龍角という男
厄介事が片づき、ホッとしてため息をつく。町の重鎮達が重い足取りで去って行くのを、超水はぼんやりと眺めていた。
「やぁ超水殿、先程は失礼いたしました」
全員が去ってもまだ立ち上がらない超水に、龍角が話し掛けてくる。相変わらず嬉しそうな顔をして。
「……不意打ちは苦手です」
「はは、失礼。次回からは気をつけるとしましょう」
遠回しに次の会議にも参加しろ、と言われたようだった。
「終わったのですか?」
超水と龍角が話していると、透き通った声が聞こえてきた。
集会場の戸口から、星蓮が顔だけ出してこちらをうかがっている。
その様子がどこか少女らしさを感じさせ、超水はまた心をわしづかみにされた気分だった。
「終わった終わった。星蓮、お前は家に帰ったのではなかったのか?」
「ええ、帰りました。ですが龍角様もお疲れでしょうし、なにかお手伝いがしたくて」
「星蓮には苦労をかけるな。じゃ、お言葉に甘えて……酒の用意をしてくれ。今日は超水殿と語りたい」
「承知いたしました」
丁寧に頭を下げ、星蓮は小走りに立ち去る。
それを見届けた龍角は、
「私には不釣り合いな女です」
うつむいて小さくこぼした。
「そんなこと、ないと思いますが。自分から見れば、お二方はどこから見ても理想の夫婦というところですよ」
「ははは……、まだ縁組もしておりません」
縁組。
その言葉を聞いた瞬間、脳裏に声がよぎる。
――あたし達も、いつか夫婦になれる日が来るのかしら。
「ああ、そうか」
「え?」
「いや、失礼。なんでもありません」
軽く笑って、超水は集会場を出た。少し遅れて龍角も続く。
町並みを眺めながら、二人は黙って歩いた。ぺたぺたとわらじの音だけが聞こえる。
超水は、龍角の屋敷に戻っているであろう星蓮の顔を思い浮かべていた。
あの色白の肌、顔の輪郭。
……燐夕に似ているからか。
ふっ、と小さく笑う。
気の強い少女だった。
超家と燐家は昔から仲良くしていて、特に父の代は親交が深かった。
超水が厳しい武芸訓練を受けている時、彼女――燐夕はいつも鍛練場のすみからこちらを見ていたものだった。
同い年ということもあってよく話したし、時には、彼女が鍛練場に入り込んで、一緒に鍛練を受けたこともある。
ああ、自分は将来、この少女と共に人生を歩むことになるのだろうな、という確信すらあった。
しかし燐夕は超水の前から去ることになる。
燐夕はある日、煉州を訪れた皇帝の使者の目にとまり、皇城に来ないかと声をかけられたのだ。
皇城――。
無論、皇帝が暮らす城のことである。
そこで働けるということは、いつか皇帝の目にとまる可能性もあるわけで、家名を大きく上げる絶好の機会とも言えた。
燐家の当主、燐牙は大喜びだったし、周囲もそれを喜んだ。
しかし本人である燐夕と、超水だけは喜べなかった。
燐夕が都に向かう前夜、超水は彼女に会った。彼女は悲しそうな目をしていた。
――また、会えるかしら。
――わからない。
――あたし達も、夫婦になれる日がやってくるかしら。
――わからない。
思い返せば、なんとも情けない返答をしたものだと思う。
結局、ただそれだけの会話をして、翌日に燐夕は都に行ってしまった……。
超水が難しい顔をしていたためか、龍角もなかなか話し掛けてこなかった。
そうしているうちに、二人は龍角の屋敷に到着する。
庭に足を踏み入れると、先程案内された部屋にはぼんやりと明かりが灯っていた。
†
「では、超水殿。明日からよろしくお願いいたします」
龍角が酒の入った盃を掲げて頭を下げてくる。よく頭を下げる男だな、と超水は思った。
「はい。――しばらくの間は町の見回りをしていればいいのですね?」
そうですね、と龍角が返事をよこす。
自分の席であぐらをかいている龍角。その正面に超水が座った。星蓮は、龍角の左側できちんと正座している。
庭の松にとまった虫が、夜の静寂に抵抗するように鳴いていた。
