わしには関係のない話だ、と雷紹は興味なさげだ。


 回廊の脇に延びた通路に進むと、きらびやかな装飾に包まれた広間に入る。


 広間には赤い絨毯が敷かれ、奥には金色の扉がある。


 そこを開けば皇室だが、今日のところは用もない。


 関周と雷紹は広間を左に曲がり、池に架かる橋を越え、その先の小さな部屋に入った。


 部屋の三方には棚が取り付けられており、分厚い書物がぎっしりと詰め込まれている。


 関周と雷紹は中央の机に向かい合って座り、それぞれため息をついた。


「いつもなら、そろそろ戦況報告の早馬がやってくる時間帯ですが」


「どうせ敗報しか来ぬ」


 雷紹は腕を組んで目を閉じている。平静を装っていても、苛立ちは隠しきれていない。

 

「関周よ、お主ならばいかがして煉州軍を止める?」


「そうですな」


 関周は机に肘をついた。


「いかに用兵術に長けた峡英とは言えど、細かな戦術まで使いこなせる男ではありませぬ。ここまできたからには、思い切って都の近くまで踏み込ませ、我々は地の利を生かして戦うのがよいかもしれません」


 関周が言葉を切ると、雷紹は力なく笑った。


「もっともな意見だ。だが、実行できんのはつらいものだな」


 もしも王都近隣まで煉州軍が侵入してきたなどと皇帝が聞けば、烈火の如く怒り狂うに決まっている。


 あの皇帝のことだ。下手をすれば、それだけで官位剥奪という可能性もある。


「内憂外患とは、よく言ったものです」


「本当にな」


 二人が沈黙すると、広間から声が聞こえた。「こちらです」という、城兵らしき者の声。


 どうやら皇帝陛下に来客があったようだ。


 関周はすばやくそちらに視線を向けた。


 城兵に連れられ、若い男が広間を横切っていく。

 男の冠には、縦に青い筋が入っているのをはっきりととらえた。

 

 冠に入っている縦の筋は、州によって色分けがなされている。


「あれは情州(じょうしゅう)の使いですな」


 雷紹が眉をひそめた。


「情州だと?」


「はい、慶の西に広大な領土を持つ――」


「そのようなことはわかっておるわ。我が雷家の祖先が情州の生まれであることを忘れたか」


「失礼いたしました。しかし、やはり現れましたか」


「うむ。情州といえば、最近税の引き上げがなされた土地だからな。文句を言ってくるとは思ったが……」


「予想より早く来ましたな」


 雷紹が不愉快そうなため息をつく。


「今の陛下には、何を言っても無駄であろうが」


「あの使いの器が試されます」


 気になるな、と雷紹が立ち上がる。関周も合わせるように立ち、二人で部屋を出た。


 関周と雷紹は、皇室の入口あたりに立って耳を傾ける。


 税の減額を求めたところで、あの皇帝が意志を変えるとも思えない。おそらくただでは帰れないだろう、と関周は思った。


「無礼者め!」


 取り乱したような怒鳴り声が聞こえたのは、ちょうどその時のことである。

 

 皇帝陛下こと英陽(えいよう)が、情州太守(たいしゅ)の書状を見て激怒したことを想像するのは容易なことだった。


 酒びたりの生活を送っているためか、皇帝は以前にも増して短気になった。ささいなことでも、すぐに怒鳴る。


「この程度の税を出し渋るとは、情州も慶に反抗するつもりなのか!」


「いいえ陛下、そのようなことはございませぬ!」


 使者である若い男の、必死でなだめる声が届く。思ったよりも通る声で、物怖じせずに堂々とした受け答えをしている。


 この男ならあるいは、と考えた関周だったが、すぐに考えをあらためた。


 そもそも今の皇帝を論理的に説得できる者などいない。根本的に皇帝が他人の言葉に耳を貸さないからだ。


 そして激怒させたが最後、もう皇帝と顔を合わせることは叶わないだろう。


 必死で抗議しているあの若者も、そのうち無理矢理に追い出されてくる。


 そんなことを思いながら、関周は聞き耳をたてていた。


「思ったより粘るのう、あの使者め」


「おそらく説得は無理でございましょうが」


「そんなことはどうでもよい。わしが気にしているのは、これを期に情州が反旗を翻すかもしれぬ、ということだ」


 無論、関周も同じことを考えていた。


 煉州だけでなく情州までが反逆したとなると、都は二方面から挟撃される形になる。


 それだけは避けたい。


 ちょうど関周がそう思った時のことだった。


「許さぬ、斬れ!」


 ――という怒声の直後に、人間の肉体が裂ける音がした。


 関周はハッとして顔をあげていた。雷紹もほとんど同じ動きをする。


 そして、何を考えるでもなく中に飛び込んでいた。


「陛下……」


 黄金の玉座に、腹の出た男が座っていた。頬は脂ぎってたるんでおり、それを撫でる指も膨らんでいる。


 ……また陛下は太られたか。


 関周は内心で呆れる。


 玉座から離れた床の上。若い男が、肩から腹までを切り裂かれて倒れていた。


 遠目から見ても手遅れであることは間違えようもない。

 

「ぬ、雷紹か」


「……陛下、これはやっかいなことになりますぞ」


「何がやっかいだ? うるさい虫を一匹斬っただけではないか」


「その虫どもが怒り狂って逆襲してくる可能性があると申しているのです」


「弱気なことを! そういう時のための官軍ではないか!」


 雷紹が言葉に詰まった。煉州にてこずっているという情報は伏せられているのだ。


 とにかく、と皇帝が語気を強めた。


「早くこのゴミを放り出せ」


「はっ」


 雷紹が頭を下げる。このような仕事を将軍に頼むなど、普通ならばありえない。


 古くより慶王朝に仕える名門、雷家の当主ですらこのような扱いを受けている。見限る者の気持ちが、関周にはなんとなくだがわかってしまった。


 近衛隊が青年の死体を片付け、床も丁寧に磨き直される。


 その間、雷紹がずっと待っているはずもなく、さっさと部屋を出てしまった。


 朝来た回廊を逆戻りする。


「これで情州の離反は確実だ」


 雷紹の声は重い。

 

「それだけではない。情州が離れるなら自分も、と各地の太守どもが呼応する可能性がある」


「来るところまで来ましたな」


「うむ。関周よ、どうやら我々の出番が近いようだ」


「では、今から調練場に?」


「兵士を怠けさせてはならん。関周、今日はお主も来い」


「承知いたしました」


 雷紹に見えぬようこっそりと、関周は重いため息をつくのであった。

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