「しかし、煉州は勇敢ですな」
星蓮に酒を注いでもらいながら龍角が言う。
「と、言いますと?」
「皇帝陛下に反旗を翻し、官軍に勝利し続けているとか」
超水は苦い顔をするしかなかった。
「確かに勝利しましたが、太守峡英は捕虜に残虐な行為を加えるのが好きなようでして」
「太守がお嫌い?」
「どちらかといえば、そうなります」
「では私と同じですねぇ」
「と、申されますと」
「私も呈州太守の厳立が嫌いでしてね。いや、嫌いなんて言葉では足りない」
龍角はあからさまに顔をしかめてみせた。そこには深い嫌悪が混じっている。
超水は今日一日で、龍角がよくできた人物だと確信を持っていた。その男が太守を嫌っているとは。
いずれ呈州軍に仕官するつもりだった超水としては、気になる言葉だ。
「嫌いと言うのは、いかがな理由で?」
龍角は赤くなった顔でこちらを向いた。早くも酒が回っているようだ。
「……私の父は呈州の役人だったんですがね、厳立に対し謀反を企てた罪で処刑されたんですよ、これが」
はは、と力無く笑い、龍角は盃をあおった。
「謀反、ですか」
「それはでたらめのお話でございますわ。太守厳立は、直言をはばからない龍博様をうとましく思っていたらしいのです」
龍角に代わって星蓮が説明した。龍博というのが、龍角の父の名前だろう。
……忠臣が邪魔、か。
よくあることだ。
私利私欲の政治を行う者にとって、民衆第一の考え方をする家臣は邪魔になる。
それらの人間をいかにして黙らせるか。
厳立の場合は、謀反をでっちあげて処刑するという方法をとったのだ。証拠は、うまく偽造したのだろう。
「私はねぇ、厳立が許せないんですよ。おかしいでしょう? 州のためを思って意見した人間が処刑されなければならないなんてのは!」
龍角の怒声に、超水は思わず身を震わせた。
「私は太守を認めない。あんな奴はさっさと廃除して、私が太守になるんです」
龍角が勢いで放ったであろう一言。その言葉に、超水は衝撃を受けた。
――太守が気に入らないから、自分がなる。
「まいったな……」
「ん?」
「あ、いや、こっちの話です」
慌ててごまかし、超水は盃を傾けた。酒の上の言葉なのに、なぜか超水の心臓は高鳴っている。気づけば、興奮で手が震えていた。
壮大な野心だ。
その道には、苦難ばかりが待ち受けているだろう。だが、それを堂々と言ってのける度胸が、とても気に入った。
皇帝に対して反旗を翻した峡英と、意気だけは似ているところがある。
そして、龍角は峡英よりもできた人物だ。今日一日で、それはなんとなく分かった。拷問を見て喜ぶような人物ではないだろう。
「しかし、龍角殿には兵士がいないでしょう」
「当然だ」
先ほどまでの丁寧な言葉づかいが消えた。
「だから私は時を待っている。私に力を貸してくれる存在が現れるのを」
ここまではっきりと言える龍角がうらやましい。
龍角の言っているそれは、父の敵討ち――復讐だ。
無謀とわかっていながらも、手段がないとわかっていながらも、その思いを捨てない強い意志。
超水は、そこに惹かれたのかもしれなかった。
意味もなくうなずいて、また酒を口にする。そこで龍角が突然、「おや?」と言った。
「どうしました?」
「超水殿だ」
「は?」
「私の力になってくれる存在というのは、きっと超水殿のことなのだ! そうだそうに違いない! でなければこんな機会に巡り逢えるはずがない! おおぉっ、天よ感謝いたします! 私はようやく復讐を果たせるのですな! やった、やりましたぞ父上! 敵を討つまで今しばらくの辛抱ですっ、お待ちくだされ!」
「うわぁ、龍角殿がご乱心なされた!」
「龍角様、飲みすぎです! お気を確かに!」
「うるせぇ、今夜は派手に祝おう! 超水殿、ばんざーい! 俺、ばんざーい!」
暴れ出した龍角を取り押さる時、超水は楽しくて仕方がなかった。
……こんなに笑ったのは、たぶん初めてだな。
夜が更けていく。